2004年に当時ケニアの環境大臣だったワンガリ・マータイさんがノーベル平和賞を受賞したことをきっかけに日本語の「勿体ない」が、国際語の「MOTTAINAI」として華々しくデビューした。しかしその後、2010年に状況は一変し、アメリカ発のこんまり流が断捨離ブームを巻き起こし、余計なものを排除し、心の平安を図る重要性を説いた。

モノを大事にするという考え方が、時としてモノに捉われてしまう。どちらが良い悪いではないが、日本人に限って言えば歴史的にはモノを大事にしすぎる傾向があると言えるかもしれない。そこで今回は日本人が供養してきたモノやコトを紹介する。話を聞いてきたのは全国で家族葬を執り行っているという心に残る家族葬の葬儀アドバイザーだ。

■全国各地にあるモノやコトの供養

「供養といえば水子供養やペット供養が知られていますが、その対象はヒトや動物だけではありません。歴史上、人形供養や針供養など沢山のモノやコトが供養されてきました。今回は数が多いので供養されるようになったキッカケやエピソードは省略して紹介します」(葬儀アドバイザー)

まずはこのように話す葬儀アドバイザー。では一体どんなモノやコトが供養されてきたのだろうか。

埼玉県日高市の円福寺の筆塚:寺子屋やその指導者、筆を供養
東京都台東区の本法寺のはなし塚:戦中に自粛で禁演となった落語を供養(戦後に解禁)
・博多の龍宮寺の人魚塚:人魚を供養。人魚の掛け軸と人魚の骨が安置されている
福岡県の小倉城の茶筅塚と花塚:茶筅と花を供養
東京都品川区の利田神社の鯨塚:鯨を供養
横浜市の三柱神社の蚕の供養塔:蚕を供養
東京都品川区の品川神社の包丁塚:包丁を供養
福岡県朝倉市の恵蘇神社で行われた時計の供養祭:時計を供養

確かに日本人、供養しすぎかもしれない。

■まだまだあるぞ 多種多様な供養の数々

まだまだあるようなので更に伺った。

「築地市場近くの波除神社には牛丼チェーンの吉野家の碑がありますし、他にも築地市場に関連して活魚塚、鮟鱇(あんこう)塚、海老塚、すし塚、玉子塚、昆布塚もあります。あとは馴染みがあるものとして、アニメの作中で亡くなったキャラクター、力石徹やラオウ赤木しげるは現実世界で供養されています。一風変わったのであれば、京都の曼殊院には微生物を供養する菌塚があり、和歌山県高野山の奥の道に続く参道にはしろあり供養塔があります」(葬儀アドバイザー)

この記事をご覧いただいている方の中で、「他にもこんな供養があるぞ」とご存知の方はぜひ教えて頂ければ幸いだ。

■供養とは感謝すること

ここまで多種多様な供養に触れてきたが、供養とはすなわち感謝することなのかもしれない。そう考えると冒頭で「MOTTAINAI」と「断捨離」を相反する考え方のように紹介したが、一概にそのようには言い切れない。

つまりモノは結局モノでしかないのだ。それ以上でもそれ以下でもない。結局価値を付け加えているのは自分なのである。モノとの思い出は、モノに依存するわけではなく、自分の頭の中にあるわけで、モノを捨ててもその思い出がなくなるわけではない。

MOTTAINAI」とはモノを溜め込むのではなく、必要がなくなれば捨てる。ただしそのモノに心を寄せて感謝することこそが、問題の本質なのかもしれない。

●専門家プロフィール:心に残る家族葬 葬儀アドバイザー
火葬料も含まれた追加費用のかからない格安な家族葬を税込み14万3000円から全国で執り行っている。24時間365日受け付けており、寺院の手配や葬儀後の各種手続きなどのアフタフォローにも対応。

記事提供:ライター o4o7/株式会社MeLMAX
画像提供:ピクス

教えて!goo スタッフ(Oshiete Staff)

日本人、ヒトだけでなくモノとかコトとか何でもかんでも供養しすぎ