元衆院議員の宮崎謙介氏が足掛け5年の議員生活の経験をもとに、政治家ウオッチングやオフレコ話、政治にまつわる話を適度な塩梅で、わかりやすく「濃口政治評論家」として直言!

 永田町を歩いていると、界隈からは、菅総理の答弁が不安定だと耳にします。力のある総理だと思いますが、野党の追及は激化。加藤勝信官房長官が「助け船」を出す場面はありますが、菅総理を生み出した二階幹事長からの「助け船」はいまだないようです。

 そんな二階さんの派閥に、僕は所属しておりました。議員時代のある日、二階さんからお声がけをされ、派閥の若手10名ほどで中国大使館へ行ったことがあります。僕が当選を果たしたばかりの頃です。二階さんは中国大使館で大使の方々とよくランチを共にしていましたが、僕を含めた若手が初めて連れられた時のことは忘れられません。

 というのは、ランチで出されたあの中華料理が、これまでに食べた中でもダントツ、めちゃくちゃウマかったんです。二階さんいわく「なんせ中国では3本の指に入る料理人を、大使の特権で日本へ連れてきているんだから」。どうやら大使館には、大使が選んだシェフを自国から連行できるというルールがあるようで、当時の中国大使館の料理は相当なお味でした。調味料を一切使わない、素材のうまみのみで味付けをするのが特徴らしく。中でも「フカヒレの姿煮」‥‥いまだにあの感動を超えるお店はありません。

 それと、二階さんは日本にある外国大使館の多くに顔が利き、若手たちに指示して、若手が各国の大使館へ親書を届ける、というのがお決まりでした。国連で採択された11月5日の「世界津波の日」は、二階派の若手が大使館へ伝書鳩をした功績です。二階さんは地元和歌山県安政南海地震の教訓を生かして、津波のことを世界へ知ってもらいたい。そんな思いから、国連で採択するまで動いたのが二階さんです。

 そのことに連動している人物がいます。野中広務さんです。野中さんといえば、京都府の副知事から国会議員となり、「影の総理」とまで呼ばれた政界の怪物。すでにお亡くなりになりましたが、そんな伝説の人物の自宅にまで僕は行ったことがあるんです。それこそ二階さんに大使館へ連れられていった直後くらいだったでしょうか。ある先輩議員が「これからは中国との外交が大切です。どうやら日中の太いパイプを持っているのは野中広務先生だから、一度聞いておくといい」と教えてくれて、僕はさっそく野中さんに会いに行きました。「今後、議員外交をしていこうと考えているのですが、どうしたらよいでしょう」と聞くと、だんまり。気まずい空気がしばらく流れるとおもむろに立ち上がり、資料の束を持ってきたんです。表紙には「1989年~」という年代が書いてあり、見ると色あせたアルバム。それを開きながら「これはみんなで中国へ行った時の写真だよ。ここに野田聖子君がいるだろう。まだ若いねぇ。こっちは二階君」。パラパラッとめくりながら、「あっ、これは麻生君かな」と、次から次へとメンバーを説明。質問には答えず、アルバムを閉じるとお茶をすする。結局、大事なことは教えてくれませんでしたね。そう、「自分で気づきなさい」ということのようでした。

 つまり、今の二階さんの沈黙は「菅君、自分で気づきなさい」ということなのかもしれません。あー、あの中華料理、また食べたいなぁ。

宮崎謙介(みやざき・けんすけ):1981年生まれ、東京出身。早稲田大学を卒業後、日本生命などを経て、12年に衆議院議員に。16年に辞職し、経営コンサルタントや「サンデー・ジャポン」(TBS系)などに出演。「バラいろダンディ」(TOKYO MX)ではレギュラーMCを務める。

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