空気感とは人や場所などがもつ独特の雰囲気のことだが、城や寺院、山や森林には町中とは何かが違う空気が漂うのを感じる人は多いだろう。

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 この空気感の違いは、どこから生じるのだろうか。

 密教では、空間を霊的に仕切ることを「結界を張る」という。

 それは清浄な領域とそうでない領域を区切ることで、高野山は国土結界、修行道場には道場結界、護摩修法の壇上結界が張られている。

 結界は領域内を守る働きがあり、手段や道具で持続的な霊的防御を施す。

 結界が張られれば、外敵や悪霊などを排除し、侵入させない効果があり、また結界の中に邪悪な存在や、異質な存在を封じ込めることで、外界に対する影響を抑える。

 襖や障子、衝立に縁側などの日本建築の仕掛けだけではなく、生活や作法上、注意すべき何らかの境界を示す事物が、結界と呼称されることもある。

 結界は大和言葉では「はざかい(端境)」といい、こうした界の概念は大陸文化が伝来する以前より存在する。

 結界は空間を霊的に仕切るものだが、同様に空気感に働きかけるものに風水がある。

 風水は環境によって開運に導くという運気を高めるもので、気の流れや地場のチカラを促進、または制御するものであり、古代より、都市、神殿、寺社、家屋、墓などの場所を決定する指標とされてきた。

 その歴史は古く、中国で最も古い史書である「尚書」に殷・周時代(紀元前10世紀以前)地形地勢を「卜宅(亀甲や獣骨を焼いて生じるひびの形により土地や集落の吉凶を占う)」により視察した経緯が記されており、風水の起源といわれる。

 風水は地理、堪輿(かんよ:「堪」は天の道、「輿」は地の道の意)、山、などと同義で、地理は天文と対をなし、堪輿は天地を意味し、山は風水師が良い場所を探し求めて山野を歩いたことに由来する。

 「風水」の語源は、晋(265年-420年)の『葬書』に

「気乗風則散界水則止古人聚之使不散行之使有止故謂之風水」

 気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う、が風水と呼ばれる由来とされるが、ほかに『狐首経』『青嚢経』『青烏経』が、その起源とする説もある。

 風水には地形を読み解き分析する術と、時間によって変化する天地間の気を判断する指標があり、地形の吉凶と占術が融合したものである。

 土地の気の勢いや質、地形など有形のもので吉凶を判断する術を「巒頭(らんとう)」という。

 巒頭は、大地の気の流れを重視する。施政者たちは風水師に命じ、龍脈(気の流れ道)と直結し、大地の気が滞留する場所を探し出し、そこに王城地や王都の設営、墓所を建造した。

 そうすることで、その地域や王族が子々孫々繁栄し、冨貴に恵まれる。だが、もし、土地が悪ければ没落すると考えられていた。

 また、陰宅(墳墓)も同じく、祖先が眠る場所が子孫に影響を与えるとして、その場所も重要視されてきた。

 風水の占術は「理気(りき)」といい、理気は陰陽五行思想、八卦、易、方位など目に見えないものを分析する術を指す。

 理気では、方位の吉凶を重視し、生年月日により、その方位の吉凶をはかり、家や墓所の方位、住居内の配置などを決めた。

 巒頭と理気では、巒頭が優先されるが、山の無い平野部では方角を見る理気が盛んに行われた。

 唐の都、長安(現在の西安)、明朝、清朝、現代まで繁栄する都、北京など、中国の都はすべて風水によって設計され、三国志諸葛孔明をはじめとした軍師は風水を駆使した兵法を実践したと伝わる。

日本独自の論理

 日本に風水が伝来したのは推古天皇の時代602年頃、渡来人と親交があった蘇我氏が百済の僧侶・観勒を招き、暦法の他、数多くの風水書をもたらした。

 蘇我氏を通じ風水は聖徳太子も知るところとなる。以降、藤原京、平安京に始まり日本の遷都の歴史は風水とともにある。

 風水の理論体系が整ったのは、中国では宋から明の時代にかけてであるが、それ以前の飛鳥・奈良時代に伝来した風水の論理は、やがて日本独自の思想となり陰陽道や家相として発展した。

 平城京、平安京は風水にのっとり建設された。

 平安京は方向を司る四神、京都盆地は北の鞍馬山、東の比叡山、西の嵐山、と北、東、西の三方向が山で囲まれている。

 北の玄武、東の青龍、西の白虎、南の朱雀に守られた四神相応(四神の方角が固定化されている)は日本独自の理論である。

 京の都1200余年にわたる繁栄の背景は「四神相応」によるものとささやかれている。

江戸の風水

「気は『風』に乗れば離散し、『水』に逢うととどまる」

 川は気の留まる場所であるとともに「気」を運ぶ働きがある。川が土地を囲みながら蛇行する場所を「玉帯水」といい、流れの内側に気を蓄える吉相の地。これを活用したのが江戸の町だ。

 江戸の川の堀は二重三重の「玉帯水」で、これは隅田川の水を江戸城に引き込むことで人工的に施された風水的仕掛けである。

 江戸を最初に拠点としたのは平安時代の武将・江戸重継。重継は後の江戸城本丸、二の丸周辺に居館を構えていた。

 江戸城は15世紀、江戸氏が没落した後、室町時代の武将・上杉持朝(うえすぎもちとも)の家臣・太田道灌(おおたどうかん)が築城した。

 江戸城が築かれて150年あまり経過すると、徳川家康江戸城に入城、徳川家の居城となった。

 家康は江戸城周辺を大規模な拡張工事を施工するとともに、天台宗の高僧、南光坊天海の指南を受け、江戸の都市の整備に風水を取り入れた。

 天海は江戸城の鬼門に寛永寺を創建し、みずから住職を務めた。

 鬼門とは北東を指し、艮=うしとら:丑と寅の間の方角である。ちなみに鬼門を恐れる習慣は日本独自の思想である。

 天海は裏鬼門・南西に日吉大社から分祀して日枝神社を置き、寛永寺、江戸城、日枝神社を一直線上に置き鬼門を鎮護。結界に護られた江戸を居城とした徳川幕府は260年の繁栄を遂げた。

東京を護る目に見えない力

 東京は大地の気がみなぎり滞留する都市。世界で最も繁栄している都市の一つだが、それを支える背景にあるのは何か。

 鉄道は現代の気の流れ道(龍脈)であり、駅は龍脈からのエネルギーが噴き上がる龍穴の作用がある。

 山手線は、気を蓄える玉帯水の機能を果たしながら、江戸の外堀と同様、皇居から東京の主要部を取り囲んでいる。

 その環状の中を蛇行する中央本線。この2つの路線は大正時代に張られた東京を護るための風水的仕掛けといわれている。

 山手線中央本線の線路を俯瞰して見ると、陰陽五行の太極図のような形状をしている。

 白と黒の魚が絡み合ったような太極図の意味。

 それは魚尾から魚頭に向かって領域が広がるのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子をあらわし、やがて陰は陽を飲み込もうとし、陽は陰を飲み込もうとする。

 陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず。

 陰の中央にある魚眼のような白色の点は陰中の陽を示し、いくら陰が強くなっても陰の中に陽があり、後に陽に転じることをあらわしている。

 陽の中央の点も同様に陽中の陰をあらわし、いくら陽が強くなっても陽の中に陰があり、後に陰に転じる。太極図は、これを永遠に繰り返すことを示している。

 それは円環全体で気が生生不息の状態、つまり、力強い格別なる気が永遠に循環することを示す。

 山手線中央線の配置の隠された意図。それは休むことなく大地の気が東京にみなぎり続けることを意味するものである。

 結界は領域内を守り、持続的な霊的防御を施す。

 結界が張られれば、悪霊などを排除し侵入させない効果がある。例年、台風が発生し、関東地方を直撃することがあっても、東京都心の直撃がほとんどないのはなぜか。

 それは巨大な龍脈に護られた霊的防御の働きによるものと、私は確信している。

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