ⒸDirectorsBox

 それぞれ事情を抱えながらも力強く生きるセックスワーカーの女性たちを描いた山田佳奈監督『タイトル、拒絶』が全国で公開中です。

 舞台は雑居ビルにあるデリバリーヘルス「クレイジバニー」の控室。就職活動が上手くいかず、デリヘル嬢になるつもりで体験入店に来たカノウ(伊藤沙莉)は、いざという場面で客から逃げ出してしまったことからデリヘル嬢たちの世話係となる。

 一方、一番人気のマヒル(恒松祐里)、我の強いアツコ(佐津川愛美)、スタッフの良太(田中俊介)に思いを寄せるキョウコ(森田想)はそんなカノウに勝手な注文を付けてばかり。若いデリヘル嬢たちを一歩引いた目で見るベテランデリヘル嬢のシホ(片岡礼子)やデリヘル嬢たちを厳しく管理する山下(般若)なども混じって、それぞれが思いをぶつけ合う中、若いモデル体型の女性が入店する。そして、その日を機に、店の中の人間関係やそれぞれの人生に異変が起き始める――。

 今回は劇団□字ック(ろじっく)の主宰者であり、本作が長編デビュー作となる山田佳奈監督に、製作の経緯や登場人物たちに寄せる思いについて聞きました。

◆舞台作の映画化にあたって
――どのような経緯で演劇作品だった『タイトル、拒絶』を映画化することになったのでしょうか。

山田:2年程前にプロデューサーの内田英治監督と会って「君は本当は何をやりたいの?」と言われて「映画化したい作品があって監督したい」と言ったんですね。そうしたら内田さんが「じゃあやってみなよ」とポロッと、簡単におっしゃったんです。そこで、演劇作品だった2013年公演の『タイトル、拒絶』の脚本を送って見て頂きました。すると、返事が来て「これは女性のあなたにしか撮れない作品。ぜひ、撮るべきだ」と。そこからは早かったですね。

山田佳奈監督

 劇団は2010年3月に旗揚げして今年で10周年ですが、映画は4年前から撮り始めました。演劇を演出することは楽しかったのですが、このまま同じことを続けていたら演出力は頭打ちになると思って、自分の演出の可能性の幅を広げるために映画を撮り始めたんですね。今まで短編は4本撮って来ましたが、長編は初めてです。

――冒頭のカノウが独白をする長回しのシーンは演劇的だと思いました。

山田:最初は自分が演劇人であるということを白紙にして、映画の世界に敬意を表してシーンを細かく撮ったり、カットを割って撮影しようとしていました。

 ところが、内田さんが「1本目の長編はとても大事。シネコンで掛かる映画ならともかく、インディーズなんだから実験的なものにして、自分の特徴を上手く使いなさい。舞台の脚本のままでいい」とおっしゃって。

 その言葉を聞いた時に、自分なりの実験的なものや特徴は何かと考えたんです。それはやはり、俳優の芝居を知っていることと演劇の経験だと思いました。そこで、今回の作品はその2つを上手く実験的にミックスしたものにしようと。最初のシーンは客席を睨む雰囲気が出せたらと考えました。

◆自らの「女性」と向き合って
――風俗店が舞台になっていますが、ルッキズムも然り、「女性が社会において強いられる役割」という点でも、何ら実社会と変わらないと思いました。レコード会社勤務時代の経験がベースとなっているとのことでしたね。

山田:やはりレコード会社の仕事は芸能界のお仕事なので、少しでもメディアに対してアーティストを売り込んで知名度を上げないといけません。宣伝部にいたのですが、女性スタッフが男性にプロモーションする時には、面白いこと、顔がかわいいこと、露出度の高い服を着ていることが必須条件というような雰囲気もありました。自分は言わば飲み会要員であり、ひな壇芸人のようでもありました。とにかく仕事を取らないといけなかったんです。

ⒸDirectorsBox

 アーティストのために自分が頑張ってメディアに露出させて育てていく仕事はやりがいも感じていたし楽しかったです。でも一方で、「パフォーマンスとして女性を演じて営業する」ということに違和感を覚えていました。ところが、20代前半で会社員を辞めてから作品を作り出した時に、自分の「女性」性に向き合わざるを得なかったんですね。というのも、たまたま男性の友人に「あなたの作品は女性への畏怖を感じる」と言われたんですね。その時に「畏怖って何だろう?」と思って。ひょっとしたら過剰に女性であることを避けていたのかもしれません。

 その頃、たまたま椎名林檎さんのインタビューをまとめた本を読んだのですが、お付き合いしている男性が変わったら曲の歌詞が変わっていくことに、カリスマと呼ばれるアーティストでもそうなんだと思ったんですね。そこで荷が下りた気がしました。人として作品を作ればいいんだと。そして、結局は私も女なんだと。そこから自分が女性であるということと向き合う時期に入りました。

――ストーリーセックスワーカーの方のブログを読んだことから着想を得たとのことでしたね。

山田:その頃は今のようにパフォーマンスブログを書く時代ではなく、本当に心情を吐露する場だったんですね。お客さんに対して「あの人はこれから生きて行けるのだろうか」などと思いを寄せる聖母のようになる時もあれば、お客さんに対する愚痴も綴られていました。そしてそれは遠からず近からず、女性という一括りの中では自分も同じでした。でも、自分自身は1人の人間であり、アイデンティティがある。そのアイロニーを作品にしたいと思ったんですね。

◆カノウは社会に数多く存在する
――「女性」性、「男性」性がテーマになっている作品であると感じましたが、デリヘル嬢ではなく世話係のカノウは、ニュートラルに両者の立場に寄り添える立場なのでしょうか。

山田:「心を開く」というような大げさなことではなく、他人であるからこそ本音が言えるということはあると思っています。例えば、タクシーの運転手さんに自分のことを思わず話してしまうことはありますよね。

 あの控室で誰もカノウのことは見ていない。店の人気No.1 のマヒルはカノウのことを「羨ましい」と言いますが、やはりカノウのことを見ておらず、自分のことで精一杯なのでその言葉が出るんです。

 カノウは自己肯定感が高くなく、他者を羨むという意味で他人を俯瞰することを身に付けてしまってきた人間です。そういう意味ではニュートラルというか、社会に数多く存在する人間の個性が宿った存在ですね。

ⒸDirectorsBox

――「性別関係なく対等に生活を守っていくために女性としての主義を掲げるべきであるが、無意識の(性差別的な)ものをいちいち批判するよりも大切なことは、相手の言いたいことによく耳を傾けること。相手を拒絶することではなくて、自分が今から何をしていくかが大切」という言葉に共感しました。

山田:やはりフェミニズムは必要だと思います。それがないと、今の世の中に性差による不利益が存在している以上、女性は生きていけません。

 しかし先日聞いた言葉で納得したのが、戦中の時代は、男性は強制的に戦地に送られ、女性たちは家に残って子どもたちを育てて愛する人を待っているというのが普通で、その系譜が現代の日本社会にまだ残っている部分があるのではないか、ということでした。そうやって生きざるを得なかった男性や女性たちもいる。戦争から何年も経ってはいますが、戦ってきた男性と対等になるのはやはり難しいと感じます。かといって、女性であるということで虐げられるべきではないですよね。

 フェミニストたちのように強く声を上げてくれる人がいなかったら何も変わってこなかっただろうと思います。一方で、男女の不平等を声高に叫ぶだけでなく、自分が女性として何を見てるか、周りの人とどのような会話をしているか、そういうことが大切なのではと感じています。

――制服で踊るアイドルを見ながら、カノウとシホが男性の幼児性や暴力性について語るシーンが印象的でした。

山田:あのシーンは、海外で上映するために必要だったので、内田プロデユーサーと相談して入れました。というのも、日本では当たり前のことも海外では通用しないことも多いので、そこを説明するシーンとして必要だったんですね。

 例えば、日本の性産業は海外の人たちから見るとおかしいんです。海外では女性が管理されて電話一つで配達されていくことはないです。もちろん、コールガールはいますが、全部彼女たちが自分の意思で客と取引するんですね。それだけ日本の社会というのは、海外と比べて特異的な部分が存在している。

ⒸDirectorsBox

 男性による女性の管理の例は、デリバリーヘルスもありますが、もう一つはアイドル産業です。海外では幼児ポルノは絶対NGで、とてもそれを嫌います。ヨーロッパなどでは、制服を着ている女性が痴漢されているシーンを見ただけで嫌悪して席を立つ人がほとんどだと。そのことからもわかるように、やはり、日本のアイドル産業は日本特有のものだと思ったんですね。幼児性がビジネスになってしまう。日本の社会はそれを許容する社会であるということを映画の中で説明する必要があると思ったんですね。

――シホは「男は100%自分を信じてくれるような女を求めている。だから男は女をバカにするし、女にバカにされ続ける生き物」とも言っています。

山田:シホはセックスワーカーである以上、多くの女性の生き方を見ています。一方で、様々な男の欲望も悲哀も見てそれを受け入れている。人間は皮肉な悲しき生き物であるということを良く知りながら、彼女はそのことを肯定している。そういうシーンなのかな、と思っています。

心理学ヒントを得た人物像
――良太は体の関係を持つキョウコが自分の恋人となることを相手を責める形で拒否します。内面の葛藤を自分の中で処理し切れていないと感じますが、こういう言動を取る男性の話はよく耳にします。一方、自分を愛してくれない相手に固執するキョウコのような女性も思い当たります。

山田:特定の人物像はなく、自然に湧いてきたんですね。一時期心理学がとても好きで、家の本棚が心理学でいっぱいになるぐらいに読んでいました。その時に「回避依存症」や「共依存」という言葉を知ったんです。

 心理学には回避依存症という人との深い関係性の構築を避ける症状があるんです。相手を信頼すると裏切られた時に傷付いてしまうので、それを先に回避するということなのですが、良太は回避依存症なんですね。一方、共依存症という症状もあります。人を愛すること自体に自己満足してしまい、愛情という名の支配をしてしまう。キョウコは共依存症です。

ⒸDirectorsBox

 回避性依存と共依存は切っても切れません。回避依存の人間は、相手に対して踏み込むことに恐怖を覚えているので、相手を突き放しながら、それでも愛情を与えてくれる人の登場を待ち、一方、共依存の人間は自分の愛情を与える対象を探しています。良太はキョウコに会うたびに罵声を浴びせていますが、二人の関係が切れていないのはこのためなんですね。

 回避依存や共依存は親との関係が、過保護か逆に愛情不足か、どちらかだと起こると言われていますが、良太もキョウコも不幸にして親との関係が上手く行かなかったんだと思います。

 本を読んで、回避依存と共依存の関係を知った時からその関係について書きたいと思っていたのかもしれません。自分は嘘が嫌いなのですが、心理学は人を理解するのに役立ったので、物語作りにも活きています。

※後半では、山田監督に、新刊『されど家族、あらがえど家族、だから家族は』(双葉社)や今後の活動などについてお話を伺います。

<取材・文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】
くまのまさえ ライタークリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。

ⒸDirectorsBox