(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

JBpressですべての写真や図表を見る

「つかむところがなかったから、耳を持って運んだんだよ」

 当時の捜査関係者から、そう聞いたことがある。

 三島由紀夫の割腹自殺の現場に入った人物だ。そこには切り離された首が置かれていた。

 11月25日で、あれからちょうど50年になる。

 まだ物心のつく以前の出来事だったが、かつて私は、その当時の現場の状況について、関係者に話を聞いてまとめたことがある。貴重な証言なので、あらためて振り返っておきたい。

首を失った身体に掛けられた制服

 あの日、三島は私兵組織『楯の会』の会員4名と共に、東京・市ヶ谷にあった陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に日本刀を持って押し入ると、総監を人質にとって不法占拠する。

 正午、総監室前のバルコニーに出た三島は、自衛隊員に決起を呼びかけるように約10分間の演説を行う。階下からは自衛隊関係者の罵声が飛び交う。やがて総監室にとって返すと、そこで腹を切る。『楯の会』の会員だった森田必勝も後に続いた。

 捜査関係者が現場の総監室に入ると、最初に目に飛び込んで来たものは、こちらを向いて床に置かれたふたつの首だった。入って左手に三島、右手に森田。その前には胴体が仰向けに並べられ、裸の上半身には『楯の会』の制服がかけられていた。

 三島の首の下には、ガーゼがあてがわれていた。そうでないと床に首が立っていられないほどギザギザに切り込まれていたという。

「あれは切腹し過ぎたんだよ」

 捜査関係者が、そう教えてくれたことを思い出す。

 上着をとってみると、三島には臍の下に横十数センチの割腹の痕があった。そこから腸が飛び出していた。それほど深く切り込むとなると、自然に身体は前に倒れていく。それに介錯の人間が慌てたはずだ、と言った。

 倒れる前に早く首を落としたい。刀を振り下ろすも、身体が前にいくから、狙いも定まらず、うまく切れない。それで追い太刀を繰り返す。

 しかも、血の広がった床の絨毯にも、刀の切り痕がついていた。捜査関係者は、上体が倒れるまで、4〜5回は太刀を入れたと判断していた。それが首の痕跡となる。

 それとは対照的に、森田の首は切断面がきれいに床に密着して立っていた。腹部にも皮を切る程度の一筋線の傷が走っていた。前のめりに倒れることもなく、静止しているところを介錯された。これが本来の切腹の在り方なのだろう。言い換えれば、三島は割腹に臨んで力みすぎていた。あるいは、それだけ激しい情動が覆っていたのか。

立ち尽くす石原慎太郎、絶叫する川端康成

 遺体の周辺には、幅3センチ長さ30センチ程の細長く、色紙のような綺麗な短冊が飛び散っていた。そこに三島の辞世の句があった。

 鑑識活動では、三島の首をビニール袋に入れ、秤に吊るして重量の計測も行っている。三島はいわゆる坊主頭で髪も短かった。だから、冒頭のようにするしかなかった。

 その頭もきれいに洗い流し、必要な検死作業を終えてから、身体といっしょに棺桶に入れている。飛び出した三島の腸は、手で腹の中に押し込んで棺に寝かせた。現場では立たされていた頭部も、生前がそうであったように、仰向けに安置されたという。

 その現場周辺には、様々な人物がやって来ていた。

 ある鑑識課員は、総監室へ通じる廊下の中程に、呆然とたたずむ石原慎太郎を目撃している。

「ひとり、ぼうっと立っているんだよ。あれは、裕次郎じゃない、慎太郎だったよ。総監室に入ることもできずに、そこにぽつんと立っているしかできなかったんだろう」

 さらに鑑識作業中には、階下の玄関ホールのあたりから、男性の叫び声が総監室まで聞こえてきたという。川端康成だった。事件が報じられて駆けつけたのだろう。とにかく、なにかを叫んでいたという。

 それだけ、大きな衝撃を放った事件だった。

時代への憤死

 私が成人してから訪れたことのある四谷荒木町にあるバーでは、事件の数日前に森田必勝がここのカウンター席で酒を呑んでいた、と教えられたことがある。森田を連れてきた人物が、「お前、三島のために死ねるのか」と尋ねると、「はい! 死ねます!」と即答していたという。そのことが、直後の事件発生で記憶によく残っていると店主は言った。そのバーと森田の座った席は、いまも残る。

 事件当時の防衛庁長官は中曽根康弘だった。のちに首相を務め、その内閣・自民党合同葬が先月行われたばかりだ。

 中曽根はこの事件を「時代への憤死」「思想上の諌死」と言った。

 デジタル化の推進が政府の政策課題となるいまの時代。

 三島が生きていたら、なにを思うのだろうか。

 この先50年が経てば、時代はこの事件をどう評価するのだろうか。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  これが安保の真実、米軍は尖閣に駆けつけてくれない

[関連記事]

手前勝手に改竄した歴史を日本に押し付ける国・韓国

第二の尖閣か、「中国漁船、本日も大和堆で爆漁中」

1970年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地の総監室前のバルコニーから演説する三島由紀夫。この後、総監室で自決した(写真:akg-images/アフロ)