11月15日東南アジア諸国連合ASEAN)に日中韓、オーストラリアニュージーランドを加えた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)が関係国で署名された。参加国の国内総生産(GDP)で世界の3割を占める大型の自由貿易協定である。その後、中国の習近平国家主席が環太平洋連携協定(TPP)への参加に前向きな姿勢を示すなど、世界は再び自由貿易協定(FTA)重視に戻りつつあるように見える。その中で、米国第一主義を取る米国はどう行動するのか。通商問題に精通したオウルズ・コンサルティンググループの羽生田慶介CEO(最高経営責任者)が、歴代大統領が悩まされたFTAの「毒」について語る。(JBpress

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バイデン習近平と旧知なので親中派だ」「いや、二国間交渉に拘泥したトランプと違い、欧州などと協調して攻勢をかける分、むしろさらなる対中強硬となるに違いない」

 米バイデン新政権が起動するにあたり、外交・通商戦略の方針に全世界の耳目が集められている。

 バイデン氏は11月16日、通商政策について(1)米労働者の競争力向上(2)雇用や環境政策を重視(3)懲罰的な貿易手法はとらない──の3原則を据えつつ、「中国に対抗する必要がある」と明言した。

 とはいえ、通商は今回の大統領選でほとんど争点にならなかった典型的な分野である。「分断でなく国際協調」という大方針こそ浸透してきたが、トランプ政権が脱退した地球温暖化対策のパリ協定やイラン核合意への復帰、WHO(世界保健機関)脱退の撤回という「修復」アジェンダ以外については、いまだ基本戦略が明らかでない。

 バイデン新政権の通商政策を占うにあたり、気になる米政権の「慣例」がある。オバマトランプ両政権で続いた怨嗟の声、「ぜんぶクリントンのせいだ」は、バイデン政権でも聞かれることになるのだろうか。

トランプの対中戦略の根底にある「クリントンの判断ミス」

 不動産ビジネスで富を築いたトランプ大統領は元々、外交・通商の専門家ではない。トランプ政権の対中強硬政策は、経典とも呼ぶべき本の主張に導かれたものだ。その本の名前は『米中もし戦わば』(原題:Crouching Tiger)。筆者はトランプ政権を2016年の選挙中から最後まで支えた大統領補佐官、ピーター・ナヴァロ国家通商会議委員長だ。

 この本で語られている主張の根幹が、「壊滅的な経済的帰結を招いたという点で、ビル・クリントンほど誤った判断を下した大統領は他にいない」という過去政権への批判だ。中国をWTO(世界棒貿易機関)に加盟させた張本人であるビル・クリントンが、米国のグローバルな影響力を失墜させ、中国の軍事強化に米経済を加担させたというのが基本的な論調となっている。

 ビル・クリントンが掲げたのは、中国をWTOに加盟させることで欧米の対中経済関与を強め、中国をリベラルな民主国家に変えるというビジョンだった。強大な競争相手となることが明らかな中国を敢えて「豊かにする」プロセスを通じて、中国を変えようとする大きな賭けだ。

 経済成長によって増える中間層の拡大が法の支配や腐敗の一掃につながり、国家へのチェック機能が増える。そして、貿易の拡大によって流入する膨大な情報が、民主主義・人権・法による支配という思想を広めていく。これが中国のWTO加盟を推進したクリントン政権の基本戦略だった。だが結果は、米経済の弱体化と中国の強化にしかならなかった──これがナヴァロの主張だ。

 この「ぜんぶビル・クリントンのせいだ」という基本思想のもと、トランプ政権の対中強硬策が4年続いた。

 通商論点において、民主党クリントン政権を共和党トランプ政権が批判することは自然に聞こえるかもしれない。だが実は、同じく民主党バラク・オバマ大統領も自身の大統領選の際に、激しく「ビル・クリントンのせいだ」という通商の論調を掲げていた。このときは米国・カナダメキシコのNAFTA(北米自由貿易協定)についてだ。

オバマも叫んだ「ヒラリーの旦那のせいだ」

 2008年大統領就任前のこと。ヒラリー・クリントンと闘った民主党内の予備選挙における2月のオハイオ州でのスピーチで、オバマ氏はこう叫んだ。

「はっきりさせたい。NAFTAを議会承認させたのは、彼女(ヒラリー)の旦那じゃないか。ヒラリー上院議員はNAFTAを“ビルの功績”と呼んでいる。私はNAFTAが米国のためになっているとは決して思えない。再交渉する」

 とはいえ、オバマ政権はカナダメキシコを含むTPP(環太平洋パートナーシップ協定)実現に邁進したこともあり、結局NAFTAの再交渉に踏み切らなかった。

 実は、ビル・クリントンも自身の選挙キャンペーン中はNAFTA反対だったのだが、大統領任期中にNAFTA支持に転換し、議会承認させた。同じ経緯を進んだオバマは在任中、この点に触れられることを好まなかった。

 結局、オバマが叫んだ「ビル・クリントンのせいだ」は、トランプ政権によるNAFTA改定という形で回収されることとなる。

アジア通貨危機がRCEPを生んだ?

 最近の米国の政権は、通商の難題に際して「あのときのクリントンのせいだ」との怨嗟の声を上げてきたわけだが、バイデン政権ではオバマトランプ政権と同じ論調での恨み節は聞かれないだろう。

 NAFTAはトランプ政権での再交渉によってUSMCA(米国・メキシコカナダ協定)に生まれ変わり、もはや「クリントンのせいだ」の誹りは適わない。そして、ナヴァロ国家通商会議委員長が語った「中国をWTOに招き入れたクリントンのせいだ」は、今日においては時代錯誤に捉えられる可能性が高い。もしもいま、中国という経済大国がWTOに加盟していなかったとすれば、それこそ世界は大いなる「分断」だ。

 だが、バイデン政権にとって、新たな「クリントンのせいだ」がないわけでもない。11月15日に署名されたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)の実現だ。

 ASEAN 10カ国に日中韓そしてインドオーストラリアニュージーランドを加えた16カ国の経済連携のRCEPは、8年間の交渉を経たのち、最後にインドの離脱がありながらもついに妥結に辿り着いた。中国を含む大型FTAのRCEPが実現したことは、TPPから離脱してしまった米国のアジア戦略に大きなプレッシャーを与えるものだ。

 これがクリントンの、どの失策によるものだというのだろうか。

 RCEPは、2004年に中国が提案した「ASEAN+3(日中韓)」の経済連携構想「EAFTA(東アジア自由貿易圏)」と、その対抗として日本が2006年に提案した印・豪・NZを含む「ASEAN+6」の構想「CEPEA(東アジア包括的経済連携)」が合併してできた枠組みだ。この「ASEAN+3」そしてそれを拡大した東アジアの経済協力の枠組みの起源は、1997年アジア通貨危機なのだ。

 第2期クリントン政権の只中におきたアジア通貨危機は、IMF(国際通貨基金)が緊急融資の条件として求めた大幅な金利引き上げに伴うアジア各国の経済破綻が原因だ。景気回復に重点を置いていたビル・クリントン自身が各国の金利引き上げ策を歓迎したかはともかく、「強いドル」を志向したこの政権とIMFがアジア通貨危機を救えなかったことは確かだ。

 結果として1997年に形成された地域協力の枠組みが、アジアでの互助を目指す「ASEAN+3」だった。

 当初は通貨・金融問題の議論に始まり、経済・産業の幅広い協力をプログラムするようになった。この枠組みが育ち、一つの結実となったのがRCEPだ。「米国に頼らない地域協力の枠組みをアジアに育ててしまったのがクリントン政権」という声が聞かれる。

 なぜかというと、米国不在の枠組みは中国にとって与しやすいものだからだ。国家間の正式な協定として成立したRCEPの存在は、中国のほうが米国よりは東アジアにおける今後のルール形成に「正統性」あることを意味する。例えば、既にRCEPにおけるデジタル関連のルールは、米国が望むような高水準なものではなく中国の意向に沿ったものになっている。

 さて、日本としてバイデン政権に感じてほしい「クリントンのせいだ」があるとすれば、やはり「ジャパン・パッシング(日本無視)への警戒感」だろう。

再度のジャパン・パッシングはある?

 クリントン大統領1998年に北京を訪問した際、同盟国である日本に立ち寄らず帰国した。このとき「ジャパン・バッシング(日本叩き)」をもじって用いられた言葉が「ジャパン・パッシング(日本無視)」だ。1980年代には米国と伍して対話してきた日本にとって、この憂き目には強いトラウマがある。

 ここまでバイデン氏の公約や政策方針に「対中政策」はあれど、「日本」に関連するものはほとんどない。バイデン氏と菅総理の間には当座、安倍前総理とトランプ大統領の仲ほどの親密な関係性は期待できそうにない。新たな「ジャパン・パッシング」を危惧する声も聞かれる。

 だが日本はいま、バイデン政権にとって引き続き重要な検討課題であるTPPの実質リーダーであり、「自由で開かれたインド太平洋」構想の主要プレイヤーだ。

 11月20日のAPEC首脳会談では、中国の習近平国家主席から「TPPへの参加を積極的に検討する」との表明があった。一貫性ある日本の通商政策の積み重ねが、米中の綱引きを取り仕切る状況にまで昇華しつつあるのだ。バイデン政権は安易な「ジャパン・パッシング」はできないだろう。

 国際的な通商のアジェンダが単なる「自由貿易」から「人権」や「安全保障」に広がりつつある今日、バイデン新政権はトランプ時代からの修正を図りつつ新たなルール形成に取り組む必要がある。舵取りを誤れば、のちの政権から「ぜんぶバイデンのせいだ」と怨嗟の声が続くだろう。

 まずは主要閣僚の人選から注目したい。

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