詳細画像はこちら

1966年当時のアウトデルタ・チーム仕様

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

 
英国人ドライバー、ハービー・ベイリーが最も印象的だと話す、アルファ・ロメオジュリア・スプリントGTAでのドライブは、1968年のスネッタートン・サーキット。総長500kmのレースで、強力なライバルを相手に5位でフィニッシュしている。

そのレースでのメカニックは、コメディのようだったらしい。「エンジンオイルの補充は、注射器のような道具。その道具をクルマの反対側に投げるので、フロントガラスはオイルまみれ。ピットアウト後の数周は先が見えず、コーナーを予想するしかないんです」

詳細画像はこちら
アルファ・ロメオジュリア・スプリントGTA(1966年

アウトデルタのマシンが、いつも汚れていたことにも驚いたという。「マシンには走行時の汚れが残ったまま。メカニックは、きれいにすることに感心がない。きれいにしては、と聞いてみても、彼らは乾いた軽く布で拭く程度でした」

GTAの多くはレースシーンに投入され、限界領域で運転され、改良が加えられた。クラッシュで姿を消すことも少なくなかった。1966年当時のアウトデルタ・チーム仕様のマシンを見つけることは、極めて難しい。

マックスとアンドリューバンクス兄弟は、知人からスウェーデンのプライベート・ミュージアムにあるAR613102の存在を知る。「自分たちのGTAとGTA-Rを仕上げ、レース参戦することにその頃は集中していました」

「オリジナルのクルマをガレージに追加するのも、悪くないと思ったんです。1年後、クルマを見ることもなく契約を結びました」。バンクス兄弟の父、リチャードはメルセデス・ベンツエステートに乗り、スウェーデンを目指した。

5年に及んだレストア作業

「最初に実物を見たのは、わたし。アルファTZと、ロニー・ピーターソンがドライブしたマーチのF1マシンとの間に展示されていました。素晴らしいコンディションでしたよ」。と回想するリチャード。

「トレーラーに積載し牽引して帰る途中も、多くの人の注目を集めました。往復3日間、4000kmの旅になりました」。ヨッヘン・リントとGTAとの結びつきが、バンクス兄弟を魅了している。F2マシンを駆るリントの姿を、実際に当時目撃しているという。

詳細画像はこちら
アルファ・ロメオジュリア・スプリントGTA(1966年

「若きオーストリア人の走りは、大きな衝撃でした。いつもテールスライドで、とても速かった。彼がF1パイロットになれなかったのは残念ですね」

マックスが話す。「古い書籍から、リントやアンドレア・デ・アダミッチとGTAとの関わりが証明できました。50枚以上の写真を集めて、参考資料としました。クルマはスウェーデンアルファ・マニアが長年所有し、一部レストアされていました」

「ヒストリックカーのイベント用に、アップデートされた部分もありましたが、オリジナル部品も残っていました。アルミニウム製のフロアはリベット留めされ、当時の姿そのものです」
   
「リントがレースで戦う写真を調べ、フロントの車高が低くキャンバー角の強い、独特のセットアップに気付きました。彼好みに調整されていたのでしょう」

レストアは2011年に始まり、2016年に終了した。マックスが続ける。「特別なクルマでしたし、興味深いディティールは都度確認。オリジナルのままだと判明するたびに、喜びました」

「専用のトランスミッション・ブラケットやアルミニウム製のウインドウ・メカ、リア・サスペンション周りなど、すべての部品が注目に値します。アウトデルタ・チームの細部へのこだわりにも感心しました」

残された過去のレースでのダメージ

1966年は、ETCCに大金を投じていたアルファ・ロメオにとって重要なシーズンでした。その成功でティーポ33の計画も実行できたのです。そのシーズンが、保存すべきGTAとして特に重要だと考えました」

ボディは地金に戻されると、ブダペストアンドレア・デ・アダミッチが凹ませたドアの跡など、古い戦いのキズが次々に出てきた。「すべてAR613102固有の歴史なので、消したいとは思いませんでした」

詳細画像はこちら
アルファ・ロメオジュリア・スプリントGTA(1966年

「ドアの内張りを剥がせば、ダメージの跡が見られます。リア回りは波打っています。これは、90Lもある燃料タンクの重さによるもの。ボディシェルが真っ直ぐではないこともわかりました。スウェーデンでの戦いの跡です」

「新しい金属に打ち替えることもできましたが、パネルを叩いての修理を選びました。数ヶ月もかかりました」。マックスが過程を説明する。

ジュリア・スプリントGTAの初期の生産については、謎が多い。「仕上がったジュリアを生産ラインから抜いて、アウトデルタ・チームに運ばれたと考えられてきました。しかし自分は、アウトデルタ内で作られたと信じています」

ボディは、鮮やかなロッソへ再塗装されていない。「塗料の量が少ないレーシングカーのように、くすんだ仕上がりになる特別なスプレーガンを開発しました。ナンバープレートは当時モノをイタリアへ注文し、2年ほど外に放置してエイジングしてあります」

AR613102の車内も、見事なまでにオリジナル。FIAの既定値に合わせて、より深い構造を持つリアシートの構造もそのままだ。

対象的なジュリア・クアドリフォリオGTAm

足もとは、ダンロップ製の14インチ・タイヤと、グレーのカンパニョーロ・ホイールが引き締める。ホイールアーチの隙間を埋め、1966年のGTAらしい好戦的なスタンスに整っている。

マックスは多くのジュリア・スプリントGTAをドライブした経験を持つが、AR613102は唯一無二だと話す。「クルマは活発で、運転がとても楽しい。コーナリングはカミソリのように鋭い。ハンドリングも素晴らしい。想像以上に速く、本当に驚きました」

詳細画像はこちら
アルファ・ロメオジュリア・スプリントGTA(1966年

「排気音が反社会的だったので、サイレンサーを追加しています。印象深かったのがシート。サイドサーポートが弱く、コーナリング中はステアリングホイールにしがみつく必要があります。スパやニュルブルクリンクで何時間もレースしていたなんで、考えられません」

近年になり、アルファ・ロメオアルファホリックスへこのGTAの貸し出しを頼んだ。新しいジュリア・クアドリフォリオGTAm発表のために。

並んだ2台は、あまりにも違っていた。2.9Lのエンジンで537psを発揮するジュリア・クアドリフォリオGTAm。ジョルジェット・ジウジアーロが描き出した1960年代の小さな美しさと対照的に、巨大で獰猛だった。

ジュリア・クアドリフォリオGTAmは、ニュルブルクリンクで7分39秒のラップタイムを叩き出した。しかし、このジュリア・スプリントGTAも、現役時代は負けない戦いを残している。

アルファ・ロメオという血統は、現代へと受け継がれている。それでも、AR613102のGTAが持つ戦歴は、唯一のもの。ヨッヘン・リントが戦ったレーサーが常にそばにあるとは、羨ましい限りとしかいいようがない。


アルファ・ロメオの記事
【F1チャンプが駆ったGTA】アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA 1966年の姿を復元 後編
【F1チャンプが駆ったGTA】アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA 1966年の姿を復元 前編
【もっと磨き込める】アルファ・ロメオ・ステルヴィオ2.2d スプリントへ試乗 小変更
【全参加者を登録】8年目を迎えたクラシックカー・レース TBCC ウィズ・コロナ時代の屋外イベントのあり方とは

【F1チャンプが駆ったGTA】アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA 1966年の姿を復元 後編