朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)

JBpressですべての写真や図表を見る

 菅政権が発足して2カ月半ほどが過ぎました。高支持率をマークしての船出でしたので、「実務家」らしく、バリバリ政策を進めていくものと期待されていました。

 しかし現在の姿はどうでしょうか。10月から始まった国会の状況を見ていると、菅総理はかなり苦戦しているように見えます。特に日本学術会議の新会員任命拒否問題を巡っての答弁を見ていると、野党に相当押されている印象です。例えば11月6日参議院予算員会では、共産党小池晃議員に激しく詰め寄られて、サンドバッグ状態でした。

国会論戦で防戦一方でも、なぜか高支持率

 この日、前日の国会答弁で菅総理が「以前は内閣府の事務局などと学術会議の会長との間で一定の調整が行われていた」と答えたことに関して、小池議員はその調整の内容について何度も問いただすのですが、菅総理は「一定の調整でありますけれども、任命に当たっての考え方を申し上げて意見交換をしたと。まあ、そういうことです」などという答弁を、何度も何度も繰り返したのです。

 同じような答弁の繰り返しは他にも目につきますし、その言葉も完全な棒読みだったりして、「サービス精神」の欠片もありません。一度だけ、「『全集中の呼吸』で答弁させていただく」と大ヒットアニメ『鬼滅の刃』の台詞を使ってみたこともありましたが、話題になったのはそれくらいです。後は、「棒読み」「繰り返し」という面白みのない答弁ばかりで、言うなれば防戦一方なのです。

 いきおい答弁は官僚頼みになります。しばしば役人から耳打ちしてもらっているため、野党からは菅総理が総裁選の時に掲げた「自助、公助、共助」をもじって、「総理は答弁で(官僚からの)公助ばかり受けているじゃないか」と野次られる始末。とうとう霞が関永田町からも「こうなってみると、安倍総理は答弁が上手かったんだな」と、前総理を再評価する声まで漏れ出ています。

 正直、国会でのこのような菅総理の姿だけを見ていると「これは厳しいな」という印象を抱いてしまいます。

 ところが、意外と言っては失礼ですが、支持率はむしろ上昇していたり、案外手堅かったりしています。共同通信世論調査によれば、内閣支持率は菅内閣発足時の9月が66.4%と高い水準でしたが、10月は60.5%と5.9ポイントも下がったものの、11月には63.0%へと上昇しています。11月29日までに行われた日経新聞世論調査では63%から58%に5ポイント低下していますが、この間、ほぼ何も目玉がなく、上記のような「学術会議問題」などでの防戦一方の国会、コロナの感染拡大、安倍前総理の「桜を見る会」問題の再燃、などを考えるとかなり持ちこたえていると思われます。この高支持率を見た安倍晋三前総理は、自民党議員のパーティーに出席した際にこう述べました。

「今の支持率を見ると、私が首相なら強い誘惑に駆られる」

 それほど支持率は好調なのです。

 一般的に最初に高い数値を示した支持率は、あとは落ちる一方というパターンが多いのですが、あまり上がる要因もなく、共同通信の調査で再び持ち直したというのは、まだ有権者は菅内閣を応援したいという気持ちがあるのでしょう。

 しかし不思議です。スタート直後に学術会議問題でつまずいた菅総理は、国会での答弁も現在までのところ、決して上手くない。別に国民がワクワクするような演説をして拍手喝采を浴びたわけでもありません。デジタル庁も携帯の値下げも、本格的に動くのは少し先の話で、先述のとおり、コロナの感染拡大など、現状では、正直、不安定要因しか見当たりません。それなのに支持率が上がったりもしているのです。

高い内閣支持率の理由は菅総理の「実直さ」に

 もっとも、元経産省の役人だった私から見れば、「ちゃんと手堅くやっているな」と感じる面もあります。

 例えば、政権発足から2カ月のうちに、RCEP東アジア地域包括的経済連携)調印を実現したり、行政のデジタル化をにらんで行政手続き上の「認め印」の廃止を打ち出したりしていることなどです。

 この「押印廃止」は、実はデジタル化を進める上で非常に大事な取り組みになります。

 行政手続きでの押印は、婚姻・離婚届、自動車検査証、住民票の写しの交付請求などで必要だった押印が、不要になりました。報道によれば1万4909種類の手続きでハンコが不要になるそうです。

 押印は基本的には本人確認の証拠、あるいは本人確認済みの証拠としてなされてきたわけですが、考えてみれば、役所に登録された実印以外なら、はんこ屋さんで買ってきて、誰でも勝手に押すことが出来るものです。その意味では、本当の意味での本人確認の機能は失われていました。

 そのハンコをやめるとどんな成果があるのか。実は押印をやめると行政文書はデジタルでやり取りできるようになります。わざわざハンコを押しに行く手間も必要になりますし、ハンコを押した文書の原本をやりとりする必要もなくなります。するとテレワークや行政のデジタル化の大きな障害が一気になくせるのです。押印廃止はそういう「クリティカルポイント」になっています。逆に言えば、ここから手を付けないと、行政のデジタル化もすすまないというものなのです。その意味では菅政権は発足早々に大きな仕事をしたと評価すべきなのです。

 それでもこれらは、政策に注目している官僚や政策コンサルタント的な視点です。一般の国民は、そのような細かな点を評価して菅内閣を支持しているのではないと思います。

 では支持率好調の理由は何なのでしょうか? ひと言で言えば、菅総理の「実直さ」に国民が好感をもっているということだと思うのです。菅総理はそのキャラクターも政治手法も、派手さはありませんが、極めて「正直」で「実直」というイメージが強い。口数は少なく、巧言令色のない、たたき上げの職人、という印象でしょう。そして「これが大事」と思った政策は、口先だけに終わらせず、着実にやり抜くという仕事師的なイメージがあります。そこが非常に好感を持たれているのではないかと思うのです。

『鬼滅の刃』のヘタレキャラ・我妻善逸が人気化した背景

 実は今、菅総理のような「正直」「実直」なキャラクターが好まれる時代になっている――私はそう感じています。私はこれを「正直の時代」と呼んでいるのですが、その時代の空気に菅総理はまさにフィットする人柄なのです。

「正直」がウケる時代になっているというのは、基本的には私の肌感覚によるものですが、それを裏付けるようなデータもあります。

 一つは、「我妻善逸」です。知らない人は「我妻善逸」と言われてもピンとこないかもしれませんが、彼は大人気漫画の『鬼滅の刃』に登場するキャラクターです。先ごろ、連載していた「週刊少年ジャンプ」で、『鬼滅の刃』のキャラクターの人気投票が行われました。そこで1位になったのが「我妻善逸」でした。

 この我妻善逸は、主人公ではありません。主人公・竈門炭次郎とともに「鬼退治」に当たる鬼殺隊のメンバーなのですが、結構情けない人物として描かれています。敵がくるとすぐに「怖い」などと言ってしまうヘタレキャラなのです。「ここで生き残っても結局死ぬわ」、「俺はもうすぐ死ぬ!」、「九分九厘死んだ」というようにすぐに「死ぬ」と言いたがる後ろ向きな性格です。

 30年前に少年ジャンプに夢中になった私の世代にしてみれば、たとえ偽善でも努力・友情・勝利が大事で、こういうキャラが人気投票でトップに来るのは想像しがたい現象なのですが、考えてみれば、格好つけることもなく、自分の心の声に正直なのが我妻善逸なのだと言えます。格好をつけたり虚勢を張ったりするよりも、素のキャラクターを見せる人物が人々の共感を得る時代になっている証拠だと思うのです。

 そのことは別のデータからも読み取れると思っています。それは国家公務員試験の受験者数の推移です。

 総合職(平成23年年度までは国家公務員Ⅰ種試験)の受験者数の推移を見てみると、平成8年度がピークで、その後、受験者数は減少、現在はピーク時の半分くらい。これもある意味、平成8年度がピークでⅠ種だけで4万5254人、そこからだんだん減少し、平成29年度には2万3425人まで減少しました。

 私も東大法学部の学生だった頃、もちろん「卒業後はどんな仕事に就くか」を真剣に考えました。自分個人の生活を「率直に、素直に」考えれば、「あまりブラックじゃない職場で、休みもそこそこあって、ゆとりある生活が出来て、そのうえ給料も結構もらえるところがいいな」という発想になるのかもしれません。むしろ人間としては、それが正直な気持ちだと思います。ただ、当時の私や私の周囲の学生たちの中には、「たとえ給料が安くても、国のため、社会のために働こう」という前向きな雰囲気が結構濃厚にありました。多分に偽善的ではあっても。

 国家公務員は、給料も安いしサービス残業も滅茶苦茶にあります。けっしてゆとりある生活なんて望めそうもありませんでした。それでも優秀な学生の中には、「国のために」という感覚が強くあり、霞が関を目指す者が多くいたのです。

 現在、国家公務員を目指す学生が減っているということは、「霞が関の官僚なっても、給料は安いし仕事はきつい。民間企業に就職したり起業したりしたほうが高収入も見込めるし、格好もよさそう」という気持ちに正直に向き合って進路を選択する学生が増えているということの結果ではないでしょうか。

世の中は「偽善の時代」と「露悪の時代」が交互に繰り返す

「時代は巡る」と言いますが、こうした「正直の時代」も一定の期間ごとにやってくるのだと思います。

 私が好きな夏目漱石の『三四郎』の中に、こんな一説があります。三四郎が広田先生に会いに行ったときに、広田先生が言った言葉です。

「近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他(ひと)を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他(ひと)本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々(ぜんぜん)自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある」

 露悪家というのは、この広田先生が作った言葉、つまりは作者の夏目漱石が作った言葉です。簡単に言えば、自分の気持ちに素直な「正直者」に近い意味だと思います。開き直りと言っても良いかもしれません。

「君もその露悪家の一人(いちにん)――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。(中略)昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋ふたをとれば肥桶(こえたご)で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地(きじ)だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜爛漫(らんまん)としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する」

 要するに、作者の夏目漱石は、この作品を通じて、<世の中は「偽善の時代」と「露悪(=正直)の時代」が交互に繰り返すのだ>と言っているのです。

 漱石の言い方に倣えば、いま日本は「露悪の時代」に入っているような気がします。自分の気持ちに正直になろうという人が増えている。その気持ちが、「我妻善逸」に人気が集まったり、霞が関で働こうという人が減ったりするという現象にも表れているのではないでしょうか。

時代が求めている菅総理の志向と人柄

 そこで菅内閣の話です。菅総理はおそらく国家としての機能や実利を、極めて正直に追求しようと考えているように思います。別の言い方をすれば、「夢」とか「国家ビジョン」のような「建前」にはあまり関心がない。

 もちろんはっきりと口に出してそう言っているわけではありませんが、「夢とか国家ビジョンとかを語ってもしょうがないだろう。美辞麗句を連ねての弁論・演説なんて、背伸びしたってできない。俺は叩き上げの実務家だ。国家ビジョンを語るより、国のために必要だと思う実務、国民の生活に直結する実務を積み重ねていく。それこそが自分がなすべき役割だ」と割り切っている・開き直っている感じが滲み出ています。

 それを「政治家はビジョンを示さなければ」と批判する人もいますが、時代は菅総理のような正直さを求めているのだろうと思います。ビジョンを語ったりするわけではありませんが、朝から晩まで、ともすると土日も休まずに「コロナ対策」や「デジタル庁」、「押印廃止」など、目の前の実務を着実にこなしていこうという姿勢が好感されています。これは国家ビジョンを提示し、休日には颯爽とゴルフをしたりして長期政権を達成した安倍総理とはある意味対極にあるスタイルとも言えますが、今回の政権交代は時代の雰囲気の変化を象徴しているようで、極めて興味深い現象です。

 ただし、そうはいっても、政治は中長期、特に長期を見据えた動きが非常に大事です。国家の20年後、50年後、100年後を考えて手を打つのはやはり政治家の役目です。そこへの目配りは忘れてほしくありません。

 私がいま懸念しているのは、だんだんと日本の「食い扶持」がなくなってきていることです。7-9月のGDP速報値が公表され、コロナショックから急回復していると報じられましたが、それとてアメリカや中国の回復ぶりに比べたら弱いものです。いま経済面での日本の存在感がじわじわ低下しているのです。この状態がダラダラ続くと、私たちの子どもや孫の時代には、国家としての食い扶持がなくなっていき、極めて貧しい社会になってしまうかもしれません。そうした状況を変えていくためには、前回このコラムで指摘したように優秀な人材が少しで多く生まれるような教育システムを整える必要があります。1年後、2年後に成果が見えるような実務ではありませんが、教育の規制緩和はすぐにでも大胆に進めていかなくてはならないのではないかと思うのです。

(参考記事)菅首相が「教育の規制緩和」を最優先にすべき理由
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62720

 経産省の官僚だった私が、霞が関を飛び出し、政策立案と人材教育などを主要な業務とする「青山社中」を立ち上げてから、先日11月15日に10周年を迎えることが出来ました。役人の世界を離れたのは、私なりに人材教育の重要性を痛感したからでもあります。日本の食い扶持を作っていけるような人材を育てるべく、今後も精進していこうと10周年を迎えて意を新たにしています。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  菅首相が「教育の規制緩和」を最優先にすべき理由

[関連記事]

来日の中国・王毅外相「スマイル外交」に転じた理由

韓国、不正追及の検事総長を政権ぐるみで排除の異常

11月25日、衆議院予算委員会での菅義偉首相(写真:つのだよしお/アフロ)