武雄温泉~長崎間を走る九州新幹線の列車名が「かもめ」に決定しました。在来線特急を引き継ぐ王道の命名です。「かもめ」は1937(昭和12)年に「鴎」として誕生して以来の長い歴史があります。その軌跡を振り返ります。

公募された特急列車名 「鴎」は得票数で8位

JR九州は2020年10月28日(水)、九州新幹線西九州ルート武雄温泉~長崎間で運行する列車名を「かもめ」に決定したと発表しました。現在、在来線の主に博多~長崎間で運行している特急「かもめ」を継承した格好です。新幹線開業後、博多~武雄温泉間の在来線特急名は「リレーかもめ」になると報じられています。このパターンは、九州新幹線の新八代~鹿児島中央間が開業した時の「つばめ」「リレーつばめ」と同じです。今回の「かもめ」「リレーかもめ」は、多くの人々にとって予想通りと言えるのではないでしょうか。

現在の特急「かもめ」は1976(昭和51)年の運行開始以来、44年間も走り続けています。JR九州の青柳俊彦社長は「かもめ」について「九州ではずっと長崎行きの特急の愛称として親しまれてきた。(中略)引き続きご愛顧を」と述べています。

しかし「かもめ」の列車名の歴史はもっと古く、漢字の列車名「鴎」(正しくは、かくしがまえの中が品)の誕生は戦前の1937(昭和12)年でした。ここでは「鴎」と「かもめ」の歴史を振り返ります。

1929(昭和4)年、国鉄(鉄道省)は列車に親しみを持ってもらうため、特急列車に愛称を採用しました。当時の特急列車は東京~下関間の2往復だけ。一般公募したところ、1位は「富士」、2位は「燕(つばめ)」、続いて「櫻(さくら)」「旭(あさひ)」「隼(はやぶさ)」「鳩(はと)」「大和」「鴎」「千鳥」「疾風(はやて)」に。「鴎」は得票数で第8位でした。

「鳥」に関する名前が多いですね。空を飛ぶ「速さ」と優雅に羽ばたく姿が特急列車のイメージにふさわしいと思われたようです。しかし、この時は1等車と2等車で編成された1往復に「富士」、3等車のみで編成された1往復に「櫻」の名前が付けられました。日本を代表する山と花です。

「臨時燕」改め「鴎」に でも東海道本線の「日陰者特急」だった?

翌年に東京~神戸間で超特急「燕」が誕生します。下りは東京発9時、大阪着17時20分、神戸着18時。東京~大阪間の特急「富士」より所要時間を約2時間半も短縮しました。鳥の愛称にふさわしい列車です。大人気となった「燕」の需要に応えるため「臨時燕」もしばしば運行されました。この「臨時燕」が「鴎」のルーツです。日本で4番目に与えられた列車名でした。

1937(昭和12)年7月に誕生した「鴎」は、下りが東京発13時、上りは大阪発9時に設定されました。これは東京発9時、大阪発13時の「燕」と対をなすダイヤでした。現在の列車名だと「燕」1号、2号、3号、4号になるところですね。「鴎」は「燕2号」「燕3号」の役割を持つ列車と言えます。しかしサービス内容は格下でした。「鴎」は燕より3等車の比率が高く、当初は展望車もありませんでした。所要時間も20分ほど増えました。『列車名大辞典』(寺本光照著)によると「“日陰者特急”として世間から同情を集めた」とのことです。

そんな「鴎」も1940(昭和15)年に展望車が連結されて、名実ともに特急列車の風格となりました。しかし戦況悪化のため1943(昭和18)年に一旦は廃止されます。戦後の復興に伴って復活した際は、運行区間が京都~博多間に変わりました。山陽・九州地区から特急列車の復活を望む声があり、当初は東京~博多間が検討されました。しかし、当時の速度では夜にかかってしまうため寝台車が必要です。さすがに寝台列車の需要は少ないとみて、昼行特急の区間に落ち着きました。この時、列車愛称はひらがなの「かもめ」に。これは「つばめ」や「はと」も同様で、戦後の特急列車は主に「ひらがな」が使われるようになりました。

長崎へ、宮崎へ 九州特急として活躍するも山陽新幹線が延伸され…

1961(昭和36)年、国鉄でダイヤ改正が行われ、全国の主要幹線に特急列車が誕生しました。この時、特急の先輩格である「かもめ」には、当時最新鋭のキハ80系ディーゼルカーが与えられました。運行区間は京都~長崎・宮崎間に延長されました。ここからが九州特急「かもめ」時代と言えそうです。

東海道新幹線開業の翌年の1965(昭和40)年には、宮崎行きの編成が西鹿児島(現・鹿児島中央)行きに延長されました。その後の1968(昭和43)年のダイヤ改正では、山陽本線の高速化が反映され、大阪~西鹿児島間に特急「なは」が誕生します。これに伴い「かもめ」は長崎・佐世保行きとなりました。

1972(昭和47)年に山陽新幹線岡山駅に延伸します。この時は「かもめ」に変化はありません。しかし、1975(昭和50)年3月に山陽新幹線博多駅まで全通すると「かもめ」は廃止されました。山陽本線特急列車としての役割が終わったこと、長崎本線は準急「いなさ」を急行「出島」に格上げして新幹線接続の役目を担うことになったためです。

「かもめ」2度目の廃止 でも不死鳥のようによみがえり電車特急に

しかし、廃止から1年後に「かもめ」は“復活”します。1976(昭和51)年7月1日長崎本線佐世保線は全線電化されました。この時に急行「出島」を特急に格上げして、電車特急の「かもめ」となりました。冒頭で紹介した44年間の活躍がこの時に始まります。佐世保行き特急「みどり」も誕生し、博多~肥前山口間は「かもめ」「みどり」を連結しました。

当初、使用車両は485系電車が投入されました。JR化後は783系電車、787系電車を導入して485系を置き換え、さらに2000(平成12)年には885系電車「白いかもめ」が誕生します。青い海を背景に走る「白いかもめ」は当時から斬新なイメージでしたが、それからもう20年が経ちました。

「鴎」として誕生してから83年、日本で4番目に採用された伝統ある列車名「かもめ」は2020年、ついに新幹線に使われることが決定しました。当面は武雄温泉~長崎間の列車ですが、将来は博多~長崎間や新大阪~長崎間に運転区間が拡大するでしょう。新幹線に出世した「かもめ」が博多駅に再び“飛来”できるか、今後の行方に注目です。

※一部修正しました(12月4日13時44分)。

885系電車の特急「かもめ」(2016年2月、乗りものニュース編集部撮影)。