数々の傑作舞台を世に送り出してきた、少年社中の毛利亘宏とInnocent Sphereの西森英行のタッグが生み出す新プロジェクトの第1弾、新作オリジナル舞台「HELI-X(ヘリックス)」が、12月3日(木)に紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAにて初日を迎えた。
第三次世界大戦後の「大和」という国で特殊能力を持つ者たちが活躍する世界を描く今作はW主演で、玉城裕規、菊池修司が欲にまみれた人間たちの巨大な陰謀に翻弄される人物を演じる。さらに、宇野結也、輝馬、後藤 大、立道梨緒奈、松田昇大、塩田康平、星元裕月、笠原紳司、服部武雄、北村 海、久世星佳、西岡徳馬といった手練れが揃う。
上演に合わせて書籍も発売され、コミカライズ化や様々なメディアミックス展開も予定している話題作の「HELI-X」。
その公開ゲネプロが行われたのでレポートしよう。
西岡徳馬の「徳」は旧字が正式表記

取材・文・撮影 / 竹下力

◆答えを探して旅に出たくなる、得難い経験ができる

薄暗い暴力の予感が通奏低音として流れ、身悶えんばかりのストーリーが描かれるのに、観劇後は晴れやかな気持ちになる不思議な観劇体験だった。未来の世界を描きつつ、同時代的なテーゼを散りばめた本作について、脚本の毛利亘宏は公式ホームページで「社会的な問題に鋭く食い込んだ作品」と記載していたが、サロン風の教養主義的な趣はなく、観客の心にダイレクトに訴えかけるメッセージ性の強いエンターテインメントとして昇華されている。毛利と演出の西森英行のタッグは、人間のあらゆる心模様のグラデーションを表現することに成功した。

物語の舞台は、第三次世界大戦後の極東の島国「大和」。その国は大戦に敗れ、「超大国ユナイト」の占領下となっていた。そんななか、遺伝子工学は人類未踏の領域を開拓。性別を自由に選択できる「TRANS(トランス)」という技術を開発した。これにより、自分の意思で性別の変更が行える。ただ、「TRANS」を施術した人間の中に、特殊能力に目覚める者たちが現れ始めた。世界は、その者たちを「HELI-X」と呼んで忌避していた。

「HELI-X」の異能力による犯罪が社会問題となり、国を実質的に支配している「大和自治軍」の中に「HELI-X」たちの処罰を専門に扱う「螺旋機関」が設立される。そこへ、アガタ(菊池修司)は転属をさせられる。
その一方で、「HELI-X」たちの犯罪の温床を作り、社会を裏から牛耳っている「大和」のマフィア「ブラックブラッド」には、暗殺者のゼロ(玉城裕規)がいた。彼は、恋人を殺し行方をくらましている同胞のクライ(宇野結也)に復讐すべく暗躍を続けていた。

出自のまったく違うアガタとゼロ。「大和自治軍」「螺旋機関」「ブラックブラッド」の三つ巴の緊迫した状態、策略と謀略のめくるめくノワール。ふたりの運命が交差し、3つの組織が抜き差しならなくなったとき、「大和」という国の本質が垣間見え、人間の野心や虚栄が舞台を暗黒に染める──。

この作品には近年の舞台でなし得なかった3つの奇跡がある。

1つ目は、古代ギリシャ悲劇から続く、伝統的で正統的な“演劇”として仕上がっていること。伝統的なのは、エウリピデスのギリシャ悲劇を例に出せばわかりやすいかもしれない。今作は物語が進むにつれて、いろんな組織とそこに含まれる人々の思惑で、ぐしゃぐしゃに混乱して誰もが身動きが取れなくなってしまう。多くの登場人物に事情と理由と言い分があって、誰もがそれなりの正義と幸福を追求している。みんなの幸福が最大限に活かされる世界は原理的にあり得ないから、どうしようもないカオス、まさにエウリピデス的な状況に陥る。

脚本の毛利とそれを支える西森は、物語の絡まった糸を丁寧にほぐしながら、ドラスティックな展開を繰り広げ、救済の予感を示しつつ、新しい演劇の形として作り上げていた。

2つ目は、近年稀にみる“人間ドラマ”だということ。今作は複雑な国家のあり方をみせているようで、“愛”という普遍的な人間の感情を中心に描いている。登場人物たちは“愛”を求め彷徨っている。ゼロであれば、復讐こそが“愛”だった。アガタであれば人民への“愛”。ただし、それが悲劇になってしまう不条理が今作のポイントになるだろう。幾多の試練をくぐり抜けても勝ち取れない“愛”が残酷に描写される。

その絶望を体現しているのがゼロだが、彼が永遠に手に入れられない幸福を手にしようと苦しみ、嘆けば嘆くほど、観客の心が救われるというパラドックスが起きる。観客は、これほどまでに苦労しても報われないゼロの姿を見て、癒され、安心する。それは生贄を求める我々の残酷な姿かもしれない。ゼロは、現代社会に生きる人々にとっての心の闇=スケープゴートなのだ。それでも、今作は現代の写鏡になっている要素が大きいので、ゼロに己の苦しみを託しただけでは安寧を許してくれない舞台でもある。

3つ目は、有機的に俳優たちが躍動して感じたことのないグルーヴを生み出していること。どの俳優にも個性があり、彼らの芝居と現代社会の諸問題がクロスオーバーすれば、“観客と俳優の心”が合致して、えも言われぬカタルシスが生まれる。まさに演劇の醍醐味を味わうことができる。

それを活かす演出の西森の手腕も見事だった。異能力を使うシーンでは、照明と紗幕に写される映像を絶妙なバランスで使い、それを支えるアンサンブルや俳優のリアルな動きで、本当に目の前で起こっていることに見える。いくつもの組織や人間が入り乱れるが、暗転をリズミカルに使い分けてシーンを表現。特に殺陣のシーンは、荒廃している社会の有様が実感できるほど暴力的でリアリティーがあった。

その中でも欠かせないのが、アガタとゼロの存在だろう。ふたりのコンビネーションがこの作品を大きく支えている。

アガタ 役の菊池修司は、正義感が強くて曲がったことを嫌うタイプの人間を愚直に演じた。だからこそ、思いどおりにならない事態に直面したとき、世界で生きることのもどかしさが芝居から立ち上って思わず共感してしまう。長身のすらっとした体躯の殺陣は美しいし、観ていて楽しい。菊池は物語の語り部となり、彼がいることで、組織や人間が動き始める。エウリピデスでいうところの、“デウス・エクス・マキナ”のような全能の神になって、物語を収束させていく役割を担っていた。ただし、彼も傷つき、悲しみ、へこたれる。いくつもの役割を十全とこなして目を見張る活躍ぶりだった。

ゼロ 役の玉城裕規は、役と共に殉死しているほど狂おしい。どうしてそんなに殉教的な芝居ができるのだろうと考えさせられる。観客の抱く悩みすら自分に取り憑かせてしまう演技で、痛々しいのに目を逸らすことができない。全身から感情がほとばしっていて圧巻だった。玉城は、人間の心の闇を肉体の全部を一心不乱に使ってストレートに表出できる芝居が俳優としての強みだと思う。皆が知っているところだけど、とにかく殺陣が圧倒的な迫力で、“玉城裕規”にしか出せないすごみがある。

今作は“個”としての人間の強さを表現していることも挙げておきたい。“全体主義”がどこか社会に暗い影を落としている現代で、自分の考えで生きることを肯定することの大切さが胸に響く。それが観劇後の清々しさにつながっているのかもしれない。それでも、そこには矛盾や混乱が生じる。そのなかで人はどう生きていくのか……それを突き詰めようとする一種の実験が、このプロジェクトの肝ではないか。人間を微分して最適な答えを見つけ出そうとしている。しかも、答えは何千通りとあって、どんな答えも正解であり、同時に間違いであるという示唆に富む作品だ。だからこそ、また新しい答えを探して旅に出たくなる。本作がどんな展開を見せていくのか、また新たな作品が生まれるのかも心待ちにしたい。

東京公演は、12月9日(水)まで紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAにて上演。大阪公演は、12月12日(土)から13日(日)まで大阪メルパルクホールにて上演される。本作のスピンオフストーリーを描いた書籍『HELI-X STORYS 1 sketch×悪夢を生きる者たちよ』が劇場で先行発売されているのでこちらもチェックしたい。また、12月13日(日)、大阪の千秋楽公演がライブ配信され、チケットが発売中だ。さらに、2021年5月12日(水)にはDVDの発売も決定している。

玉城裕規&菊池修司が現代の生きにくさを狂おしく表現。舞台「HELI-X」絶賛上演中!は、WHAT's IN? tokyoへ。
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掲載:M-ON! Press