デヴィッド・フィンチャーが監督を務め、名優ゲイリー・オールドマンが主演するNetflixオリジナル映画『Mank/マンク』が配信開始となった。本作は、多くの映画ファンや映画関係者がベスト1に挙げる名作『市民ケーン』(41)の共同脚本家、ハーマン・J・マンキウィッツの視点を通して、1930年代ハリウッドを風刺的に描く意欲作だ。80年近くも前に誕生し、本作を鑑賞するうえで欠かせないこの『市民ケーン』が、現代までの映画に最も影響を与えたと言われる理由を紹介したい。

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ラジオドラマ宇宙戦争」で時の人となったオーソン・ウェルズの映画デビュー作

老いた新聞王チャールズフォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)が、「ローズバッド(バラの蕾)」という言葉を残して亡くなった。栄華を極めながら、あまりにも寂しい最期となった彼の人物像をひも解くため、ニュース映画会社の記者が、ケーンが最期に放った言葉の意味を探ることに。彼にかんする資料を調べ、かかわりのあった人物への取材を行っていく。

監督は、本作で映画監督デビューした当時25歳のオーソン・ウェルズ。シェイクスピア劇を斬新に解釈するなど実験的な演劇で活躍し、ラジオドラマ宇宙戦争」ではドキュメンタリー方式で放送を行い、聴取者が本当のニュースと勘違いしてパニックを起こすなど、一躍時の人となった人物だ。苦境にあった映画会社RKOがその話題性に注目し、映画製作の全権をウェルズに一任する形で企画がスタート。脚本家のマンキウィッツとともに、実在の新聞王ウィリアムランドルフ・ハーストをモデルにした脚本に取り組んだことが、『市民ケーン』の始まりとなる。

■回想シーンを効果的に取り入れた巧みな脚本

上記のあらすじの通り、記者が取材を行う形で、ケーンの少年時代から晩年までが回想シーンで順々に描かれていく。劇中に過去の出来事を入れるこのような技法を“フラッシュバック”と言い、1900年初期にはすでに使われていたようだが、より効果的に用いたのが本作だった。語り手それぞれの視点によってケーンの様々な人間性があぶり出されていき、黒澤明監督も『羅生門』(50)や『生きる』(52)などでこの手法を使っている。

■画期的な撮影方法を次々と編み出す

映画制作の経験がなかったウェルズは、既存の考え方にとらわれず、次々と画期的な撮影方法を提案していく。冒頭でケーンが「ローズバッド」と言い放つ場面を彼の口元に寄せて映す超クローズアップや、画面の前景から後景までのすべてにピントを合わせるパンフォーカスに長回し。記者がケーンの愛人だった元歌手、スーザンアレクサンダーが経営するレストランを訪れる場面では、ネオンの看板を通り抜けてガラス張りの天井越しに内部を映すという有名なショットが登場するが、ここではカメラが通る際にあらかじめ上下に切っておいた看板が移動するという特殊効果も用いられている。

また、ケーンの尊大さを表現するため、本作では超ローアングルから彼を見上げるようなショットが数多く登場する。スタジオ撮影が主流のハリウッドでは、照明が映り込まないようにこのような撮影は行われていなかったのだが、本作では床に穴を掘ってそこからカメラを回している。本作の撮影を務めたのは『嵐が丘』(39)などで知られる名カメラマングレッグ・トーランドで、その柔軟な発想により、これらのウェルズの要望が実現できたそうだ。

このほか、ラジオドラマの技術も本作に転用。反響音をうまく使用することで音に奥行きを持たせている。3DCGがない時代にもかかわらず、青年期から晩年のケーンを演じたウェルズに施された特殊メイクにはなんの違和感もない。さらに、ケーンと最初の妻との関係がしだいに冷めていく様子を、食卓の風景だけで表現。調度品やテーブルの料理が豪華になるのに反比例して、ふたりの距離がだんだん開いていく短い映像をいくつも重ね、わずか1分少々の時間で10年ほどの時間の経過を説明することに成功している。

■新聞王の怒りを買い、不遇な扱いを受けることに…

革新性にあふれ、いまでこそ、のちの映画監督たちにとって教科書のような作品となった『市民ケーン』だが、公開当時の状況は散々たるものだった。自身がケーンのモデルであることに激怒したハーストは、持てる影響力のすべてを行使して評論家を買収し、劇場へ圧力をかけるなど徹底的に上映を妨害。その結果、上映館数は大幅に減少し、米アカデミー賞で9部門にノミネートされたものの、受賞できたのは脚本賞だけだった。この出来事は、アカデミー賞の歴史における最大の汚点として記憶されることに。若くして映画史に残る傑作を生みだしたウェルズもまた、『第三の男』(49)など俳優としても高く評価されるが、本作以降は自らの企画がなかなか実現できない不遇の扱いを受け続けたという。

■『市民ケーン』を書くに至った脚本家の記憶をたどる物語

ゴーン・ガール』(14)以来、フィンチャーにとって6年ぶりの監督作となる『Mank/マンク』。全編モノクロ映像でオンラインでの配信が主軸となるなど、彼にとって異例の作品だが、新聞社に勤務していた父ジャックフィンチャーが書いた脚本が基になっており、思い入れの深い作品とも言える。また、“現代の『市民ケーン』”と称された『ソーシャル・ネットワーク』(10)を手掛けたフィンチャーが、独自の解釈でその背景に迫るという内容もおもしろい。

物語は、人里離れた牧場の一軒家でオールドマン演じるマンキウィッツが、ウェルズの初監督作となる脚本の執筆に取りかかるところから始まる。その数か月前、彼は交通事故に遭って一人では身動きできない状態にあり、ベッドの中で執筆を行いながら、1930年代ハリウッド黄金期で過ごした記憶が思い返されていく。

現在と過去の物語が同時進行で展開され、『市民ケーン』とのつながりも感じさせる本作。ケーンのモデルになったハーストをはじめ、その愛人で女優のマリオン・デイヴィス、映画製作会社MGMのトップで絶大な権力を保持していたルイス・B・メイヤーも登場し、マンキウィッツと彼らの交流や対立が映しだされていく。その中で、当時の州知事選でハーストやメイヤーらが、労働者の権利を訴える知事候補にとって不利となるフェイクのニュース映画を制作し、自分たちに有利な候補を当選させようと動く様子も描かれている。それに対して、マンキウィッツが激しく憤る姿が印象的で、その想いが『市民ケーン』につながったのでは?と想像させられる。

来年4月に予定されている第93回アカデミー賞の有力候補に早くも予想されるなど、高い評価を獲得している『Mank/マンク』。『市民ケーン』を抑えておくことはもちろん、当時の時代背景を知っておくとより深く作品を楽しむことができるはずだ。

文/平尾嘉浩

実在の新聞王をモデルにした実業家、チャールズ・フォスター・ケーンの謎に包まれた生涯に迫る『市民ケーン』