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カーカルチャーのスピードを追求した熱い魂

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

 
アメリカン・カーカルチャーの中には、スピードを追求した熱い魂が燦然と輝きを残している。その代表格といえるのが、赤と白に塗り分けられたホッドロッドを生み出した、ソーキャル・スピードショップだ。

1940年代から1950年代にかけて、彼らが生み出したマシンはホッドロッド誌の表紙を5回も飾った。その中で特に注目に値するマシンが、ベリータンクレイクスターだろう。1952年に200mph、321km/hの速度へと迫った、地上を突き進むミサイルだ。

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ソーキャル・スピードショップ・ベリータンクレイクスター(1952年

このミサイルを生み出した人物こそ、アレックス・シディアスロサンゼルス出身で、ホッドロッド文化とともに人生を重ねた。「高校時代、ガソリンスタンドアルバイトをしていました。夜になると、ホッドロッドに給油したものです」。とシディアスが振り返る。

「ホッドロッドのカスタマイズに関心を持つようになりました。特にマフラーのサウンドに、強く惹かれました。カーガイ、クルマ好きの入り口にいたのです」

「高校の向かいに有名なボディショップがあって、放課後にクルマがカスタマイズされていく様子を見るのが日課。職人の名前はジミーサマーズ。誰よりも進んだ仕事をしていました」

「彼は1932年式の5ウインドウ・モデルのルーフチョップピラーを切って屋根を低くするスタイル)が得意技。とても難しい処理です」。シディアスが記憶をさかのぼる。

「干上がった湖へも何度か足を運んで、走りを見物しました。その頃のヒーローは、ヴィック・エーデルブロック。32歳のロードスター・ガイで、ビジネスを始めたばかり。でも戦争で、すべてが休止に」

部品の販売店からカスタムショップへ

「わたしは飛行機整備士になりたいと思い、航空部隊へ入隊。戦闘機P-40B-25B-17の整備に関わりました」。幸運にも戦争は、シディアスが戦闘に加担する前に集結。1945年、数千人の兵士とともにカリフォルニアへ戻った。

当時の彼らには、1週間20ドルの配給があった。だが希望していた技術教育は受けられずにいた。「何をしたら良いのかわからない。そこで、スピードショップを思いついたんです。ロサンゼルスのカルバー・シティにあるショップから、名前が思い浮かびました」

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ソーキャル・スピードショップ・ベリータンクレイクスター(1952年

「ソーキャルという名前も、その時決めました。アメリカではクルマ好きに知られるワードですが、思いついたのはわたしです」

ディアス1946年に結婚。ロサンゼルスに、ソーキャル・スピードショップを創設した。ビジネスはゆっくりとスタートしたが、数名のホッドロッド・スターを呼び寄せた。

「必死でしたよ。シリンダーヘッドやマニフォールドは高すぎて、在庫する余裕もない。安価なクロームメッキのキャブレター部品やキャップナットの販売で稼いでいました。でも、退役した男たちがロードスターを買い始めたんです」

「干上がった湖に大勢が集まって、スピードを求めて走るようになりました。油圧計の需要が増え、スチュワート・ワーナー製のメーターが重要なアイテムに。ビジネスの支えになりました」

スピードショップは、徐々に軌道に乗る。エンジンのリビルドなど、カスタマイズの範囲も広がった。「販売店で始まりましたが、レース出場の必要性に気づいたんです。ソーキャル・スピードショップという名前ですからね」。シディアスが笑う。

P-38ライトニングの燃料タンクがボディ

「その頃手元にあったのは、ジミーサマーズが手掛けたカーソントップという、リムーバル・ルーフの付いた1934年式のホッドロッド。とても美しくカスタマイズされていて、それでレースに出たいとは思いませんでした」

ボブ・ルフィやアーニー・マカフィーといったドライバーが、SCTA主催のストリームライナー・レースで競っていた。干上がったエル・ミラージュ湖では、ビル・バークが小さな革命を起こしていた。

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ソーキャル・スピードショップ・ベリータンクレイクスター(1952年

戦闘機P-51マスタング用の165ガロン燃料タンクの寸法を大まかに知っていたバーク。ホッドロッドのボディとして使えると思いつき、カリフォルニアでフロント・エンジンのレーサーを制作する。

その後、P-38ライトニング用の燃料タンクへスイッチ。話題を呼び、友人などにも同様の手法でクルマを作り始めた。その中に、シディアスもいた。

「ビクトリー・ブルバードへショップを移転すると、充分なガレージが手に入りました。そこで1934年式を売って、ピックアップ・トラックを購入。ベリータンクレイクスターの1号を作ったんです」

ディアスは、60ドルでフォード・モデルTから派生させたシャシーを用意し、ボディが組まれた。パワーを求めて、エンジンはフォード製V8を選んだ。ミジェットカー・レース用として流通し、部品は手に入りやすかった。

荒削りのダイヤの原石を磨き込んだのは、ボビー・ミークス。ヴィック・エーデルブロックのショップで働いた経験を持っていた。「ビジネスを早く進めたいと考え、ヴィック・エーデルブロックに協力を仰ぎました。信頼できる相談相手でした」

風洞実験から導かれたストリームライナー

ベリータンクレイクスターは、レイクコースで運転した初めてのクルマ。それまで96km/hを超えたことなどなく、かなり緊張しました。実はね」。笑みを浮かべるシディアス

ベリータンクの中に座ると、お尻は地面から10cmくらいしか離れていません。前輪の間から、前を見る。いつも運転しているクルマとは異なる体験。でもすぐに慣れて、209km/hに到達。クラスレコードを樹立しました」

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ソーキャル・スピードショップ・ベリータンクレイクスター(1952年

ソーキャル・スピードショップのマシンは、クラスAの記録を何度も塗り替えた。レーサーは、干上がったエル・ミラージュ湖では収まりきらない性能を持つようになっていた。

適したコースを探し、ホッドロッダーたちはボンネビルソルトフラッツへ集まるようになる。英国人レーサー、ジョン・コッブがレイルトン・スペシャルをドライブし、400mph(643km/h)を目指していた場所だ。

「走行許可が出て、有名な英国人が記録を打ち立てた場所を走行できることに、興奮しました。違うマシンで挑戦したい、ともね」

アウトウニオンによる、風洞実験のレポートが記された本を手に入れたシディアス。友人のディーン・バッチェラーとともに、新しいボディ制作に着手する。「風洞実験の内容や結果が、すべて載っていました。おもしろい本でした」

「フルボディで前面面積が50%増えても、タイヤを覆うことでドラッグを50%減らせる。その結果から、ベリータンクのボディを降ろし、アルミニウムストリームライナーを成形しました」

エーデルブロック156cu.in.(2556cc)V8エンジンを搭載した、ワイド&ローなレーサーが生まれた。

この続きは後編にて。


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