2020年度の三井ゴールデン・グラブ賞が18日に発表された。多くが順当なメンバーではあったのだが、特に注目すべきはセ・リーグ一塁手ではなかろうか。中日のダヤン・ビシエド内野手がわずか1失策、守備率.999を記録し、194票を集めて初受賞した。

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「本当にうれしい。僕自身ずっとやってきたのは外野で、ファーストではなかった。努力した結果だと思うし、手助けしてくれたコーチ陣に感謝したい」

 キューバ出身の31歳は、息子のジュニア君と表彰式に臨み、白い歯をこぼした。有効投票300票中、半数以上。2位のヤクルト村上宗隆の35票に大差をつけての受賞だった。

 ビシエドの言葉通り、今回の結果はコンバートという壁を乗り越えてつかんだものだ。キューバジュニア時代から世代随一の実績を残し、2008年にいかだに乗って亡命。2010年にホワイトソックスメジャーデビューした時点では、ビシエドは三塁手だった。

 2012年からは左翼手へ本格的に転向。この年はリーグ2位の13捕殺をマークし、長打力ある打撃だけではなく、強肩も注目を集めた。ただし、守備範囲の狭さが致命的だった。この年からレギュラーに定着し、3シーズンで通算60本塁打。その間、一塁手として出場したのはわずか4試合だけ。それ以外は左翼手右翼手としての出場がほとんどで、DHも少なかった。

 2015年のマイナー暮らしを経て、2016年から中日でプレー。当初は外野手登録だったが、1年目から一塁中心の起用となった。ここで日本の緻密なノックで、ハンドリング作業が磨かれる。2018年からは内野手登録へ変更。ゴロ捕球だけでなく、一塁への難しいワンバウンド送球なども的確に吸い上げる柔らかで正確なハンドリングこそが、ゴールデン・グラブの最大の要因であろう。

 実はビシエドと同じような経緯をたどり、ゴールデン・グラブの常連に上り詰めた大先輩がある。今季限りでDeNAを退団したホセ・ロペス内野手だ。

 ベネズエラ出身のロペスは、2004年にマリナーズメジャーデビュー。当時は現在とはかけ離れるほど細身で俊敏で、ポジションは遊撃手だった。その後は内野ならどこでも守れるユーティリティとなり、2006年から正二塁手に定着。2番を打つことが多く、イチローとの1、2番コンビも組んでいた。

 その後は時に外野も守りながら、DHでの起用も増えていった。

 そして巨人へ移籍した2013年以降は、ほぼ一塁手一筋。時折、緊急時などに二塁や三塁を埋めることはあったが、不動の一塁手と言えるだろう。メジャー通算1036試合で、一塁手の経験は51試合だったが、日本移籍を機に本格的に一塁守備に挑戦した。

 そこから、華麗なグラブハンドリングで堅守もウリとしたのはご存じの通り。移籍1年目の2013年にゴールデン・グラブ賞を受賞すると、DeNA移籍後の2016~2019年は4年連続受賞と常連に。現時点で来季所属先は未定だが、今年の投票でも2位の村上にわずか1票差の34票を集め、健在ぶりを示していた。

 両者に共通するのは、守備範囲というよりも、外国人特有の柔らかいグラブさばき。これは幼少時からのボール遊びなどが影響しているとみられ、一概に教え込めば身につくものでもない。ロペスの系譜を受け継ぎ、一塁手で初受賞となったビシエドはまだ31歳。しばらくの間は「新たな常連」として君臨しそうな気配が漂う。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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驚異の守備率.999を記録し、ゴールデン・グラブ賞を初受賞した中日・ビシエド「手助けしてくれたコーチ陣に感謝したい」