2020年春、様々な期待を背負い、日本国内で5Gの商用化がスタートした。しかし、ほぼ同時期に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、政府は緊急事態宣言を発令。通信キャリア各社はインフラ整備やプロモーションの計画変更を余儀なくされた。販売店舗が休業や時短営業となる中、5G端末の売れ行きも苦戦を強いられている。

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 出鼻をくじかれたかに思える商用5Gだが、企業は今後、これらの技術とどのように向き合っていけばよいのだろうか。日本の5G分野における第一人者であり、『5G 次世代移動通信規格の可能性』の著者でもある東京大学大学院 工学系研究科  教授 森川博之氏に話を聞いた。

5Gは進化の過渡期。「戦略的忍耐力」が求められる

―― 2020年3月に5Gの商用利用がスタートしました。コロナ禍でインフラ整備や技術の普及にどのような影響が出ているのでしょうか。

森川 博之 氏(以下、森川氏) 通信事業者の努力もあり、5Gの基地局の設置にはそれほど遅れは見られていません。しかし、経済状況が厳しくなることで5Gを利用する企業側の投資能力が減少するため、それが5G普及に悪影響を及ぼすことが懸念されます。

 その一方で人々の生活様式の変化は、5G普及の追い風になるとみています。例えば教育機関は授業のあり方をガラッと変える必要性に迫られました。新たなテクノロジーにチャレンジしなければならない、という意識の変化は確かに出てきていると思います。

―― 今後、企業にはどのような動きが求められるのでしょうか。

森川氏 大切なことは「土俵に上がる」ということです。5Gのようなネットワークインフラに対して「その技術を使うと何ができるのか」といったパッシブ(受け身)な姿勢ではいけません。今後当たり前の技術になっていくからこそ、自らその仕組みを学んで「どう使うか」を考え続けることが大切です

 そして現在、5Gが進化の過程にあることも念頭に置かなければなりません。4Gを見てもわかるように、「10年前の4G」と「今の4G」では性能が全く違います。着実に進化しているんですよね。5Gの基地局の数が増えれば性能も高まっていくので、その先を見据えて戦略を立てることが重要です。

 5Gは「高性能な最新のパソコン」というイメージです。昔はデスク周りに色々な道具があったわけですが、今やそのほとんどがアプリに変わりつつあります。高性能なパソコンがあっても、アプリがないと何に使うのかわかりませんよね。でも、様々なアプリが出てくることを考えると、やはり性能の良いパソコン、つまり5Gのほうがいいわけです。

 全ての産業セグメントにニーズがあるものの、通信事業者からすると、5Gがどこで活用されるのかわからない。だからこそ、今後はユーザー企業側も先を見越して、開発会社や通信事業者と一緒に5Gの活用を考えなければいけません。

10年先を見据えて取り組めるかどうか

―― 先を見越して取り組みを進めた好事例はありますか。

森川氏 わかりやすい例は、動画配信サービスNetflixです。Netflixが2007年にストリーミング配信を始めた頃、インターネットサービスはADSLが主流だったので、動画を見るにはかなりストレスフルでした。それでもNetflixは「将来、絶対にインターネット通信は早くなる」と信じて続けてきたからこそ、今があるわけです。

 重要なことは、一般の方が「こんなのいらないよね」と思っている段階から10年先を見据えて取り組めるかどうか。今の5Gと状況が似ていると思います。

―― 10年先というと想像が及ばない部分も多そうです。

森川氏 5Gは通信インフラですから、何が起こるかわからない中で模索することも必要です。多くのITベンチャーがサテライトオフィスを置いていることで有名な徳島県神山町も、町内全域に光ファイバーを敷設したことが成功のきっかけだったと言われています。でも、その取り組みを推進していた大南さんは、「(当時は)何が起きるかわかっている人はいなかった」と言われています。できない理由を考えるのではなく、前向きに考えて取り組むことが大事だと思います。

―― 5Gに関して積極的に取り組んでいる例はありますか。

森川氏 ドイツの企業が驚くほど意欲的に取り組んでいますね。例えば、総合化学メーカーのBASF(ビーエーエスエフ)は工場の5Gネットワーク化を進めていますし、フォルクスワーゲンといった企業とも協力しながら取り組みを広げようとしています。

 現段階で5Gが新しい価値を生み出すかどうか、確証を得ることは難しいでしょう。それでも政府の補助や支援に頼るのではなく、民間企業が前向きになって取り組んでいるんです。

―― そういったスタンスは、危機感から生まれてくるものなのでしょうか。

森川氏 いえ、「デジタルファクトリーをつくる」というビジョンからですね。5Gはビジョンを実現するための一つの要素です。デジタル変革の実現に向けて工場のIoT化を行い、リアルの世界で生まれたデータを5Gでやり取りしよう、というわけです。IoTと5Gがうまく組み合わされば、AIに並ぶ画期的なテクノロジーになるでしょう。

―― IoTというと医療や建設といったフィジカルな分野での発展も期待されていると思います。5Gの商用化や昨今の社会変化を受けて、改めて注目している分野はありますか。

森川氏 建設機械の自動化や車の自動運転にみられるように、これまでは現場側で操作していた物の管理機能がセンター側に移っていく可能性があります。5Gの普及が進めば、「現場からセンターへ」という大きな流れが生まれるはずです。

 近年はAR/VRといった技術も発展していますが、これらの多くは端末側に全ての機能が用意されています。端末側で処理を行い、きれいな映像を表示していたわけです。その機能や処理が5Gを介してセンター側に移動すれば、端末側は画面だけが用意されていればいい、ということになります。つまり、5Gが発展すればゲームの端末性能の制約がなくなることも期待できます。

 端末側にあった機能がエッジやセンター、クラウド側に移ることで、現場には最低限の人がいる状態、場合によっては無人でも業務が進むようになるでしょう。こういった仕組みが実現して生産性が向上すれば、労働人口の減少に対する打ち手にもなるはずです。

日本の5G展開 「実はそんなに遅れていない」

―― 国内における5G活用は現在、どのような状況にあるのでしょうか。

森川氏 産業セグメントにおける5Gの活用は、まだまだこれからですね。しかし、「日本の5Gが出遅れている」と言われていますが、私はそれほど遅れていないという認識です。

 一口に5Gといっても、周波数帯によって性能が異なる点に注意しなければなりません。 5Gは大きく分けて「ハイバンド」「ミッドバンド」「ローバンド」の3種類が存在します。日本はこのうちより高い周波数帯の「ハイバンド」などから始めようとしたわけです。

 一方で、全国展開している国は、より低い周波数帯の「ミッドバンド」や「ローバンド」を使っています。「ミッドバンド」や「ローバンド」での5Gの性能は4Gよりも少し性能が良くなった程度のものです。4Gの性能がきわめて高い日本では慌てて「ミッドバンド」や「ローバンド」から始める必要もない、ということも理由だと思います。

 他方で「4Gの周波数帯で5Gを使う」といった動きもあり、2021年には4Gと共用する5Gが始まる予定です。ただ、4Gと共用する5Gでは性能が出ません。したがって、スマートフォンのピクト表示が「5G」のままでは消費者に誤解を与える恐れがあるということで、同じ5Gでも利用する周波数帯によって表示を分けたほうが良いのでは、という議論がなされています。このように5Gの中でも、周波数帯によってインパクトが異なります。

―― 5Gに何を期待するかによって、国内外の状況をどう捉えるかも変わるわけですね。

森川氏 私がお伝えしたいことは二つです。一つは、5Gも絶えず進化していくということ。今の5Gは「大容量通信」ということしか実現していません。数年先に「超低遅延」「多数同時接続」が実現して初めて、本物の5Gが始まったと言えます。

 もう一つは、周波数帯によって状況が異なるので、「日本が一概に遅れているとは言えない」ということ。ハイバンドは性質が光に近づくので、直進性が強まります。すると、建物の中に入ると使えなくなるといったデメリットも生じます。だからこそ、ハイバンドで全国展開を目指すというと、基地局をたくさん用意する必要が出てきますし、どのように基地局を設置すれば良いのかといったノウハウも必要になります。最もハードルが高い周波数帯は、日本の強みを活かせると思っています。

―― 結果的に、日本の通信インフラは品質が高まるのでしょうか。

森川氏 定量的には言えませんが、同じ4Gであっても、日本国内のネットワークは世界トップレベルです。アンテナをどこに建てるか、どの方向にアンテナを向けるか、といったエンジニアリングの技術が優れているんです。

 この調整の繰り返しが極めて大変なので、単に性能の良い機器を使えばいい、というわけではありません。現場にいる職人の能力が結果に反映されるからこそ、5Gも素晴らしいネットワークが出来上がると期待しています。

技術ドリブンでは変革は生まれない

―― 企業が5Gを活用しようとする場合、その技術の違いも見極める必要が出てきそうですね。

森川氏 そうですね。知識はもちろんのこと、意識の違いが出てくると思います。「ダーウィンの種の起源」にあるように、これからの時代を生き残るのは変化できる者です。

 ただ、5GやAIといった新たな技術に踊らされるのではなく、「デジタルファクトリーを創るんだ」というような目的が先にあって、そのために新たな技術をどう使うのか、考える姿勢が必要ですね。この上位概念をきちんと持っているかどうかによって、ビジネスは大きく変わります。そのビジョンを後押しするためのものが5Gを始めとするテクノロジー、というわけです。

 最近盛んに言われているデジタル変革(DX)にもビジョンが欠かせません。でも、そこで生まれてくるものは、必ずしも「今までになかった全く新しいもの」でなくてもいいわけです。例えば、家の中からバーチャルにレースに参加できる「ZWIFT(ズイフト)」。坂道では自転車のペダルが重くなりますし、自分の前に人がいると風量や風圧が減るのでペダルが軽くなります。世界的な自転車の祭典「ツール・ド・フランス」は今年、この仕組みを使ってバーチャルで開催されました。プロのアスリートもバーチャルで大会に参加したわけです。

―― コロナ禍の象徴的な出来事と言えそうです。

森川氏 でも、これはコロナ禍で急遽作られた仕組みではなく、以前から存在していたんです。それがコロナ禍で状況がガラッと変わった。以前であれば、プロの大会がバーチャルで開かれるなんて誰も想像していませんでした。人の考え方が変わったことで新しいチャンスが生まれた、という典型例ですね。

 オンライン会議ツールZoomも同じです。以前から使っている人は使っていたわけですが、コロナ禍で新しいチャンスが生まれてきました。今まだ存在していないもの、というとかなり範囲が限定されてしまいます。人々の意識が変われば新しいチャンスが生まれてくる、ということはビジネスパーソンの方が意識すべきことかもしれませんね。

―― これまでも存在していたものの見方を変える必要があるわけですね。

森川氏 ピーター・ドラッカ―の言葉に、『イノベーションに対する最高の賛辞は「なぜ、自分には思いつかなかったか」である』というものがあります。

 言われてみれば当たり前のことが簡単には思いつかない。一見インパクトがないものであっても、使い手が変われば新たな市場が出てくるんですね。

イノベーションとは「当たり前を生み出すこと」

―― 今の社会状況はニューノーマルと言われていますが、新しいチャンスを掴んだ企業も出てきていますね。

森川氏 そうですね。人間が動けなくなった、動かなくなったことで広がった市場もありますね。例えば、アメリカのStarship Technologiesが開発した配達ロボット。最近は車の自動運転が注目されがちですが、無人で配達できるという意味ではこちらのサービスにも大変注目しています。

 素晴らしいと思うのが、Starship Technologiesのメンバーは、将来こういったロボットが絶対に必要になると強い思いを持って続けてきたことです *1。イノベーションは挑戦したからといって生まれてくるとは限りません。しかし、こういった戦略的忍耐の強いところが勝つ、ということはとても印象的ですね。

―― 設立から約7年というと、かなり色々なリスクやハードルがあったと想像できます。

森川氏 特に新しいテクノロジーを使った新規事業はリスクが付き物です。そういった意味で、新規事業は「海兵隊」に似ていると思います。フットワーク軽く相手の敵陣に飛び込んでいって、失敗してもいいからチャレンジを続ける。そして、それを可能にするのがコーポレートトランスフォーメーション(CX)、つまり組織の変革です。

 テレワークが広まった今では、たとえ5Gを活用したとしても、組織の在り方を変えなければ新たなビジネスは生み出せないかもしれません。これは昔、蒸気機関で動いていた工場を電気に変えたときの状況と似ています。工場に電気を入れるまで、30年くらいかかったと言われています。何故かというと、工場の再設計だけではなく、組織の設計や賃金体系の変更といった「働き方」を変える部分に時間を要したからです。

 新しいテクノロジーやデジタルを使うのは人間なので、人を説得して、そこに慣れさせないといけない。そう考えると、企業が5Gを活用するにあたっては、DXだけではなくCXが重要ですね。CXに時間がかかる点は覚悟しなくてはいけません。

*1  Starship Technologiesの設立は2014年

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