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英国編集部お気に入りのマツダ車

text:C&SC
photo:MAZDAマツダ)/Tony Baker(トニー・ベイカー)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

 
今回は、2020年1月に100周年を迎えたマツダの、英国編集部お気に入りモデル9台をご紹介したい。後半は、マツダ717CからオートザムAZ-1までの5台。読者は、すべてをご存知だろうか。

マツダ717C(1983年)

Julian Balme (ジュリアン・バルメ)

わたしが初めてル・マン24時間レースを観戦したのは、1983年。ニムロッド・アストン マーティンとEMKAポルシェを中心に応援するつもりだったが、少しレトロな見た目のプロトタイプレーサーに目が奪われた。

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マツダ717C(1983年

ニコンがスポンサーの、マツダ717Cだった。グループC2(Cジュニア)クラスで参戦していた小さなレーシングカーは、丸いフロントノーズとリアタイヤ部分のスパッツが特徴。1960年代にフランスチームがエントリーさせていたマシンを彷彿とさせた。

ダウンフォースは限られ、ホイールベースも短く、717Cの運転は難しいものだった。しかし2台ともに最後まで走り抜き、総合12位と18位でゴールしている。

従野孝司と寺田陽次郎、片山義美の3名によるチームは、グループCジュニアでクラス優勝を果たしている。しかし、そのクラスに該当する参戦マシンはマツダのみだった、というオチもある。

独特のサウンドを放って、ツインローターを載せた宇宙船のようなマシンが、サーキットを駆け巡った。比較的単調に終わった1983年ル・マンの中で、ハイライトと呼べる戦いだったと思う。

マツダMX-5(ロードスター/NA型/1989年)

Lizzie Pope(リジー・ポープ)

安直な選択だと思われるかもしれないが、ブランドで最も人気の高いモデルを称賛せずして、マツダの100周年を祝うことはできない。マツダMX-5ロードスター/NA型)の発売は1989年。冷え切ったスポーツカー市場を、一気に活性化させた立役者だ。

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マツダMX-5ロードスター/NA型/1989年

わたしは3代目、NC型のオーナーだから、少し贔屓目がある。でも、ロードスターを運転したことのある人なら、決まって同じような意見が返ってくる。それくらい楽しいクルマだ。

英国のクラシックスポーツカーの良さにインスパイアされたマツダ後輪駆動で2シーターのオープンというコンセプトを受け継ぎ、できるだけシンプルに仕立ててある。

ロードスターの特徴を挙げてみたら、簡単に11個も出てきた。気取らない雰囲気、病みつきになるスリル、軽快なハンドリング、夢中にさせてくれる個性、などなど、どれも4世代で共通している。特に初代NA型の純粋さは、特筆すべきだろう。

NA型は近年価格が上昇傾向にあるようだが、残りの3世代の中古車なら、まだ価格は手頃なまま。身近に楽しめるモデルとして、いいニュースだ。

素晴らしい価格価値と、圧倒的な運転の楽しさ。こんなに素晴らしいクルマを、安直なチョイスだとまとめるわけにはいかないと思う。

マツダ・スーツケース・カー(1991年)

Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)

長時間の飛行機旅行。疲れた身体で入国検査をクリアし、ベルトコンベアーの周囲に群がる乗客の間から、1つのスーツケースをピックアップする。

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マツダ・スーツケース・カー(1991年

そこから都市部へ移動するには、タクシーを捕まえるか、いつ来るかわからないシャトルバスに乗る必要がある。でもマツダ技術者は、もっと良い考えを思いついた。スーツケースに乗って、家まで帰れたら素敵じゃないか、と。

マツダは開発部門内で、誰が最も独創的な移動機械を生みだすことができるのか、社内コンペティションを実施した時があった。いくつかの素晴らしいアイデアと並んで1991年に誕生したのが、スーツケース・カーだ。

マニュアル・トランスミッションの試験研究グループの見事な作品。偉業を責めてはいけない。

7人の技術者たちは、サムソナイト製のスーツケースに、33.6ccの2ストローク・エンジンとシンプルなシャシーを結合。3輪の小さなゴーカートを生み出した。

勇気ある当時の日本のビジネスマンなら、機内荷物の受け取りエリアから空港の出口まで、1分もかからず移動できただろう。最高速度は43km/hで、2時間分の燃料タンクも備えている。

残念ながら、このプロトタイプはすぐに壊されてしまったらしい。マツダの創造力やユーモアのセンスを機能的に表現した、楽しい作品だと思うのだが、いかがだろう。

マツダ787B プロトタイプレーサー(1991年)

Jack Phillips(ジャックフィリップス

1991年ル・マン24時間レースが始まるまで、マツダ787Bのファンは多くなかったはず。前評判はさほど高くもなく、前年まではジャガーポルシェメルセデスなどが優勝を掴んでいた。さらに、プジョーも実力をつけてサルテ・サーキットに戻ってきていた。

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マツダ787B プロトタイプレーサー1991年

しかし、6月23日の夕方を迎える頃には、マツダの名声は一挙に高まっていた。2.6Lの4ローター・ロータリーエンジンは、前例のないほど甲高いサウンドを撒き散らしてサーキットを周回。着実にラップを重ね、多くのファンの予想を裏切る勝利をもぎ取った。

総合優勝を掴んだ787Bの55号車のドライバーは、スター級のジョニー・ハーバートフォルカー・バイドラー、ベルトラン・ガショー。グリーンとオレンジのカラーリングも、忘れられないほどインパクトがあった。

当時のレギュレーションは複雑で、多くのライバルがリタイアするなど、いくつかの好条件が重なったこともマツダ優勝の理由の1つではある。その30年後には、トヨタも似た条件でル・マン優勝を果たしている。

マツダ・オートザムAZ-1(1992年)

Damon Cogman(デイモン・コグマン)

全長わずかに3.3m、全幅1.4mという小さなボディを持つエキゾチック2シーター、AZ-1が売られていたのは、1992年から1995年という短い期間。製造台数は、4392台に留まっている。

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マツダ・オートザムAZ-11992年

同時期に登場した、ホンダ・ビートスズキ・カプチーノは、どちらも3万台前後が売れるヒット作になったのとは対象的だ。

657ccのエンジンとトランスミッションは、スズキ・カプチーノ譲りだったものの、ボディの設計と製造はマツダマツダディーラー網の1つ、オートザムで購入できた。

注目せずにはいられないガルウイングドアだが、機能よりもエキゾチック・ファンタジーの要素が強い。分厚いサイドシルで、開口部も限定的。ドアが上に開いても、乗り降りしやすいということはなかった。

それでも運転席に座われば、マツダがこのミニチュアスーパーカーで何を目指していたのか、理解はできる。エンジンはちゃんとミドシップで、リアタイヤを駆動していた。

少ない製造台数もあって、知っている人の間ではカルト的なヒーロー。知らない人が見れば、その奇抜さに驚いてしまうような、小さなマツダだ。


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