ウェブマガジンRing of Colour』とのコラボレートでお届けする、藤原ヒロシと〝文春砲〟新谷学の〝No忖度〟同級生対談企画。後編はファッションとメディア、それぞれのジャンルを超えた「ブランド論」をお届けしたい。圧倒的熱量による〝究極の雑談〟には、これからの時代を生きるヒントが詰まっている。

JBpressですべての写真や図表を見る

写真=KO TSUCHIYA  構成・文/高村美緒(Ring of Colour)、山下英介

藤原ヒロシが「文春砲」を逆取材!|藤原ヒロシvs『週刊文春』新谷学・白熱対談(前編)

〝ユニクロ〟をどう考えるか?

──​新谷さんの立場からファッション業界って、どのように見えていますか?

新谷 取材対象としては、ある程度有名じゃないとバリューもないし、読んでもらえないですからね。ただビジネスとしては転換期にあることは確かだと思いますが。

藤原 〝ユニクロ〟についてはかなり書かれていますよね。

新谷 〝ユニクロ〟とは最高裁まで争いましたね。勝ちましたけれど。

藤原 覆面取材していたのは『文春』でしたっけ?

新谷 そうです。『ユニクロ潜入一年』というタイトルで。横田増生さんというジャーナリストが書かれたのですが、本名だとバレるから奥さんと偽装離婚して戸籍上の名前も変えて、私文書偽造にならない形で応募して雇われて、アルバイトとして1年間働き続けたんです。

藤原 現代の『ルポ・精神病棟』(※1)みたいな感じですね。

新谷 まさにそうです。体を張って。藤原さんは〝ユニクロ〟とは関わりはあるんですか?

藤原 僕は〝ユニクロ〟を買ったこともないし、この先着ることもないかなと思っています。別に嫌いなわけじゃないし、面白い会社だと思いますが、僕自身が着るか否かはまた別の問題で。僕は高くてもブランドものを着たほうがいいかなって。

新谷 もちろんお仕事の依頼も多いと思いますが、やはりお断りしていると。

藤原 そうですね。僕が〝ユニクロ〟のCMに出ていたら、がっかりする人もいるかな、と思いますし。『文春』と同じで、自分のブランディングとしてもないですね。おじさんたちをお洒落にして、世の中の景色を変えたのは〝ユニクロ〟だと思っているし、社会貢献もしている会社だとは思いますが。

新谷 そのあたりの見極めって、〝格好いいか格好悪いか〟とか〝本物か偽物か〟みたいなポイントがあるんですか? それとも感覚的なものですか?

藤原 本物か偽物か、という基準ではないですね。〝ユニクロ〟も〝ルイ・ヴィトン〟も本物だと思うし。格好いい悪いでもなく、自分に向いているか、向いていないか、という感覚的なものかもしれません。あと、権威主義的というか、上から来るような感じのものは少し苦手です。なんとか賞みたいなものも、自分から欲しいとは思わないです。

新谷 なるほど。藤原さんは、もっとメジャーになろうと思えば、いくらでもなれたじゃないですか。なぜそれをしなかったんですか?

藤原 それは〝たられば〟的な話かなって思いますけれど。僕にはリスクを抱えることへの恐怖心があって、人を雇ったり、叱って教育したり、ということに向いていないというのが自分でわかっているんです。できる限り小さく小さく、好きなときに移動して、好きなときにやめて、というのをやりたかったので。だから会社を大きくするのには抵抗があったというか、自信がなかったですね。

新谷 その結果、藤原さんはどんなに時代が流れても消費されずに、フレッシュに輝くブランドであり続けている。それは戦略的にやってきたんだろうな、と思ったのですが。

藤原 そこまで戦略的ではなくて、自分のキャパシティ内で動きたいっていうのが一番なんですが。

新谷 でも、抱えているプロジェクトの数は膨大ですよね。

藤原 そう言われますが、現在のメゾンブランドのデザイナーのほうが、仕事の量は断然多いですからね。僕なんて、たとえば〝ブラウン〟(※2)で4個時計つくるだけで、たくさん仕事をしているように見られますけれど(笑)。

新谷 藤原さんは近年のブランドビジネスについては、どう感じていますか?

藤原 やっぱり、アイデンティティがすべてにおいて必要ですよね。◯◯らしさというか、パーソナリティというか。流されるとそれを見失うことがあるかもしれませんね。

新谷 確かに。今は本当に激動の時代だから、いろんなことを変えてしまいがちだけれど、一刻も早く変えた方がよいところと、絶対に変えてはいけないところがあるじゃないですか。そこの見極めが少しおかしくなっている。ブランドやメディアに限らず、あらゆる組織がそこを間違うとダメになっちゃいますよね。〝ブルックブラザーズ〟のポロカラーシャツと〝ユニクロ〟のボタンダウンの違いは何か、どこに価値があるのか、みたいな話かもしれません。

 

(※1)『ルポ・精神病棟』──​ジャーナリストの大熊一夫氏が1970年アルコール依存症を装って精神科病院に入院し、その非人道的な実態を暴き出した潜入ルポ。『朝日新聞』の社会面に連載されていた

(※2)〝ブラウン──​モダンなテーブルクロックで知られるドイツの小型電気器具メーカー〝BRAUN〟。2020年に藤原ヒロシ氏のレーベル〝Fragment Design〟とコラボレートを果たした

 

ブランディングとは何か?

──​藤原さんは近年、〝ナイキ〟や〝ブルガリ〟〝モンクレール〟といった、歴史のあるブランドとお仕事をされることが多いと思いますが、大切にしていることはありますか?

藤原 大切なことかどうかはわかりませんが、やりながらわかってきたことは、自分がそのブランドに対してどこまで踏み込んでやるのか、という範囲を見極めることですかね。コラボレートって50:50の関係であるべきだから、相手がよいと思ったことは認めるべきで、そうじゃなければ自分のブランドでやったほうがいいってことになっちゃいますから。お互いの意見をぶつけ合いながらものづくりをするときに、こちらの意見を押し付けず、向こうの意見も聞きながらやったほうがいいと僕は思います。

新谷 今はコラボレートの時代ですからね。猫も杓子もみんなコラボレートしている。

藤原 〝コラボ〟という言葉がすごく広範囲に広がっていて、そんなの簡単じゃないかって言う人もいっぱいいます。確かに誰でもできるかもしれないけれど、誰もやらないから最初にやる人が必要なわけで。

 それは音楽でも同じことで、サンプリングして曲づくりを始めたときに、そんなの誰でもできるって言う人がたくさんいたんです。でもあなたはやってませんよね?って僕はずっと思ってきたんですけれど。

 ファッションも音楽も「サンプリング」という概念が出てきたことによって、文化が変わってきたような気がしますよね。いつ、誰が、どのタイミングでやるかというのが、とても重要になっていると思います。

新谷 確かにそうかもしれません。それによってプロとアマチュアの境界線も曖昧になりました。

藤原 メディアもそうですよね?

新谷 みんなが自分でメディアになれちゃう時代なので。あらゆる情報がフラット化して、一般の人の情報も含めて全部ごちゃ混ぜです。その中で『文春』という看板の下に出ている情報にはお金を払う価値がある、と思ってもらえるには、どうすればよいかということを常に考えています。何をもってわれわれは、プロだって胸を張れるのかということですよね。

藤原 それって『文春』に嘘はない、という自信だと思うのですが、過去に間違った情報を出したこともあったんですか?

新谷 実はほとんど記憶にないんです。これは違うなって思ったら、締め切り目前でページに穴が空くよ、というときでも撤収しますから。一回でも明らかな誤報を出してしまうと、やはりブランドに傷がついてしまいます。

藤原 そこがメディアとしての一番のブランディングですからね。

新谷 以前警察庁長官をやっていた人とご飯を食べたときに、「なんでこんなに冤罪が多いんですか?」と聞いたんです。そうしたら彼は「そりゃあシロくする捜査をしないからだよ」と言っていました。当然捜査員は相手をクロだと思って捜査をするわけですが、それとは別にシロにするための捜査も同時にやると、結果「なんだ、シロじゃないか」とわかることがある。そういう複眼的な捜査が大切だと。

 それ以来、現場には、「俺たちも常にシロくする取材を心掛け、いざとなったら撤退する勇気を持とう、一個でもファクトを間違えて、看板に対する信頼を失ったらメシが食えなくなるよ」って話をしています。

藤原 それがちゃんとされていれば、フェイクニュースだらけの世の中においても、『文春』のお墨付きだったら信じてもいいかな、となるわけですから、大きな強みになりますよね。

新谷 昨年、東京高検検事長だった黒川弘務さんが、朝日や産経の記者と賭け麻雀をやっていたことを『文春』がスクープしましたが、その後朝日新聞社の『月刊Journalism』という雑誌が、どうすれば私たちは信頼を回復できますか?とインタビューしに来たんです。

 そこで私が強調したのは、賭け麻雀や取材源との距離の近さが問題なんじゃない。ディープなネタを取ったのに書かないことが問題なんだと。優先すべきは記事を書くことで、人間関係を維持することじゃないんです。その覚悟を持てるか持てないかが、プロかアマチュアかの違いなんだと。

 私だったら記者を麻雀に行かせて、「黒川検事長独占告白5時間」って、全部書きますよ。朝日新聞も社長直轄で、部署の垣根を超えた精鋭部隊をつくって、政権の調査報道を1年間地道にやり続ければ、風景が変わるのではないかと。

 『The New York Times』(※3)はその姿勢を貫くことでブランディングに成功して、デジタルシフトしても稼げているわけですから。大変僣越ながら、朝日はそこまでやる覚悟があるんですか?と言わせていただきました。

 

藤原 あれは世の中の人は、何に対して怒ってたんですかね? コロナ禍、賭け麻雀、癒着とかそのあたりが曖昧だったから、一般の人は「賭け麻雀していいのか!」なんて、くだらない揚げ足を取っているだけだったように思います。

新谷 うちに関して言うと、癒着がけしからんっていうトーンではなかったですね。むしろ『週刊文春』が目指すものって、人間への興味、好奇心ですから。だから、あんなに注目されている状況で、しかもコロナ禍で緊急事態宣言の最中に深夜2時まで賭け麻雀やっちゃう人だぜ、面白いよなって。

藤原 ちょっとチャーミングなイメージじゃないですか。

新谷 だから後を追ったメディア側、特に大手新聞の受け止め方が、私からすると一番違う方向に行きましたね。やっぱり取材源との癒着はダメだという話になりましたから。それってますます自縄自縛で、ディープな取材ができなくなります。

藤原 そんなことしたら、番記者の意味もなくなりますよね。

 

(※3)『The New York Times』――1851年創刊した、リベラルな論調で知られる新聞。ドナルド・トランプ大統領に就任した2016年から調査報道に力を入れることで、電子版の契約者数が激増

 

藤原ヒロシと『週刊文春』がコラボレート!?

──​ファッションとメディア。それぞれの分野におけるブランド論を伺ってきましたが、藤原さんはご自身そのもののブランディングは意識されてきたんですか?

藤原 全く戦略的ではなかったですけれど、結果的にうまくブランディングしてきたと思いますよ。自分でもそう思います。みんなと遊んでいても、ひとりで「じゃあ帰るね」みたいなことをしても、みんな「なんだよ」と思わずに、「ヒロシはああいう奴だから仕方ないな」っていう(笑)。

 そうだ、今度あれ出しません? 『文春・黒革の手帖』。

新谷 おお〜。本当に黒革でつくったら格好いいな。

藤原 リークがあったネタとか、追ったけどボツになったネタとかを全部書いて。2冊セットで無地のもあって。僕、それ持って芸能人と食事に行きますから(一同笑)。

新谷 藤原さんとコラボできたら素晴らしいですね。

 

パンクと任侠。反骨のふたり

新谷 藤原さんは、どんな少年だったんですか?

藤原 中学のときはパンクに衝撃を受けました(笑)。それまでは、同じ部屋で暮らしていた姉の影響がすごく大きくて。姉が聞く音楽を聴いて、姉が好きな服を着て、みたいな。それがすごくプラスになりましたね。

新谷 地元の三重県では、「セックス・ピストルズ」なんて、どう考えてもメジャーじゃなかったですよね?

藤原 いい具合の反逆の音楽というか。ヤンキーにはならないけれど反体制側ではいたい、というところにパンクがぴったりきたんでしょうね。今でもすごくよく覚えているのが、当時の雑誌にイラストで出ていた、「ベイシティローラーズ」(※4)とジョニーロットン(※5)の比較。どちらもタータンチェックを着ているのに、片やチャラいアイドルと、片や反体制派。そこでパンクのほうをすごい好きになっちゃいましたね。アイビーの〝VAN〟も姉の影響で通りましたが、反体制の格好よさに目覚めたのは、パンクとの出会いがきっかけでしたね。

新谷 私の地元の八王子ではパンクよりも任侠だったな(笑)。中学一年のときにテレビで観た『仁義なき戦い』が、いまだに自分史上の映画ランキング1位ですから。実は菅原文太さんが演じる広能昌三のモデルになった、美能幸三さんにインタビューしたことがあるんです。

藤原 糖尿病で脚を切っちゃった人ですよね。

新谷 本当になんでも知ってますね(笑)。

藤原 僕、一回対談しませんかって言われたんですよ。

新谷 ええ〜! 

藤原 誰かの知り合いだったのかな? でもそういうタイプの人なんですよね。ちゃんと出て喋れるというか。

新谷 インテリなんですよ。もう亡くなってしまいましたが、仲良くなって何回か呉に行ってお会いしました。美能さんには映画の中に出てくるようなセリフを面と向かって言われました。「喧嘩いうんは、狙われるもんより狙うもんのほうが強いんじゃ」とか(笑)。

 映画と同様に、背中に鯉の刺青が入っているというから、「なんで鯉なんですか?」と聞いたら、「喧嘩にこい、女にこい、博打にこい。だから鯉なんじゃあ」と仰っていました(笑)。

藤原 そういう人だったんですね。新谷さんは、現在そういう方面の交際はあるんですか?

新谷 いや、ゼロです。今は全然ないですね。

藤原 本当ですか? あったらダメなんですか?

新谷 ダメかどうかは難しいけれど、今のような時代では叩かれるでしょうね。

 そういえば、以前その筋では有名なヒットマンに取材をしたことがあります。それまでに6人殺したけど、一度も事件になってないなんてことをサラッと言うんです。彼はもともと家庭に恵まれず、グレてゲーセンで喧嘩していたときに出会った、地回りのヤクザに事務所に連れて行かれてメシをご馳走になったことがきっかけで、その世界に足を踏み入れたと言っていました。そして、その時のメシの味が今でも忘れられない、と。だから自分の組では、いつでも電気ジャーに炊きたての米を用意しておくようにと、若い衆に言ってるんですって。ちょっといい話になっちゃいましたね(笑)。

藤原 今のHIP HOP界にはそういう子たちが多そうだし、面白いし、『文春』でルポを連載したらいいんじゃないですか? 今は不良=暴走族ヤクザではなく、不良=ラッパーみたいな図式もあると思うので。彼らは、言葉もしっかりしているし、面白いんじゃないですか?

新谷 それは興味深いですね。事件って表と裏の狭間で起きることが多いから、本当は両方知ってた方がいいんですよ。私たちの仕事って、いろんなところに出かけて人に会って、この人からこんな話聞いて、あの人からあんな話聞いて、それらをガチャンと合わせると、思わぬ化学反応が生まれたりする。だから面白い人とは偏りなくどんどん会って、ジャンルを超えて世界を広げていく。それを30年以上続けてきたことが、私の編集者としての一番の財産なんですよね。

藤原 そういう意味では、僕も似ているところがあるかもしれません。

新谷 人とのお付き合いの仕方が、フラットですよね。

藤原 それもそうですけど、好きなことは右でも左でも関係ないというか。ファッションでも、アンダーグラウンドから大メジャーまで面白いと思うし。新谷さんこそ、会社の中で慕っている人がいっぱいいそうなイメージですが。

新谷 いつも向かうところ敵だらけって言ってますけどね(笑)。こういう形で言いたい放題、やりたい放題で、誰にも頭を下げませんから。ただ、自分より若い連中のことは可愛いですね。

藤原 新谷派閥とかあるんですか?

新谷 体育会のノリで男で集まるのが好きなので(笑)、男ばかりです。擬似任侠集団みたいなところがあって、さっきの元少年Aの直撃取材でもそうですが、「骨は拾ってやるから行ってこい」と。

 でもそうするためには、日頃から「あの人のためなら」と思ってもらえるように生きることがすごく大事なんです。藤原さんにだって、案件ごとにそういう人はいますよね?

藤原 変な話、僕に頼まれたらやるしかないな、と思ってくれる人はいっぱいいるかなとは思っています。あんまり頼むことはありませんが。

新谷 頼まれた人、大喜びでしょう。藤原ヒロシに何かを頼まれること自体、ものすごい価値じゃないですか。

藤原 じゃあ酒鬼薔薇取材、行かせますか(一同笑)。

 

(※4)「ベイシティローラーズ」──​1970年代に活躍したスコットランドのアイドルロックバンド。タータンチェックをあしらった衣装で知られ、若い女性たちから人気を集めた

(※5)ジョニーロットン──​パンクバンド「セックス・ピストルズ」のリードボーカル、ジョン・ライドンの愛称。「ロットン(rotten)=腐っている」とは、メンバーから汚い歯を指摘されたことに由来する

 

合言葉は〝NO FUTURE〟!

新谷 それでも苦手というか、合わない人っているんですか?

藤原 会ってもつまらない人はいますよ。自分のことしか話さない人とか。僕は自分が何をしてきた、とか話すよりも、世の中でおきた事件やトピックについて語るのが好きなんです。

新谷 藤原さんは評伝(『丘の上のパンクー時代をエディットする男・藤原ヒロシ半世紀』)(※6)こそありますが、いわゆる自伝もないし、自分の言葉はほとんど残されていないですよね。

藤原 そうですね。それはみんなに語ってもらえばいいかなって。『丘の上のパンク』も、ゲラチェックはしましたけれど、本になってからは一度も読んだことがないんです。

 

──​この本に出てくる周囲の人々の証言に関しては、藤原さんがまったく修正を入れなかったという話を聞きましたが。

藤原 「これは違うよ」って怒っている人もいましたけれど。僕はたとえ記憶違いだったとしても、その人がそう思ったのであれば、それがその人にとっての真実だから、そのまま使った方がいいよって。

新谷 やっぱり、一本筋が通っているんですね。パンクのルーツを感じさせるというか。

藤原 いや、全くなんですけど、パンクには〝NO FUTURE〟という免罪符がありますから(笑)。これは結構強いですよ。明日はないんで。

新谷 この言葉があれば、何を言われても気になりませんね。

藤原 僕は人の意見は受け止めますが、悪く言われることはあまり耳に入ってこないんです。僕はネットで自分のことを絶対検索しないし、見ないから。

新谷 エゴサは私もしませんね。しかし「ネットにまた〝死ね〟って書かれてましたよ」なんて現場の連中に言われたりしても、「大丈夫、俺〝NO FUTURE〟だから」って(笑)。すべてを無力化してくれる言葉ですね。

 

(※6)評伝(『丘の上のパンクー時代をエディットする男・藤原ヒロシ半世紀』)──​今はなき天才エディター川勝正幸氏が編集し、2009年に小学館から出版。本人のインタビューに加え、約70人の証言や膨大な資料からの引用を通して、藤原ヒロシ氏の半生を焙り出した力作

                         

対談を終えて

新谷 学

 力の抜け方が普通じゃないですよね。だから目が澄んでいて、時代の空気を肌で感じることができる。自分のスタイルを崩すことなく、絶好球だけをジャストミートしている印象です。私は間逆で、力任せにビーンボールにも手を出して、ホームランも打つけど三振して尻餅をつくこともある。ただ偉そうな人間に頭を押さえつけられると、徹底的に反抗するのは共通点だと思いました。面白いコラボの要諦は、対極にあるようでいて、同じ価値観、熱量の相手と組むことだと思います。その時はじめて、見たことのないような素敵な化学反応が生まれる。ヒロシさんとコラボできたら嬉しいですね。

 

藤原ヒロシ

 違う世界で違う時間を生きてきたと思うんですが、どこか共鳴するところがあるんですかね? 
 何気ない会話を、ふたりして上手に対話に変えていくというか、探りながらのそのプロセスが楽しかったです。
 次に会う時は、きっともっと深くお話ができると思うので、楽しみです。新谷さんの道徳観の境界線を探りたいです(笑)。「新谷の彼岸」をテーマに。

 

 

PROFILE

しんたに・まなぶ(編集者

1964年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、1989年株式会社文藝春秋に入社。『スポーツ・グラフィック・ナンバー』『マルコ・ポーロ』編集部、『週刊文春』記者・デスク、『文藝春秋』編集部などを経て、2012年に『週刊文春』の編集長に就任。圧倒的なスクープ力で、同誌を日本を動かすメディアへと成長させた。2020年より週刊文春編集局、ナンバー編集局担当の執行役員に就任。その劇的な半生は柳澤健氏によるノンフィクション『2016年の週刊文春』(光文社)に詳しい

 

ふじわら・ひろしFragment Design)

1964年三重県生まれ。1982年頃からロンドンやN.Y.に渡航し、パンクやヒップホップといった最先端カルチャーの中心人物と交流を深める。1980年代前半からは東京のクラブシーンに新風を吹き込むミュージシャンとして、1980年代後半〜90年代前半からはストリートやアートに根づいたファッションを生み出すプロデューサーとして、東京のみならず世界のカルチャーシーンに絶大な影響を及ぼす。近年ではデザインスタジオ「Fragment Design」名義で、世界的なメゾンブランドやナショナルブランドとのコラボレートを数多手がけている。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  小松原美里&尊組が挑む、日本のアイスダンスの将来のための舞台

[関連記事]

藤井聡太、羽生善治…一流棋士が将棋の道に進んだ意外な理由

ラグスポ人気で需要が増した、時を切り取るクロノグラフ機能