(篠原 信:農業研究者)

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「社会に出たらそんなことじゃやっていけないぞ」

 そんな物言いは、ごく日常的に耳にするし、今更疑問視もしないだろう。だが不登校ひきこもりの当事者には、もしかしたら恫喝にしか聞こえないかもしれない。

社会とは、他人だらけの海

 不登校ひきこもりになっている子ども(あるいは大人)が、重々承知していることがある。順番通りであれば親が先に死に、いつか自分の力で稼ぎ、生きていかなければならないことを。そのためには社会と呼ばれる「第三者の海」に飛び込み、その中で泳ぐ術を身につけねばならないことを。

 しかし、今の子ども達は第三者と関係を結べる場所が、学校に限られている。もし不登校になったら、その子どもは、第三者と関係を結べる場所を失ってしまう。昔はご近所に自営業の人も多かった。子どもは第三者の大人に触れる機会も多く、大人から「ちょっとうちの店を手伝ってくれないか」と声をかけることだってできた。

 唯一の居場所であるはずの家も、安寧の場ではない。親はいつか先に死ぬから、子どもには自活できるようになってほしい。だから焦る。第三者と関係を結ぶ訓練ができる唯一の場所―学校―に通えと子どもに迫るしかない。追い詰められた子どもは、不登校となり、ひきこもりとなる。

 大人は子どもを叱咤激励するつもりで「そんなことじゃあ社会に出てやっていけないぞ」と口にする。その言葉は、その通りかもしれない。社会とは、赤の他人だらけ、第三者の海。そこで生きていこうとしたら、この海の泳ぎ方をマスターするしかない。

励ますどころか酷な言葉

 以前、不登校を改善するには「第三者による子育てアシスト」が非常に強力であることを述べた。

(参考記事)不登校にも効果!子育てに不可欠「第三者の力」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58764

 不登校ひきこもりになっている子が恐れていること、不安で仕方ないことは何か。それは自分を無条件で肯定してくれる第三者はいないのではないか、ということだ。

「社会に出る」。私たちが疑いを持たないこの言葉は、第三者の海の一員として働き、稼ぐ、という意味であると同時に「第三者に役立つサービスや商品を提供できないヤツは要らん」というメッセージも含んでいる。

 第三者の海の入り口である学校でつまずいてしまった子どもは、この言葉をどう受けとめるだろうか。学校で人間関係がうまくいかず、自分を肯定してくれる第三者も周りに見つからない。学習性無気力となり、「もう、どうせ私には無理」と状況を打開する努力すら行わなくなってしまう。第三者とよい関係を結べる自信を失って当然だ。こうした子たちには、これは冷酷な言葉だ。

第三者の寄り添いで不登校児が変わる

 私は先ほどの記事中、不登校の子どもにとっての「存在を肯定してくれる第三者」になろうと試みた経過を書いた。とは言え積極的に声をかけたり、褒めたりなどの「無理」は重ねていない。学校に行けともいわない。こうしたほうがよい、などと指示したりもしない。ただ「君と一緒に過ごす時間が心地よいよ」ということを、言葉ではなく、態度で示し続けただけ。

 第三者がこうした接し方をすることには、大きな意義がある。第三者でも自分を拒絶することなく、一緒に過ごすことを楽しんでくれる人がいる、自分の存在を肯定してくれる人がいる、ということに、子どもが自然と気づけるからだ。

 変わっていても、ちょっと人と違っていても、いいじゃないか。あなたといると楽しい。さあ、一緒にこの時間を、この空間で一緒に過ごそう。そう言ってくれる第三者に、一人でも出会えたら。不安を抱えた子も「第三者の海に漕ぎ出る勇気」を少しずつ取り戻していけるようだ。

存在を認められて、自分を肯定できた

 忘れられない体験がある。若き日の私は、高知に一人旅に出た。海辺でキャンプすると、強風と強雨でテントの中までずぶぬれ。私は疲れ果て、バス停のベンチに腰掛け、雨に濡れるに任せていた。

 すると私を見かけた年配の女性が「おいで。ともかくおいで」。言われるまま家に招じ入れられると、「ダンナに言っておいたから。私は用事があるからバスに乗るけど、すぐ戻るから」と言って、出かけて行った。ご主人が姿を見せ、「風呂を用意しているから、入りなさい」。

 風呂から出ると、料理が。「食べなさい」。そのうちご近所の方も参加して、飲み会に。奥さんが戻って「晩御飯食べていきなさい」。頂くと、「今日はもう遅いから、寝ていきなさい」。朝起きると、荷物はすべて乾かしていただき、畳んでも下さっていた。出かける時には、お弁当まで。別れ際には「高知に来たら、またうちに寄ってね」。

 私が、生きていること、人間という生き物を肯定できるようになった、とても鮮烈な体験だった。そのままの自分を受け容れてくれる人がこの世にいる。この世界は、そんなに恐ろしげなものでも、何でもない。

助け合いの連鎖が育む、人と関わる力

 実は、この一人旅は、父の昔話を聞いてやってみようと思ったものだ。若い頃自分に自信が持てずにいた父は、あてもなく一人旅に出た。

 午後3時くらいに水を求めて農家を訪れると大抵はおやつの時間。「まあお茶でも飲んでいきなさい」とよく言われたらしい。お年寄りの話をじっくり聴いていると、嬉しくなったお年寄りが、日が傾く頃には「泊まる所は決まっているのか? そうでないならうちに泊まっていきなさい」と言い、晩御飯をいただいた上に泊まらせてもらえることが多かったという。

 泊めてもらったお礼にと、お年寄りでは難しい高いところの修理や、重い荷物運びなどを申し出れば感謝され、「近くに来たらきっとまた寄りなよ!」と言われたそうだ。私も、それに近い体験を重ねた。

社会との関わり方は一つではない

 こうした一人旅の体験を通して思うのは、「社会に出たらそんなことじゃやっていけない」という言葉は、やはり恫喝だ、ということ。

 第三者の海の泳ぎ方をマスターできなくても、私たちは生きていける。大海原まで漕ぎ出せなくても、穏やかな浅瀬には浅瀬の生き物の営みがある。「社会に出たら」の「社会」との関わり方は一つではないはず。

 自分に何かをしてくれたお礼に、その人には難しいことをやってあげる。目の前の人とそうした関係を築ければ、それなりに生きていられる方法が見つかる。旅に出る前よりも所持金がむしろ増えたという父の経験が何よりもの証左だ。食べさせてもらい、泊めてもらったうえに、お小遣いまでくれる人がいたのだから。

北海道・沖縄・四国の共通点

 不登校の子が旅に出ると、そうした「肯定的な第三者」に出会いやすい場所が3カ所ある。北海道、沖縄、四国。

 ある不登校の子どもが、北海道ライダーハウスの隅っこにいた時のこと。まわりの大人が食事に誘ってくれたという。その子は人との会話に苦手意識があったが、黙って場を共にしているだけなのに、話の輪に入れてもらっている感覚があり、とても居心地がよかったのだという。それからその子は北海道にはまり、道内のホテルで裏方仕事をして暮らすようになった。働きぶりが認められ、接客係を勧められたら逃げ出して、別のホテルで裏方の仕事を始めたと言っていたけれど、居心地がよいようだ。

 沖縄に行ったひきこもりの子は、「働ける場所がありませんか」と、会う人会う人に声をかけたらよい、という入れ知恵どおりにしているうちに、素潜りで貝を採る仕事に誘われて、そのまま居ついた。

 四国は、お遍路の文化もあって旅の人をもてなすことがごく普通に行われている。

肯定的な第三者と遇える機会を増やせ

 今は、どこも新型コロナで旅をすること、人と接触することが難しいから、こうした旅を勧めることもためらわれる。だが、一つ言えることは、「肯定的な第三者」に出会える機会を、いかに増やすかということだ。

 所詮私一人でできることはたかが知れている。この記事を読んで下さった誰かが、不登校引きこもりの子ども、若者に「肯定的な第三者」として接してくれたら、彼らは、ずっと生きやすくなると思う。孤立して苦しむ家庭にも、状況を改善するきっかけが増えるのではないか。

 子育ては、親だけでできるものではない。第三者による子育てアシストがあってこそ、子ども達は第三者への海へと泳ぎ出すことができる。あなたの力を、少し貸してほしい。

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