■生体情報センシングとデジタルヘルスが牽引する医療DX
 IoTやAI、ビッグデータ解析などを基盤とするDX(デジタルトランスフォーメーション)は、単なるIT導入による業務効率化や個別最適化といった既存価値の向上に留まるものではなく、これまで実現困難だった新たな体験価値の創出と提供に、その本質があります。このことは、医療やヘルスケア分野において、顕著に現れています。
 例えば、多くの人にとっては、症状が出てから病院を受診したり、定期健康診断で健康リスクを把握したりすることが一般的だったと思いますが、近年、ウェアラブル機器など家庭でも使える生体情報センサデバイスが普及したことで、体温や血圧、心電図、活動量や睡眠状態、血中酸素飽和度、脳活動状態などの日常的な健康状態記録(ライフレコード)が手軽に得られるようになりました。日々の生体データの微妙な変調を察知することで、これまでより早期に的確な受診をすることが可能となり、疾病リスクのさらなる低減につながるのです。
 こうした生体情報センシングに基づく「デジタルヘルス」は、通信でデータ共有できるウェアラブル機器やクラウド、AIがヘルスケア分野で一堂に会する2010年代半ばが成長の原点となり、今日まで飛躍的な発展を遂げています。

(1)体液・細胞の生化学センシングも可能に
 これまで生体センサといえば、体表の計測が主流と思われてきましたが、体液サンプルの計測もデジタル化・クラウド化が進んでいます。糖尿病患者が自身の血糖コントロールのために用いる血糖値センサは、従来、指先などに針を刺して血液からセンシングするため、痛みを伴うなどの問題点がありました。2018年、英国バース大学の研究チームは、パッチを皮膚に貼るだけで皮下間質液(細胞と細胞の間に存在する体液)中のグルコース値を連続測定する非侵襲のシステムを開発しました。スクリーン印刷技術によってパッチにセンサを網の目のように整列させ、電気浸透抽出による組織間質液を摂取し、微弱な電流を流してグルコース値を測定するものです。
 一方、名古屋大学の新津葵一准教授は、2018年コンタクトレンズ型の発電・センシング一体型血糖センサを開発しました。これは酵素を活用したバイオセンサで外部からの給電は不要。グルコース発電素子が電力源(トランスデューサ:化学エネルギーを電力エネルギーに変換)とバイオセンサの両方の役割を担っています。コンタクトレンズの装着という低侵襲性で持続的測定ができ、より多くの人が簡便に自身の血糖値を把握可能になると期待されます。

(2)飲めるセンサチップや生きた細胞を用いたバイオセンサも開発済み
 米国Proteus Digital Health社は、バッテリーを内蔵しないシリコン製の無線ICチップを、薬剤の表面に貼り付けた体内摂取可能なセンサ(デジタルメディスン)を提供しています。患者が薬剤を飲み、センサが胃液と接触すると、センサが体内から「人体通信」(誘電体である人体内部や人体表面の数cmを覆っている静電気の層を通信媒体とする)により、薬を飲んだという情報を送信、患者が身に着けた無線端末を介してスマートフォンなどへ情報転送され、薬剤の服用を正確に把握・管理することができます。
また、マサチューセッツ工科大学の研究チーム2018年、消化管内出血を検出する経口カプセル「バクテリア・オンチップ」を開発しました。カプセル内には、血液成分であるヘム鉄に反応して発光するよう遺伝子組換えされた大腸菌と、その光を検出して体外のパソコンスマートフォンなどへ人体通信で伝えるバイオセンサがパッケージングされています。これが実用化できれば、内視鏡検査することなく、出血の有無が確認可能となり、患者の負担が軽減されると期待されています(*1)。

(3)5Gとクラウドで高度な分析も可能に
 米国クラウドマインテクノロジーズは、5G通信網によってデータクラウドアップするタイプクラウドAIラマン分光計測器や、パームサイズクラウド超音波診断機器を発表しており、「クラウドロボティクス」のキラーアプリ開発を進めています。今後、スマートフォンクラウド上の様々な化学分析サービスモバイル検査ツールとして活用されるかもしれません。専用のカートリッジやドライバソフトを組み込むことで、自分の唾液や汗などのデータを取得して、クラウドAIにデータを送ると、即座に分析結果がスマートフォンやPCのマイページに返ってくるというサービスが考えられます。スマートフォンでがん検診ができるキットが登場するかもしれません。

(4)ビッグデータを用いたAI創薬
 ビッグデータの医療応用の重要な目的の一つが、創薬のイノベーションです。一品目あたり1千数百億円(*2)から3千億円(*3)かかるとも言われる長期の高コストの創薬プロセスを、AIを用いて迅速、低コストに抑えること、また、現状では適切な治療薬が存在しない希少病・難治性疾患に対するオーファンドラッグ(孤児薬:希少疾病用医薬品)の創製などです。薬効評価のために条件に合う被検者を募り、時期を調整した計画を立てねばならない治験に替り、電子カルテや生体センサなどの実臨床を反映した「リアルワールドデータ」の利活用によって大幅な効率化、低コスト化、迅速化が期待されます。さらに、数百万種の化合物ライブラリの中から人手でスクリーニングを行って候補物質(リード化合物)を絞り込む代わりに、深層学習や共分散構造解析(SEM)、自己組織化マップ(SOM)など多変量解析の手法により、仮想空間内で数百億通りの分子結合のシミュレーションを超高速で繰り返す「バーチャルスクリーニング」をすることで、より速くより有効な標的分子探索・毒性予測に繋がる可能性があります。

(5)ベンチャーの活躍が目立つAI画像診断
 AIの最も得意分野と言われる画像診断は、オーストラリア放射線科クリニックを展開する Capitol Health 社が、米国のスタートアップEnlitic社と提携して、X線画像診断を提供したことから始まりました。Enlitic 社は、医療分野に特化した深層学習Deep Learningプログラム開発ベンチャーで、X線やCTスキャン超音波検査、MRIなどの画像から「肺がん」や「骨折」などの正確な部位を判別する画像認識アルゴリズムを開発しました。ConvNet(畳み込みニューラルネットワークCNN:Convolutional Neural Network)と呼ばれる深層学習の一種によるものです。
 日本では、東大発ベンチャーのLPixel株式会社が、脳動脈瘤などの画像診断において、深層学習と能動学習(active learning:機械が識別困難な画像を重点的に教示する)による画像学習効果の高効率化を進めています。同社は、2019年深層学習を活用した脳動脈瘤画像診断支援を行うプログラム医療機器として国内初の薬事承認を取得しています。

(6)脳インターフェース
 日立グループをスピンアウトした株式会社NeUニュー)は、近赤外分光分析法を用いて脳血流量の変化を捉える光トポグラフィ測定装置をウェアラブル化し、自動車運転中のドライバーの脳の活動状況と安全性との相関を調べたり、自動車ファッション、食べものなどの色やデザイン、味や機能などの印象を調べたりと、様々な分野の新製品開発に利用され始めています。
 一方、大阪大学産業科学研究所の関谷毅教授の研究室では、導電性ストレッチャブル配線や低消費電力無線技術を用いて、額に貼り付けるだけで、大型医療機器と同等の計測精度を有するパッチ型脳波センサを開発しました。本センサのみで、アルツハイマー型認知症患者と健常者の脳活動を区別できます。また、脳波を使って、ロボットを動かす実験にも成功しています。

(7)デジタルツイン化される生体情報
 イスラエルRealView Imaging社は、患者の生体組織画像を空中投影型3Dホログラムとして提示し、ホログラムスタイラスや手で触れ、向きを変えたり回転させたりできる技術を持っています。手術対象を事前に詳細に検分して、処置時間の短縮や術前に見えない部分の癒合などの障害に気づくなどの期待があります。

(8)いよいよ全盛期に入るデジタルヘルスと医療DX
2021年現在、デジタルヘルスは医療現場だけでなく、フィットネスやスポーツトレーニング、家庭や企業等での簡単な健康チェックストレス・疲労度チェックなどで活躍しています。筋肉周辺の電位(筋電)は、脳から指令のあった手足の動きを再現するインテリジェント義肢も利用されています。さらには、腸内細菌叢と疾病リスクの相関解析や、ビッグデータを用いた有機化合物マテリアルインフォマティクス(MI)、パンデミックワクチンなどAI創薬にも威力を発揮すると期待されています。

■世界の特許から見る医療DXの動向
 2009年初以降に出願された世界の医療・ヘルスケア分野のDX関連特許群約83,000件(医療DX母集団)を定量的に解析した結果を以下に示します。本母集団は、医療・ヘルスケアと、IoTクラウドブロックチェーン、AI・ビッグデータ解析、VR/AR/MR(MixedReality)、ロボットなどの情報通信・情報処理の両面の要素を含む技術集合で構成されています。

(1)出願件数上位企業と出願例
 企業単位の出願件数ランキングでは、Samsung Electronics(韓国)の4890件がトップKoninklijke Philips(オランダ)、Siemensドイツ)、Intuitive Surgical(米国)と続き、上位10社までに、米国企業5社が名を連ねます。日本は、7位にキヤノンが入るほか、上位50位までに日本企業6社が含まれています。下表には、件数だけでなく、特許の質の高さを定量的に評価する弊社スコアリングシステムによって、母集団の全特許をスコア化し、各社ごとに最高のスコア値(エッジ指数)とエッジ指数を示した特許の公報番号と技術内容を表示していますが、医療ロボットや画像処理に関する特許が多く、これらの分野には、質の高い技術が多く有していることが示唆されます。

世界の医療DX関連特許の出願人ランキングと出願例

(2)国別出願件数年次推移
出願人・譲受人の帰属国は90カ国に及びますが、中でも米国と中国が2015年以降、大きく伸びており、中国が米国を猛追しています。また、韓国の追い上げも目立ちます。それらに次いで、日本、ドイツオランダが続きますが、米・中・韓3国に大きく差をつけられています。
 中国は、2006年に国務院が科学技術・イノベーション政策の長期的な基本方針である「国家中長期科学技術発展規画綱要(2006-2020年)」を発表しており、医療・バイオ分野もAIなどとともに重点領域としています。韓国は多くの先端分野で中国を追う動きをしています。

(3)分野別出願件数年次推移
 医療DX母集団の国際特許分類(IPCおよびCPC)の多かった16分野の件数推移を示します。














 2015年以降、デジタルヘルスの基幹技術群であるA61B(診断・手術・個人識別)を筆頭に、G16H(ヘルスケアインフォマティクス)、G06F(電気的デジタルデータ処理)、G06K(データの認識・表示・記録)、G06T(イメージデータ処理)、G06N(機械学習・計算モデル)の伸びが顕著です。これらに次いで、B25J(ロボット)、G06Q(管理システム・金融・ブロックチェーン)、H04W(無線通信ネットワーク)、H04L(デジタル情報の伝送)が伸びています。

(4) 各国の出願分野の分布状況
 出願件数上位12カ国について、各国の出願分野の分布を調べた結果、韓国以外では、A61B(診断・手術・個人識別)が最も多く、G16H(ヘルスケアインフォマティクス)がこれに次ぐ順位でしたが、韓国では、H04W(無線通信ネットワーク)が最も多く、A61B が次点、3位はH04L(デジタル情報の伝送)、G16H は4位。H04B(信号伝送)も他国に比べ多くなっています。このように、韓国では情報通信分野が特徴的に優勢になっています。

(5)医療DX関連の最新の出願例
2019-20年出願の最新特許の例を以下に示します。診断機器や手術ロボットロボット制御用脳インターフェース、MRによる3Dホログラムのほか、IoTによる投薬制御や薬品製造プロセス、人体通信や5G通信によるIoTブロックチェーンによるセキュリティ向上、医療ビッグデータ処理、医療用フィンテックなど広範な技術を含んでいます。

■未来への動き:非接触センシング、脳インターフェース、知覚と身体性の拡張
(1)ウェアラブルからカメラ・非接触センシングの時代へ

 今後、生体情報センシングは、ウェアラブル機器から非接触のデバイスが主流となる可能性があります。千葉大・津村徳道教授らは、カメラで撮影されるだけで、皮膚の色の変化から血流を読み取り、その色の変化のリズムから心電図を再現したり、表情の変化から脳活動を評価したりする研究も行われています。

(2)テレパシーのように、脳から脳へメッセージを送るブレインネットワーク
 バルセロナ大学の研究チームは、2014年、脳波測定(EEG)と経頭蓋磁気刺激法(TMS)を組み合わせた脳と脳をインターネットで繋ぐコミュニケーション方法を開発(*4)。
 2019年には、ワシントン大学とカーネギーメロン大学の研究チームは、EEGとTMSを組み合わせた「ブレインネット(BrainNet)」を発表しました(*5)。

(3)患者の神経細胞を用いた脳チップで脳神経疾患治療も
 患者の海馬組織の神経細胞を用いた脳チップなどを人工臓器(プロテーゼ)として脳内に埋め込み、アルツハイマー病など神経変性疾患の治療に応用しようという研究もあります(*6)。

(4)五感センシング
 音声や画像に加え、ヒトの感覚・知覚情報を交換・共有することが可能となれば、テレプレゼンス・テレイグジスタンス(遠隔臨場制御)によるテレワーク、遠隔医療、教育、エンターテインメント等幅広い応用が期待されます。

(5)網膜投影により、超視力に
 日本のQDレーザ社は、MEMSミラー搭載のメガネ型レーザプロジェクション装置(レーザアイウェア)を開発しています。網膜投影技術は弱視克服だけでなく、健常者を超える超視力を得られる可能性もあり、生体機能の拡張(サイバニクス)や超人化(augmented human)にも繋がります。

(6)多機能なAI補聴器がもたらす超聴力
 米国Starkey Hearing Technologies社は、補聴器でありながら、3DセンサとAIを搭載、言動をモニタリングして身体と脳の健康状態をトラッキングする機能、ホームシアター高音質、転倒通知機能、リアルタイム翻訳機能などを備えた「Livio AI」を発表しています。聴覚の補完というだけでなく、健康の維持や、さらには教育や、エンタメ要素も入っており、有用なインテリジェントデバイスへとイメージを大きく変えています。

(7)身体性の拡張
 テレプレゼンスロボット「OriHime」(株式会社オリィ研究所)は、ヒトが遠隔で操作する分身(アバターロボットロボットを操作するパイロットは、重度の障害を持つ方々。遠隔地から視線入力などの方法でロボットを操作、合成音声を使って会話ができます。身体が自由に動かせない人々に、遠隔での人とのふれあいや仕事を可能にするのです。

(8)人機一体型スポーツ:サイバスロン、超人スポーツ
 2016年スイスで始まったサイバスロン世界大会は、ヒトがコンピュータやAI、ロボットなどと一体化(人機一体)で勝負する競技。日本発の超人スポーツは、よりエンタメ性を強めたゲームスポーツ

(9)育児や癒し、STEAM教育への応用
 コミュニケーションロボットおもちゃは、様々なセンシング機能とコミュニケーション機能を搭載することで、STEAM教育(Science・Technology・Engineering・Mathematics・Artの統合的学習)への応用も考えられます。

(10)都市OSとしての医療DX
 コロナ禍の中、非接触やサーベイランスなどのデジタル技術が注目されています。非接触で素早く多くの人をチェックできるデジタルヘルスの技術を、都市のインフラ化することも考えられます(*8)。

■おわりに
2050年には、日本だけでなく、地球上の多くの国や地域で、60歳以上の人口の割合が30%を超える超高齢化社会になると国連経済社会局は予想しています(*7)。健康寿命を延ばし、健康長寿社会を実現することが、未来に向けて解決していくべき大きな課題となっています。医療・ヘルスケアのDXは、健康リスクの低減はもとより、加齢によって衰えることを避けられない知覚や身体能力を補完し、場合によっては、若い健常者以上の能力を発揮することさえ可能になるかもしれません。100歳現役時代を迎えるにあたり、不可欠のテクノロジーであり、ポストコロナの世界にふさわしい希望の道ではないでしょうか。
(アスタミュー株式会社 テクノロジーインテリジェンス部 部長 川口伸明)


参考文献
*1:MIT News Ingestible “bacteria on a chip” could help diagnose disease
*2:Nature Reviews Drug Discovery, 11, 191–200, 2012
*3:Tufts Center for the Study of Drug Development, 2014
*4:Carles Grau et al., PLoS ONE 9(8) : e105225., 2014
*5:Linxing Jiang et al., Scientific Reportsvolume 9, Article number: 6115, 2019
*6:Robert E Hampson et al., 2018 J. Neural Eng. 15 036014; DOI: 10.1088/1741-2552/aaaed7
*7:UNDESA, “World population prospects: the 2015 revision”, 2015.
*8:東京都ポストコロナにおける東京の構造改革 ~ デジタルトランスフォーメーションを推進力として ~」有識者会議
(提言書)https://www.seisakukikaku.metro.tokyo.lg.jp/basic-plan/20201030teigen.pdf
(意見集)https://www.seisakukikaku.metro.tokyo.lg.jp/basic-plan/20201030ikenshu.pdf
(公式NOTEhttps://note.com/kouzoukaikaku/n/n22b477843838

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