小正月(1月14日~16日)の火祭りとして知られるどんど焼き。前編では、その起源とされてきた三毬杖=左義長が、実はどんど焼きよりも新しいものであり、どんど焼きは古墳時代ごろから続く古い祭りである、ということを説き起こしました。しかし一方、三毬杖に見られる毬杖を三本組み合わせた櫓は、実はどんど焼きの深層を解き明かすヒントがこめられているのではないか。後編ではいよいよその謎解きに突入します。
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正月満月の空に燃え上がるどんど焼きの炎

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そこにもここにも鳥・とり・トリ。原始、鳥は太陽だった

小正月火祭り行事の名称として、近畿や北陸を中心に見られる「左義長(さぎちょう)」という名称。これを宮中の「三毬杖」に求める説があったことを前編で解説しました。
大規模な調査によって、これはほぼ間違いとされるようになりましたが、逆に筆者は、小正月の火祭り行事の名称として古くから「サギチョウ」「サギッチョ」という呼び名があったのだと考えています。ただし、それは、「三本の毬杖」の意味ではありません。
天皇陵を「みささぎ」と呼ぶのはご存知かと思います。「御ささぎ」の意味で、「ささぎ」とはミソサザイともスズメともされますが、古くは鳥類全体を呼びならわす言葉でした。
古墳時代に帝位にあった仁徳天皇は、生前の名は「大鷦鷯天皇(おおさざぎのすめらのみこと)」で(仁徳の名は崩御後の諡号)、世界最大の前方後円墳に鎮まるこの名君の「おおさざぎ」から、天皇陵全般を「みささぎ」と呼ぶようになったとされます。
では仁徳帝はなぜ「おおさざぎ」=「大きな鳥」という名だったのでしょう。古代の日本では、鳥は帝王と重ねられるほど神聖で、神に等しい存在だったのです。白鷺などのサギ類の「さぎ」も、「ささぎ」から派生したと考えられます。
つまり、「鳥」を表す「ささぎ」「さぎ」に、接尾語の「ちょ」がついて「さぎちょう」です。
千葉県各地で小正月から立春の間の時期に行われる祭事・おびしゃ(御日射)。射日神話(十の太陽の九つを射落とす神話)をもとに、太陽に住むという八咫烏などを描いた的に弓で矢を射抜く予祝神事です。千葉の一部地域ではどんど焼き自体を「おびしゃ」と言います。陰陽で太陽は陽であり、陽は奇数であることから、八咫烏は脚が三本。実はさぎちょうの三本の毬杖は、八咫烏の三本脚をあらわしたものだったのではないでしょうか。また、千葉県茨城県では、どんど焼きを「あわんどり」(安房ん鳥)と呼ぶ地域もあります。
どんど焼きは、全国各地で鳥追い神事(鳥による農作物への被害を駆除する祈念行事)と結びついています。山形県上山市の奇祭「カセ鳥」(火勢鳥)も小正月行事です。カセ鳥は藁納豆のような装束(ケンダイ)に全身を包んだ演者が焚き火の周りで踊り歌います。そしてカセドリに扮した演者たちに、村人は水を浴びせかけます。火伏せと害鳥駆除のまじない行事であるカセドリは、かつては全国で見られた小正月行事で、実際熊本県福岡県など、山形から遠く離れた九州の一部地域で、どんど焼きを「カセドリ」と称する分布事例が見られます。
柳田國男は著書『先祖の話』の中で、全国各地に伝わる「トリバミの神事」「オトグヒの祭り」について言及し、兵庫県芦屋の「鳥塚」では、村の子供たちがカラスの身振りをしながら各戸を訪れ、正月のお供えの食べ物をもらっていくというならわしや、東北で正月ごろに行われる餅を藁でつつんで高い枝にかけ、鳥が食べに来てついばむのは吉祥とする「ヌサガケ」などの事例を紹介しています。
秋田県三種町上岩川の小正月の火祭りは「勝平鳥追い」と言い、かがり火の周囲を子供たちが回りながら鳥追い歌を歌います。同じく秋田のにかほ市象潟横岡と大森の小正月行事は、人が中に入れるほどの大きな藁がけ小屋「セノカミ小屋」を作り、その中に賽の神を祭って一晩供物をささげ、翌日火をかけて燃やすというもの。焼いた小屋の周りを子供たちが回り巡りながら、やはり鳥追いの歌を歌います。
岐阜県恵那市野井地区のどんど焼きでは、村人が笹や竹、紙で白鷺の人形を作り、これをどんど焼きの巨大な櫓の頂点にかかげ、火にかけて燃やします。
どんど焼きにあらわれる鳥のモチーフはあげればきりがありません。いかに関係が深く切っても切れないものかがわかるかと思います。歳神や賽の神が習合はしていますが、どんど焼きで燃やされる(天へのぼってゆく)神霊の本体は、どうも「鳥」らしいのです。

仁徳天皇陵。なぜ天皇陵・皇后稜を「みささぎ」というのでしょうか

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「とんど」「どんど」にこめられた本当の意味とは

「とんど」「どんど」という呼称を、「どんどん焼いて焚きくべるから」とか、「歳神が訛ったもの」などの説明がされることが多いのですが、これはほぼ俗説。現在はどんど焼きという呼称が全国の半分ほどを占める多数派なのですが、もともとの呼び名は「とんど」で、これは唐土(中国大陸)から渡ってきた火祭りだから「とうど」と呼ばれていたものが転じたと説明されています。「とうど=唐土」がとんどの語源というのは大いにあり得ることです。しかしそれですと、中国由来のお祭り(たとえば七夕やひな祭り)もどうして「とうど」と呼ばないのかという疑問が湧きます。むしろこの唐土は、七草粥を刻むときに唱える
七草なずな 唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先に ストトントン
という囃し歌の「唐土の鳥」のことだと考えるべきです。『荊楚歳時記』(6世紀ごろ)に「正月夜多鬼鳥渡」と書かれているように、九つの頭のある鬼車鳥が、正月ごろに多くやって来るとする信仰がありました。唐土の鳥とはこの鬼車鳥を指し、深読みすれば冬の疫病、インフルエンザなどのウイルス病を示しているとも考えられます。
また、今も幼児語として残る「とっと」という鳥の俗称(くだけた呼び名)もこれが語源なのではないか、とも考えられます。
中部東海地方を中心にして、どんど焼きを道祖神の祭りとする地域が分布します。これもどんど焼きの主役が実は鳥であると解釈すると説明可能です。道祖神、賽の神、岐(くなど)の神は、境界の守護者である導き(道引き)の神で、猿田彦大神と習合しています。先ほど言及した八咫烏は、日本神話の神武東征で神武勢を導いたことから、神の先触れにして導きの神霊「ミサキ(道先)」として知られます。柳田國男は、猿田彦はまた「オミサキ」でもあろう、と述べています。ミサキは神の眷属としてさまざまな動物の姿をとりますが、カラスにかぎらず鳥の姿とされることが多い精霊です。
「神の伝令」としての聖なる存在である鳥と、疫病などをもたらす災厄としての鳥。古い起源をもつ神霊は祝福と呪いの両面をもち、「事八日」の来訪神とも重なります。

太陽の化身である八咫烏は、神の「魁(さきがけ)」つまり「ミサキ」でもあります

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どんど焼きで焼かれる鳥とは、伝説のフェニックスだった

さらに掘り下げれば、「みささぎ」という言葉は「身、捧(ささ)ぐ」が由来とも考えられ、いけにえの子羊を神前に捧げて焼く古代ユダヤの燔祭(はんさい)を想起させます。燔祭の起源は、ヘブライ人(イスラエル人)の始祖アブラハムが、わが子イサクを神に捧げて殺そうとした「イサクの燔祭」とされ、聖なる存在が身を捧げて火にかけられ、炎とともに天へと合一するというイメージは、実はどんど焼きにも共通するのです。「ミサキ」がイサクとも関係するとすれば、神の伝令であるはずの「ミサキ」が、全国各地で不幸な死を遂げた亡者の怨霊だとか、船幽霊だとか、祟りなす地縛霊的な悪霊だとする信仰があることも説明がつきます。イサクは実際には殺されず、寸前ですくわれていますが、もし親愛する父に本当に屠られていたとしたら、それは大怨霊にもなるだろうと想像できます。
そして私たちは、紅蓮の炎に焼き尽くされ、灰の中から復活するとされる鳥の存在を知っています。エジプトではアオサギとも重ねられた太陽の母鳥ベンヌ(Bennu)、そしてギリシャの伝説に登場するポイニクス(φοῖνιξ)、すなわちフェニックス=不死鳥です。
遠い古代、はるか西の果てのエジプトで発祥した太陽神の死と再生の神話体系は、中東のユダヤ教ゾロアスター教キリスト教の教義の基礎となり、やがて日本にも伝わりました。ゾロアスター教の葬送は鳥葬で、ここにも鳥が深く関わります。
太陽神の化身もしくはシンボルとしての鳥の精霊の燔祭は、日本に伝わると当初は聖なるミサキ(ミササギ)ととらえられていましたが、時代が下るにつれ、豊作や健康祈念の祭りへと変質し、主役である鳥の存在も、素朴な鳥追い行事へと変化していったのではないでしょうか。
(参考・参照)
先祖の話 柳田國男 筑摩書房
体育・スポーツ史概論 木村吉次 市村出版
遊戯から芸道へ:日本中世における芸能の変容 村戸弥生 玉川大学出版部
日本と世界の小正月行事「どんど焼き」調査データ一覧表
野井区のどんど焼き
茅原のトンド

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予祝行事であるどんど焼きの主役は、未来を担う子供たちです

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不死鳥は炎とともに空高く・小正月行事「どんど焼き」の深層とは《後編》