「おじい様名義の不動産について、お伝えしたいことがあります」

ある日届いた弁護士からの手紙をきっかけに、母子家庭で育った男性Aさん(60歳・東京都)は、それまで知らなかった「家族の歴史」を知ることになる。

家族とは、血縁とは何なのかーー。初めて出会う親戚との長いやりとりの中で、Aさんには何とも言えない感慨が芽生えていた。本人への取材をもとに一人称視点でおくる。(ライター・野林麻美)

※特定を避けるため一部の数字等を変えています

●突然の手紙 不動産の相続

勤め上げた会社を定年退職したばかりの私のもとに届いたのは、福岡県の弁護士からの手紙だった。福岡に縁などないはずだが…。そう訝しがって開封すると、そこに書かれていたのは、つかみどころのない不動産相続の話だった。

「A様のおじい様名義の自宅不動産が福岡県◆◆市にあり、相続登記がされないままです」

私は父親の顔すら知らずに母子家庭で育った。そこにこんな手紙が舞い込んできのだから驚くほかなかった。

「おじい様」とは、母と離婚した父の父のことらしい。文面には、この家の石垣が崩壊し、隣地の住人が困って弁護士に相談に来たこと、このエリアは昨今開発が進む人気地区で、購入希望の不動産業者がいることも書き添えられていた。

とにかく詳しい話を聞かねば…。老いた母に相談することもはばかられ、私は慌てて記載された弁護士事務所に電話をした。

●祖父はまだ死んでいなかった?

担当の若い男性弁護士によれば、父は福岡県に生まれ育ち、東京から嫁いだ母とは私が生まれて間もなく離婚。その後は死ぬまで独り身だった。

祖父には父の上に5人の娘がおり、全員が死亡しているため、私たち孫世代21人が代襲相続人となる。しかし弁護士が手紙を出して、返事を寄越したのは私だけだという。

「お隣さんは、危険な石垣や、古い建物を解体してほしいのです。それに…」

私は浮足立った。購入希望業者の提示金額は3000万円だというのだ。単純に計算して私には500万円もの相続分がある(3000万円を祖父の子ども6人で割った金額)。

しかし、そんな思惑は、弁護士が継いだ言葉で粉砕された。

「実は、生きていれば130歳になるおじい様は、戸籍上亡くなっていないんですよ…」

なんだって? 私の脳内に、たくさんの疑問符が浮かんだ。

「おじい様は死亡届が出されていないのです。ですから、まずは法的に死亡を確定させる手続きが必要です」

とんでもない話に巻き込まれてしまった。沈黙する私に弁護士はこう言った。

「まずは失踪宣告(※1)の手続きをとります。Aさんが申立人となって、おじい様の死亡を確定させる手続きを行いますので協力してください」

なんでも、7年以上生死不明の者は法的に様々な不利益があるため、失踪宣告という手続きによって「戸籍上死亡させる」のだという。

祖父は9年前に、居住実態がないとして行政によって職権消除(※2:住民票の削除)されており、年齢的に生存の蓋然性は著しく低い。

「法的な手続きは私に任せてください。ただし、いとこの皆さんへ連絡をとるのはAさんにお願します」

弁護士が手伝ってくれれば何とかなるだろう。私は頷いた。

●会ったこともない「いとこ20人」に連絡

法律上の手続きは弁護士に一任したが、いくら血縁のいとことはいえ、総勢20人にも及ぶ見ず知らずの者に、何と切り出せばいいのか?

金の絡む話である。良からぬことを言い出す者もいるだろう。まずは隣人へ謝罪もしなくては…。

思い悩む私に、弁護士は手紙の内容を一緒に考えてくれた。突然の手紙を詫び、私が東京に住む最年少のいとこであることと、両親の離婚によって親戚づきあいが全くできなかったこと、そして件の未相続の不動産について触れた。

●初めて知る「父親の生活」

携帯電話の番号を書き添え、連絡が欲しいと結んだその手紙に、すぐに返答をくれたのは、祖父の長女の長女。私の母の年齢に迫る最年長のいとこB子からだった。

緊張の挨拶の後、聞かされたのは祖父と父の哀れな生涯だった。祖父は生前、莫大な財を成したものの、早逝した祖母や娘たちに厳しくあたり、みんな祖父を嫌っていたという。

娘達はさっさと結婚し家を出て、その後のことなど全く知らない。おそらく誰も祖父を看取った者もいないと平然と言ってのけた。

そして「お金はきっと、あなたのお父さんが全部使い果たしたはずよ。一人息子をかわいがって、あの家でずっと父子で暮らしていたから」と付け加えた。

10年前に死んだという父の話を聞くと「内縁の妻がいたようだった」としか教えてもらえなかった。母が離婚した背景まで透けて見えそうだった。

B子は年長者の責任からか、瞬く間に他のいとこ達へ連絡をとってくれた。中には「あんたの父親だけが可愛がられていた」「今さら親族だなんて言われてもねぇ」と嫌味を言う者もいたが、相続人全員の協力がなければ、不動産を売却できないことを告げると押し黙った。

●隣人から突き付けられた「親族の恥部」

その間、弁護士は失踪宣告申立の手続きを進めてくれた。代襲相続人である孫の私が、祖父の最後の住所地である福岡の家庭裁判所へ失踪宣告を申し立てた。

受理されれば祖父の調査が行われ、その後、生存の届出が催告される(期間は3カ月以上で裁判所が設定)。

所定の手続きに時間を要する間、私は迷惑をかけた隣人に謝罪するために、福岡へ飛んだ。スマートフォンの地図アプリを頼りに現地までたどり着くと、そこには、かつて栄華を極めたであろう巨大な屋敷が朽ち果てて、不気味な姿で残存していた。

崩れてきた石垣を避けるために、隣地では急ごしらえの柵が設けてあった。平身低頭謝罪する私に、対応してくれた高齢の女性は、亡くなった方を悪く言うのはいけないけれど、と前置きした上で話し始めた。

「おばあ様が早くに亡くなってからは、おじい様とお父様は、ゴミ出しルールも守らない、子ども達が遊んでいると大声で怒鳴りつける。

お父様はお勤めもしてなかったはずですよ。毎日毎日、辺りをブラブラしてね。近所付き合いもなかったお二人が、いつ亡くなったかさえ知りません。それに娘さん達もあんまりですよね。父親と弟の存在を完全に無視して…」

自分の知らない親族の恥部を初見の隣人に突かれ、いたたまれない気持ちに襲われた私は、ただただ謝り続けるしかなかった。

その足で弁護士を訪問。何度も電話ではやり取りをしてきたが、初めての面談だ。隣人に謝罪してきた旨を報告すると「お隣さんには、長年思うところがあったんでしょうが、Aさんの謝罪はきっと届きましたからね」と、暗い表情の私を気遣ってくれた。

●祖父は「本当に死んだ」 お金の分配へ

それから催告期間が満了し、無事に祖父の失踪宣告の審判が確定した。この確定証明を市役所に提出、受理された祖父は「本当に死んだ」。

祖父の戸籍には次のように記載された。

「平成●年●月●日死亡とみなされる平成〇年〇月〇日失踪宣告の裁判確定同月◎日孫A(私の氏名)届出除籍」

最期まで生活を共にした一人息子である私の父に、死亡届さえ出してもらえなかった祖父の生涯の幕引きを、顔も知らない孫の私がしてしまったのだ。

祖父の死亡によって、代襲相続人である孫世代の21人のいとこ達による相続が始まった。まず、3000万円で購入するという不動産業者の買付証明書が提示された。

そこから、相続登記にかかる司法書士の費用、建物や塀の解体費用、弁護士・裁判費用、不動産業者への手数料等の経費を差し引いた金額は、約2500万円。祖父の子ども一人当たりの相続分は約420万円にもなった。

これを代襲相続人の孫たちが、きょうだいの数で分けることになり、私は一人っ子なので満額を一人で相続することになった。

●お金は入ったけど「家族とは何なのか」

形式上、遺産分割協議は成立したものの、これを良く思わない者がいることは明白だった。先んじて私は「長年迷惑をかけたお隣さんへの謝罪は、私の相続分から出します」と申し出た。

「そりゃそうだよ、あんたの親父が、じいさんの財産を食いつぶしたんだから」。いとこ達の当然の本音だった。

思いもよらない大金を相続したが、私の疲弊した心はしばらく回復しそうになかった。「これを機に仲良くなれるかもしれない」と淡い期待を抱いたが、いとこ達は相続分を受け取ると、一切連絡もくれなくなった。

齢60を超え、これまで知らなかった出自を目の当たりにし、家族とは、血縁とは何なのだろうという疑問が頭をもたげた。

「失踪宣告」という法制度に頼らなければ、死ぬことさえできなかった顔も知らない祖父を想い、涙が止まらなくなった。

※1【失踪宣告】
不在者(従来の住所又は居所を去り、容易に戻る見込みのない者)について、その生死が7年間明らかでないとき(普通失踪)、または戦争、船舶の沈没、震災などの死亡の原因となる危難に遭遇しその危難が去った後その生死が1年間明らかでないとき(危難失踪)にとることができる手続き。

申し立てることができるのは、不在者の配偶者、相続人にあたる者、財産管理人、受遺者など法律上の利害関係を有する者。不在者の従来の住所地または居所地の家庭裁判所家庭裁判所に申し立て、審判が確定すれば、生死不明の者に対して、法律上死亡したものとみなす効果を生じさせる制度である。

※2【職権消除】
市町村において、税務や保健等の連絡に要する郵便不達や臨戸訪問によって居住が不明な者について、情報提供や、同居する家族、家屋管理人町内会長などからの申出により住民窓口課が実態調査を行い、居住の実態がないと判断した時に行われる住民票の消除をいう。

そのほか転入通知未着による職権消除もある。この制度の意義は、本来ならば、届出義務者がしなければならない転入、転出、転居届等を怠っていることによって住民基本台帳と実態が一致していない状態を、職権により住民票を消除することで、住民基本台帳と実態を一致させ、住民票の正確性を保つことにある。

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