ダンプ松本(60)を中心とした「極悪同盟」の一員として活躍、日本女子プロレス界の第二期黄金世代の立役者でもあるブル中野(53)が、28日深夜放送の『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)“業界の裏側 大暴露SP”に出演。「悪役は“人間以下”の扱いだった」、「命がけで体重を100キロ以上に」、「アメリカで手にした破格のギャラ」など当時の驚きの実情を明かした。

ブル中野が女子プロデビューをしたのは1983年、15歳の時だった。当時、日本の女子プロレスの会社は一つしかなく「デブでブスだったら、有無を言わさず“悪役”にさせられた」という。プロレスラーとしてやっていきたければ会社の命令は絶対で、「悪役で人気が出ようなんて思うんじゃねぇぞ」と人間以下の扱いがしばらく続いたそうだ。大切にされるのは裏でも表でもスターレスラー、ブル中野は会場入りする際に彼女らのファンから石を投げられたりするのは日常茶飯事だった。

それでもブル中野は悪役を極めるため、身体を大きく見せたいと体重100キロ以上を目指して食事量を増やすなど工夫したが、92キロが限界だった。そこで男性ホルモンステロイドに頼ることにしたのだが、注射をする度にリングドクターから「これを打つと寿命が縮むからね」と忠告されたという。それでも打つことをやめなかったブル中野の身体に異変が起こる。生理は止まり、ヒゲやすね毛が生え始め、声がかれて低い声しか出なくなったそうだ。その頃には体重が115キロにまでに増え、「悪役レスラーには会場に響き渡る大声が必要」ということもあり、男性ホルモンの注射は止めた。

悪役に徹するプロ精神とプロレスの強さで「極悪同盟」の人気が高まり、CMやドラマにも起用されるようになったブル中野らに、会社の態度は一変した。手のひらを返したように扱いがよくなり、給料も上がったという。そして1992年、22歳の時にブル中野はアメリカに渡る。月に27試合とハードだったが、日本に比べ観客動員数が大きく違うため、試合のギャラは破格だった。「MAXで3分間=100万円だったこともある」と告白した。日本では“酒、タバコ、男”が禁止の生活を強いられていたが、ブル中野はアメリカでタガが外れてしまったそうで「毎晩、友人と飲み歩いていた」と笑いながら語った。

1997年、29歳の時に左膝の靭帯断裂する大怪我が起因でプロレスを引退したブル中野。42歳で元キックボクサーの選手で15歳年下の男性と結婚し、現在はプロレスの解説や講演の仕事をしながら穏やかに暮らしている。

画像は『ブル中野 2021年1月23日付Instagram「I bought a wig.」、2019年5月5日付Instagram「bull the head」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 みやび

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