昨日(12月19日)、東京有楽町の日本外国特派員協会でクライヴ・デイヴィス(81歳)の記者会見が行われた。自身が今年(2013年)上梓した著書「The Soundtrack of My Life」の日本版を出版したい為のデモンストレーションでもあった。
クライヴ・デイヴィスは現在ソニーミュージックのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)。制作部門の最高責任者である。1960年にCBSレコード(現ソニーミュージック)に法務担当として入社する。以後シカゴやサンタナやジャニス・ジョプリン、ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルやブルース・スプリングスティーン等と契約を交わす。これらのアーティストのスター化に貢献した偉大なミュージックマンである。
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1975年にアリスタ・レコードを設立。ここでもバリー・マニロウやホイットニー・ヒューストン、アレサ・フランクリンやアヴリル・ラヴィーン他数多くのアーティストを契約する。特にホイットニー・ヒューストンのスター化に貢献。ホイットニーは昨年(2012年)グラミー賞の前日に催される恒例のクライヴ・デイヴィス・パーティーに出演が予定されていたが、同じホテルの部屋で死体で見つかった。ホイットニーの葬儀ではクライヴが弔辞を述べた。
昨日の記者会見は業界誌ビルボードのアジア支局長だったスティーヴ・マクルーアが進行を務めた。筆者の友人でもある。スティーヴがクライヴに質問する形で進んだ。後半は記者会見の参加者からの質疑応答があった。ある新聞記者はデジタル技術が進み、(レコードを買わずに)音楽をインターネット・ラジオのパンドラやオンデマンドのスポテファイで聴く事についての質問にクライヴは、「良い音楽を作る事」と答えた。クライヴは音楽人間でソーシャル・メディアに興味は無い。良い音楽を作ればそれらのデジタル・サービスは後からついてくるものだと考えている。
本「The Soundtrack of My Life」の中でもボブ・ディランとの契約が大変興味深い。クライヴ・デイヴィスがCBSレコードに入社し、法務担当者としての最初のアーティスト契約がボブ・ディランだった。当時CBSレコードのスタンダードな契約は「5年契約 50万ドルの保障 10枚のアルバム発売」。アーティスト印税は最高で5%だった。ボブ・ディランはデビュー・アルバム「ボブ・ディラン」や「時代は変わる」や「追憶のハイウェイ61」他を発表する。そしてアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」を発表した直後オートバイ事故にあう。
クライヴ・デイヴィスは既に契約が切れているボブ・ディランの契約更改を、アーティストが曲を書けるかどうか、歌えるかどうか、演奏できるかどうかといった情報が全くない中でやらなければならなかった。ボブ・ディランのマネージャーはジャニス・ジョプリンのマネージャーでもあるアルバート・グロスマン。業界ではタフ・ネゴシエイターとして知られている。そのアルバート・グロスマンからクライヴに連絡がある。映画会社MGMのレコード部門がボブ・ディランを契約しようとしていると。MGMのオファーは破格の「5年契約 150万ドルの保障 12%のアーティスト印税」だった。
このオファーにCBSレコードは勝ち目が無かった。基本は「5年契約 50万ドルの保障 5%のアーティスト印税」だ。この時アレン・クラインが登場する。アレンはローリング・ストーンズやブライアン・エプスタイン亡き後のビートルズのマネージャーをやっていた。悪名は高い。映画会社MGMの大株主でもあった。アレンはクライヴにMGMのこの条件が妥当かどうか聞いてきた。結果MGMの役員会はボブ・ディランの契約を承認しない事にした。
ボブ・ディランとCBSレコードの契約更改は、「5年契約 前渡し金はゼロ 発売枚数は規定しない 10%のアーティスト印税」となった。極めて異例な契約で、ボブ・ディランは発売枚数にしばられない「自由」を勝ち取り、クライヴ・デイヴィスは「音楽業界の勲章アーティストであるボブ・ディラン」を勝ち取った。
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