第2次世界大戦中、ソ連はアメリカやイギリスから様々な兵器を供与してもらっていましたが、そのなかには米英両国が持て余したものも含まれていました。しかし、ソ連が使ったことで名機に昇華した機体もあったのです。

つまずきの始まりは高高度迎撃戦闘機としての開発

太平洋戦争の前半、ソロモン方面の航空戦で旧日本海軍零式艦上戦闘機(零戦)と戦ったアメリカ製戦闘機のひとつに、ベルP-39「エアラコブラ」という機体がありました。愛称を日本語に訳すと「空のコブラ」という、いかにも強そうな名前が付与されていたにもかかわらず、P-39は日本の零戦に手酷くやられる事態が続きます。

零戦に太刀打ちできないP-39「エアラコブラ」を、日本軍パイロットたちは、側面シルエットにちなんで「かつお節」という蔑称で呼んだりしていました。しかし「ところ変われば品変わる」という言葉ではないですが、P-39を高く評価した国もあります。それは一体どこなのか、そもそもP-39「エアラコブラ」とはどのような機体なのか見てみましょう。

1930年代初頭、アメリカ陸軍航空隊は高高度大型爆撃機の開発・導入に傾倒していました。その最中、もし敵が同様の機種を用いて米本土を攻撃してきた場合、自分たちに防ぐ手立てがないことに気づきます。そこで、かような事態に対処可能な高高度迎撃戦闘機の要求仕様書を、国内航空機メーカー各社に対して1937(昭和12)年に示しました。

このときの要求仕様書には、双発(エンジン2発)機バージョンと単発(エンジン1発)機バージョンがあり、後者にエントリーして選ばれたのが、ベル社が提出した「モデル4」、のちにP39「エアラコブラ」となる機体でした。

ベル「モデル4」は、正面投影面積を小さくすることで空気抵抗を減らそうと、エンジンをコックピット後方の機体中央に搭載しているのが特徴でした。搭載するエンジンは、ターボチャージャー(排気タービン過給機)付きのアリソンV1710液冷エンジンで、「ミッドシップレイアウト」を採用したので機首内部に空間が生まれたことにより、アメリカ製戦闘機として初めて前輪式降着装置を採用しています。

なお、対爆撃機用の高高度迎撃戦闘機として開発されたため、大型機に効果的な打撃を与えられるよう、大口径37mm機関砲をプロペラ軸中央に備えているのも目玉でした。

高高度迎撃しないならターボいらないよね

ところが、アメリカ陸軍航空隊は高高度迎撃戦闘機の役割を双発機バージョンに集約することを決めます。その結果、単発機バージョンとして生まれたP-39「エアラコブラ」は、低高度向けの制空戦闘機へと仕様が変更されることになり、高高度まで上がらないのであれば必要ないとしてターボチャージャーが外されてしまいます。加えて、初飛行の年(1939年)にヨーロッパで第2次世界大戦が勃発したことで、その戦訓に基づき、防御力強化の一環で装甲も増設されました。

これが機体性能にもろに悪影響を与えました。中高度以上でのエンジン・パワーの低下と、機体重量の増加というダブルパンチになったのです。一応、風雲急を告げる状況下のため、制式化されて大量生産が始まったものの、中低高度域でのドッグファイトにきわめて強い零戦との戦いでのボロ負けぶりに、戦闘機には向いていないとの烙印が押され、アメリカ陸軍は、性能に優れた別機種の生産と供給が安定するようになると、P-39「エアラコブラ」を第一線では運用しなくなりました。

一方、アメリカよりも先に第2次世界大戦を戦っていたイギリスは、軍用機不足に悩んでいたためアメリカ製航空機を次々に購入、その中にP-39「エアラコブラ」も含まれていました。

イギリス空軍は同機に「カリブー」の愛称を付けたものの、あまりの低性能に受領を拒否する始末。こうして宙に浮いた機体は、ドイツと戦っているソ連への援助兵器として送り出されたのです。

ある意味、アメリカから“厄介者”をあてがわれたソ連でしたが、ではアメリカやイギリスの場合と同様にP-39「エアラコブラ」に低い評価を与えたのかと思いきや、同国では逆に大変な好評をもって迎えられました。

その一端を示す好例が、ソ連エースパイロット上位5人の乗機に占めるP-39の割合です。第2位のエースで59機撃墜のアレクサンドル・ポクルィシュキン、第3位で57機撃墜のニコライ・グライエフ、第4位で56機撃墜のグリゴリー・レチカロフ(各人の撃墜機数には異説あり)と、実に5人中3人がP-39でもっとも撃墜機数を稼いでいたのです。

「かつお節」転じて「小さなコブラちゃん」へ脱皮

ではなぜ、太平洋戦域における戦いではやられっぱなしだった「エアラコブラ」が、東部戦線では多数のエースを輩出する名機となったのでしょうか。その理由は、空戦のメイン高度にあります。

太平洋戦域では中低高度で空戦が多発した一方、東部戦線のソ連パイロットたちは、低高度にこだわって空戦を行いました。というのも、彼らは低高度で来襲するドイツ爆撃機や対地攻撃機を阻止すべく飛び、そこへドイツ戦闘機が襲いかかってくるため空戦をする、というパターンが多かったからです。

実は、メッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190といったドイツ戦闘機は、中高度以上の空域で、一撃離脱のいわゆる「ヒット・アンド・アウェイ」式の空戦で戦うように設計された機体でした。そのため、零戦のように空気密度が高い低高度域で「ドッグファイト」(近接格闘戦)を行うようにはあまり考えられていなかったのです。逆にP-39「エアラコブラ」は、前述したように低高度向けに造られた戦闘機だったため、あまりに優秀過ぎるドッグファイターの零戦にこそかないませんでしたが、自らの得意な高度で有利に戦うことができたのでした。

このように、戦う高度と戦闘の仕方が違ったことで、P-39「エアラコブラ」は駄作機から見事、傑作機にイメチェンを図れたのです。ちなみに、ソ連パイロットたちは「コブルシュカ(意訳すると「小さな可愛いコブラちゃん」)」などと呼び、惚れ込んでいました。

そのため、なんとP-39「エアラコブラ」の総生産機数9588機中、実に4719機(どちらの機数にも異説あり)がソ連に供与されたといいます。またソ連空軍では大戦後の1949(昭和24)年まで第一線部隊での運用を続けていたとも。これも、まさしく“傑作機”として認めていた証左なのかもしれません。

P-39「エアラコブラ」。エンジンを機体中央に配置したことで、排気口がコックピット後方にある。またこれに伴い、前輪式降着装置を装備した(画像:アメリカ陸軍)。