2021年1月25日、新型コロナウイルス感染症の流行で何となく明るいニュースが少ない韓国のスポーツ界を驚かせるニュースが駆け巡った。
流通大手、新世界グループが、SKグループからプロ野球球団を買収するという内容だった。
ベテランスポーツ記者も「つい最近まで、全く噂にもなっていなかったディールだった」と悔しがる。いったい何が起きたのか?
何が起きたのか説明する前に、韓国のプロ野球界の現状について簡単に説明しよう。
1982年、6球団で始まった韓国プロ野球
主に、大企業がオーナーとなり、地域フランチャイズ制で運営している。球団数は徐々に増えて現在1リーグ10球団だ。
2020年シーズンは、新興球団でゲーム関連企業がオーナーであるNCが初優勝した。以下、KT、斗山、LG、キウム、起亜、ロッテ、サムスン、SK、ハンファの順位だった。
今回、売却が決まったSKは仁川(インチョン)に本拠地を置く。
2000年にプロ野球に進出してから20年間、2007年以降4回、韓国シリーズで優勝するなど、まずますの成績を上げている球団だ。
このSKを流通大手の「新世界」が、1353億ウォン(1円=11ウォン)で買収することが決まった。
関係者を驚かせたのは、韓国のプロ野球も、まさにキャンプに入る直前の時期だったことだ。
突然の買収で現場は大混乱だ。
買収が最終的に完了するまで1か月ほど。これまで「SK」のユニフォームを着て練習していた選手が、買収完了ととも4月の新シーズンからは新しい球団のユニフォームで登場することになる。
プロ野球の球団オーナーが変わる際には、「保有側」の事情による場合が多い。
韓国でもこれまで何回か財閥や大企業が球団を売却したが、だいたいは財政事情の悪化から「身売り」せざるを得なくなることが多かった。
最初から最後まで新世界の強い意向
今回は全く事情が異なる。
今のオーナーは韓国でも最も資金力が豊富なSKグループ。その基幹企業であるSKテレコムがオーナー企業だ。
本拠地も人口が増えている仁川市で、プロ野球からの撤退説は全くなかった。
今回の買収劇は、最初から最後まで新世界グループのオーナーの強い意向で進んだというのが産業界とメディアの一致した見方だ。
事情に詳しいスポーツ記者はこう話す。
「新世界グループは、昨年秋頃から積極的に買収に動いた。最初に(韓国南東部の)光州を本拠地とする起亜に打診し、その後、斗山、キウムなどを狙ったがいずれもダメ」
「最後は、新世界グループの副会長が、SKグループ会長を数か月がかりで説得して買収に漕ぎ着けた」
プロ野球球団の譲渡となると、何といっても「オーナー」の意向と決断にかかっているのだ。
売却を決めたSKに対しては、当初は、「プロ野球を捨てるのか」という一部ファンの批判も出た。SKもファンや世論の動向には気を使ったようだ。
SKは、プロ野球球団運営からは撤退するが、スポーツ支援は引き続き力を入れるという。
重点を置くのは「アマチュア競技」。
すでにハンドボールとフェンシングについて支援しているが、今後も、「非人気種目」を中心に対象を拡大するという。
SKグループは、プロ野球撤退とアマチュア競技支援の方針について「グループが重点を置く、ESG(環境、社会、ガバナンス)経営の一環」と説明した。
とにかく何でも「ESG」と結びつける姿勢を評価すべきなのか。「やや無理筋ではないか」(他の財閥役員)との声もある中で、話題となった。
新世界グループとは
さて、こんなにプロ野球に執念を見せた新世界グループとは何か。
起源をたどると日本の統治時代に、今のソウル市庁近くに開店した「三越」になる。
独立後に韓国資本の百貨店になったが、これを1960年代にサムスングループが買収して新世界百貨店と改称した。
三越時代の建物は今も本店の一部として残っている。韓国ではロッテと並ぶ巨大流通財閥だ。
サムスン創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏が1987年に死去したのを機に5女である李明熙(イ・ミョンヒ=1943年生)氏が流通事業を継承した。
李秉喆氏は生前、李明熙氏の経営能力を高く評価していたという話がある。
新世界グループは、傘下に「新世界百貨店」「朝鮮ホテル」や大手スーパーの「Eマート」、さらに免税店や韓国でのスターバックス事業などを抱える。
韓国の公正取引委員会によると、2020年5月時点でグループ資産規模は44兆ウォンで韓国財閥11位の実力だ。流通、サービスの巨大財閥だ。
この李明熙氏は今でも「会長」の肩書を持つが、経営は長男と長女が担っている。
特に、長男の鄭溶鎭(チョン・ヨンジン=1968年生)副会長が大きな権限を持って事実上のグループ総帥の地位にある。
プロ野球と事業の融合
この鄭溶鎭副会長は、「新しいモノ、派手なモノ、有名になるのが大好き」(経済部デスク)で知られる。
最近は、オフラインとオンラインの融合や、イベントとショッピングの融合などに関心があり、新しい形のショッピングモールや小売業態などを積極的に開拓している。
「韓国のプロ野球は20~30代のファン層が多い。球場も従来のイメージからエンターテインメント性を高め、外食などと融合したボールパーク化する動きがあり、プロ野球というコンテンツに関心を高めた」(スポーツ記者)という解説もある。
ある財閥役員は、「2020年のシーズンでNCが初優勝してオーナーが若いファンに大人気になったことに刺激を受けた」とみる。
2020年の韓国プロ野球を制覇したのは、前述したように2013年に参入したNCだった。
オーナーである金沢辰(キム・テクジン=1967年生)氏は、ソウル大の電子工学科を卒業してゲーム会社、NCソフトを設立して成功した。
ベンチャー起業家として有名だが、さらにプロ野球ファンの間でも一気に人気が沸騰した。
1歳違いで「若者の感性には最も理解がある財閥総帥」という自負がある新世界グループの鄭溶鎭副会長は、SNSなどで金沢辰氏を賞賛する若者の熱狂的な書き込みなどをみて、プロ野球人気について再認識したようだ。
買収は決まったが、これからどうなるのか。
韓国のプロ野球経営
新世界グループは、傘下の大手スーパー「Eマート」をプロ野球球団の母体企業にする計画だ。
流通とプロ野球球団運営のシナジー。構想はいろいろとあるのだろうが、すんなり成果が上がるかはもちろん未知数だ。
まずは、2021年シーズンも苦しいスタートとなることを覚悟しなければならない。
スポーツ記者によると、プロ野球球団の運営には年間400億~500億ウォンがかかるという。
収入は観客入場料、グッズなどの販売、放映料などをプールした韓国プロ野球機構からの分配金、さらに母体企業の支援だ。
政府が厳しい新型コロナ対策を続けた韓国では、2020年のプロ野球の多くの試合が無観客だった。
韓国のプロ野球観客者数は、2019年の728万人から2020年にはわずか33万人に減ってしまった。20分の1以下だ。
観客数が多いソウルを本拠地とする球団の場合、年間100億ウォン以上の入場料収入が期待できたが、2020年シーズンではこれがほとんどなくなってしまった。
だからほとんどの球団が100億ウォンを超える赤字になったとみられる。2021年も、観客入場という面では苦しいスタートとなることは確実だ。
もちろん、新世界グループは2021年シーズンが苦しいことは分かったうえで買収したが、不慣れな球団経営をスタートさせるには苦労の多い開幕となる。
逆に、「これだけ苦しかった2020年のシーズンも、100億ウォンの赤字で済むのならマーケティング効果を考えれば悪くないと考えるオーナーもいる」(スポーツ記者)との指摘もある。
ソウルで夕方から夜の地下鉄に乗ると、スマホでプロ野球の中継を見ている乗客の多さに驚くことがある。比較的若い層も多い。魅力的なコンテンツなのだ。
さらなる買収劇もある?
韓国の産業界では、韓国のプロ野球界でさらなる買収劇の引き金になるとの観測も出ている。
注目は、サムスンと斗山だ。サムスングループは、韓国南西部の大邱を本拠地しているが、プロ野球に対する関心が以前ほどではないという見方が少なくない。
また、斗山はソウルが本拠地だが、グループが再建途中にあり、球団売却説がくすぶっている。
プロ野球球団を保有する財閥の幹部はこう話す。
「当社は売却を検討していない。財閥の中には、売却したいという意向のオーナーがいるとも聞いている」
「一方で、新型コロナの流行で経済が低迷する中でも業績が好調で、さらに飛躍したい、知名度を上げたいとプロ野球に関心を持つオーナー経営者もいるようだ」
韓国では、事業上の事情以外に、「オーナーのメンツ争い」も無視できない。
今回の買収劇が、他のオーナーを刺激して、新たな買収劇に発展する可能性もある。
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