(福島 香織:ジャーナリスト)

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 世界が注目していたWHO(世界保健機関)から武漢に派遣された新型コロナウイルス起源調査のための専門家チームは2月9日、武漢で記者会見を開き、ウイルスが実験室から漏洩した可能性を排除するとの見方を示した。また冷凍食品などモノを媒介にした感染拡大経路の可能性については、さらなる調査が必要とした。

 では、ウイルスはどこから来たのだろう。WHOの発表に、本当に世界は納得しているのだろうか。

排除された実験室起源説とコウモリからの直接感染説

 中国の専門家とWHOの専門家によって組織された新型コロナウイルス起源研究連合チームの2月9日の記者会見には、中国側からは元中国衛生健康委員会体制改革局長で清華大学公共衛生学教授の梁万年、WHO側からはデンマーク国籍のピーター・ベン・エンバーク、オランダのウイルス学者のマリオン・クープマンスが参加した。

 結論としては、大きく3つ。

(1)当初、感染源とされた華南海鮮市場については、2020年12月に発症した初期の一部感染者が市場と関与していたことは間違いないが、それは市場が感染拡大源の1つであるということを証明するだけで、目下の資料だけでは、どのようにウイルスが市場に入り込んだかは確定することができなかった。

(2)新型コロナウイルスコウモリ(蝙蝠)の関係については、コウモリコロナウイルス新型コロナウイルスの直接の先祖ではない、つまり中間宿主がいるという結論に達した。

 梁万年は「パンデミックをもたらしたこのウイルスは人類環境に高度に適応した生存能力を備えている。この種の能力は偶然獲得されたもので、徐々に変異しているが、こうした変異は自然の選択によるものだ」と解説した。またピーター・ベン・エンバークは、ウイルスが自然宿主由来であるとしながらも、「武漢はコウモリが大量にいる場所ではないので、武漢の感染がコウモリから人に直接感染した可能性は非常に低い。だとするとその他の動物から感染したのだろう」と述べた。

(3)新型コロナウイルス武漢ウイルス研究所との関係については、中国科学院武漢ウイルス研究所からウイルスが漏洩した可能性が疑われていたが、ピーター・ベン・エンバークは研究所の実地検分や研究員らへ聞き取り調査を経て、研究所からウイルスが漏れた可能性は「ほとんどあり得ない」として、この方面の調査はここまでで打ち切りにするとした。

 会見では梁万年が、武漢ウイルス研究所はアウトブレイク(感染拡大)前に新型コロナウイルスは持っておらず、ウイルス漏洩の可能性はありえない、と補足した。

 この調査チームは中国の専門家17人、WHO、国際獣疫事務局(OIE)からの専門家17人の34人で構成されていた。3つの小チームに分かれて、武漢で28日間のウイルス起源調査を行い、白沙洲貿易市場、華南海鮮市場、湖北省疾病予防コントロールセンター、武漢市疾病予防コントロールセンター、湖北省動物疫病予防コントロールセンター、中国科学院武漢ウイルス研究所などの機関で聞き取り調査などをおこなった。

 マリオン・クープマンスは、今後さらに、武漢のウイルスとその他地方のウイルスについてゲノム対比調査を行う必要があるとした。東南アジア原産の輸入動物センザンコウからも、新型コロナウイルスに極めて近いゲノム配列のものが検出されている。こうしたゲノム対比調査の結果によっては、東南アジアからの輸入野生動物が起源という可能性も出てくるかもしれない。

 またピーター・ベン・エンバークは、冷凍食品のコールドチェーン(低温物流)を通じた感染拡大の疑いについて、さらに研究していく必要性がある、と付け加えていた。ドイツなどから輸入した冷凍加工肉からも新型コロナウイルスが検出された。ウイルスは、ひょっとしたらこうした輸入品から中国に持ち込まれた可能性は、まだ低いとはいえ排除されていない。

 今回はっきりと排除された可能性は、実験室起源説とコウモリからの直接感染説、ということになる。

客観的で公正な調査ができるのか

 さて、このWHO調査結果発表について、みなさんはどう思われただろうか。ウイルスの専門家たちが口を揃えて「武漢ウイルス研究所が起源である可能性はほとんどない」と結論付け、今後この方面の追求を打ち切ると言うのであれば、素人の我々は納得せざるを得ない、のだろうか。

 しかし、その根拠とは、武漢ウイルス研究所はじめ武漢市内の大小さまざまな研究室の管理方法、管理状況を調査チームが実際に見て、関係者の聞き取り調査を行った結果である。アウトブレイクから1年以上たった後の研究所を視察して、共産党の指導に忠実な研究員への聞き取り調査をしただけで、実験室起源の可能性を排除していいのだろうか。

 SARS重症急性呼吸器症候群)のような感染症アウトブレイクが広がっていると中国で最初にSNSで発信し、「警笛を吹く人」と呼ばれた李文亮医師や艾芬医師らが、共産党上層部によって「デマを拡散した」として圧力を受け、沈黙させられたことが、その後の感染拡大を引き起こした経緯を思い起こせば、公式の調査チームが行う「関係者への聞き取り」がどれほど信頼性の薄いものかは想像できるだろう。もしも中国科学院系列の研究者が、国家にとって不都合な事実を国際社会に訴えれば、キャリアを失うどころでは済まないのだ。

 調査で誰に会うか、どこを視察するか、どういう質問をするか、はすべて中国側がアレンジし、中国側専門家が同行している。武漢市民は、WHOの調査チームと接触しないように念を入れて通達され、患者の遺族らがWHOの調査チームへの面会を求める声も封じ込められ、遺族らによる「微信(WeChat)」のチャットグループも強制閉鎖させられたことが日経新聞などでも報じられている。

 こういう状況で客観的かつ公正な調査ができるのか、ということが、記者会見での結論に納得できない最大の理由だ。

中国共産党の過剰なまでの情報統制

 2003年のSARSの真実を最初に暴露したのは蒋彦永という老軍医だった。この時の彼の告発は、まさしく生死を賭けたものだった。李文亮や艾芬は今回、最初の警告者として注目を浴びたが、彼らは実はSNSの仲間内でのチャットグループで発信しただけだった。一方、蒋彦永は最初にフェニックステレビなど中国メディアに訴えたが情報を握りつぶされたため、米国誌「TIME」に暴露した。これは中国共産党政権にとっては重大な裏切りであったはずだ。

 当時、私たち北京駐在の外国メディア記者は、TIMEの記事を根拠に、現地調査に来ていながら記者会見では中国当局に忖度しまくって歯切れの悪いWHOの専門家たちに、「本当はどうなんだ」「公式の見解ではなく、あなた個人が専門家としてどう見ているかを聞いている」と喧嘩腰に食い下がり、「北京に200人以上の感染者」という言質を引き出し、翌日の世界中の新聞が報じたのである。この一連の外国メディアの報道に中国メディアの記者も一般市民も驚き称賛の声をあげ、中国共産党政府は対応を転換せざるを得なくなった。

 今回の新型コロナ肺炎では、蒋彦永のような、問題の渦中にいて、かつ外国メディアに真相を暴露する勇気と義侠心を持つほどの人物は登場しなかった。今回のWHOの記者会見もライブ映像を見る限り、専門家たちに詰め寄って喧嘩腰で質問するような記者もいなかった。

 李文亮は、真相の端っこに一瞬触れたことでささやかな抵抗を試みたが、共産党政権に沈黙させられ、失意のまま亡くなった。

 2003年当時は、広東省の「南方週末」記者はじめ、一部に果敢なジャーナリズム魂を見せる中国人記者も少なくなかったが、習近平政権のメディアコントロール強化政策によって、既存メディアは本当にモノを言わなくなってしまった。独立系メディアの「財新」などがかなり果敢にスクープを取りに行ったが、彼らの特ダネは中国国内では削除され、のちに党中央から極めて強い圧力がかかったことも一部で報じられている。

 元人権派弁護士の陳秋実と張展、元CCTVキャスターの李沢華、武漢のビジネスマンの方斌らは、市民記者として真相を追求しようと取材活動を試みたが、道半ばで「失踪させられて」(非公開で当局に拘束され、指定居所での監視下で尋問を受けている状況を指す)してしまった。

 このうち武漢ウイルス研究所の「P4実験室」(国際基準でBSL4に相当するきわめて毒性の強いウイルスを研究している実験室)に迫った李沢華は2月26日、国家安全当局に身柄を拘束されたのち、釈放された。釈放後の4月16日に撮影し、YouTube上で公表した動画では、拘束されたいきさつを自ら説明していたが、実に奇妙な印象を与えるものであり、当初彼を拘束したのが国家安全当局であったことは、P4実験室と新型コロナの関連についていろいろな憶測を呼んだ。

 元弁護士で人権活動家の張展に至っては、拘留中にひどい拷問を受けていたことが報告されている。昨年(2020年)暮れ、裁判に出廷したときの衰弱ぶりは、拷問が事実であることを裏付けていた。彼女は公共秩序擾乱の罪で懲役4年の判決を受けた。

 ここまでして、中国共産党が記者たちを締め上げ、医師や市民の証言を弾圧しているのはなぜなのか。やはりまだ明らかにされていない何か深い真相があると疑われても仕方がないのではないか。

中国軍が研究する「新しい戦争」

 この調査チームが発表した、コウモリから人への直接感染の可能性を否定する最大の根拠は、武漢にコウモリがいない、ということだが、武漢のいくつかの研究所にはコウモリがたくさん飼われている、という。そして、かつて、実験のプロセスで研究員がコウモリに攻撃され尿や血液に触れてしまった事故があり、隔離措置をとったことは事実として報じられている。それにもかかわらず、コウモリからの直接感染の可能性を完全に排除できるのだろうか。

 武漢ウイルス研究所のトップ研究者、石正麗が率いるコウモリコロナウイルス研究チームが、米ノースカロライナ大学で米国人研究チームと合同で、コウモリコロナウイルスを使ったキメラウイルス実験を行い、ネズミの気道に感染させる実験を行ったことや、それが生物兵器研究につながると批判されて研究自体が打ち切られたいきさつは、すでに報道されているが、そういう研究が中国で継続されていた可能性はまったくないと言えるのだろうか。

 中国では、世界でタブーとされているゲノム編集ベビー実験なども密かに行われていた。中国人民解放軍では「バイオケミカル超限戦」論が2010年ごろから盛り上がっている。

 中央軍事委員会科学技術委員会の副主任兼解放軍軍事科学院副長の賀福初などは、人の脳と兵器ネットワークをリンクする「バイオインテリジェンス兵器」なるSFの世界のような兵器の登場を予言した。人民解放軍内では、新時代の超限戦(あらゆる制約を取り払った21世紀の新しい戦争)の1つが「生命権を制する戦争」であるとして、感染症を特定地域(空母打撃群など)に流行させる戦術も想定していた。まさに、新型コロナ肺炎が米空母ルーズベルトを機能不全に陥れたような事態は、人民解放軍で予想されていた。

 私たちが疑ったり恐れたりしていることが単なる“陰謀論”であれば、それはそれで実に良いことである。だが、世の中には私たちの想像の斜め上を行くことがたくさんあり、それを疑い、しつこく調べ、追及し続けるのが、私たちジャーナリズム界の常識なのだ。そういう立場でいえば、今回のWHOと中国の合同調査によって完全に排除できる可能性は、何一つない。

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賑わいを取り戻した中国・武漢の市場(2021年2月8日、写真:ロイター/アフロ)