
Suit/Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
今では信じられないことだが、20世紀始め、放射性物質を摂取したり、肌に塗ったりする治療法が大流行した。
当時はまだ、放射線に対する危険性が認知されていなかったため、放射性物質の入った医薬品や食品などが一般に販売されていたのだ。
1918年から1928年にかけてラジソール(Radithor)と言うエナジードリンクが販売された。これは蒸留水に微量のラジウムを溶かしたもので、糖尿病から性力減退までなんにでも効く万能薬と謳われていたが、実際にこれを飲み続けるとどうなるか、今を生きるみんなにならもうお分かりだろう。
1896年3月1日、フランスの物理学者アンリ・ベクレルが、ウランの放射性を発見した。その後すぐに、ポロニウム、トリウム、ラジウムも放射線を放出していることがわかり、マリー・キュリーが初めて放射能という言葉を使った。
現在だったら、放射性物質、放射能が非常に危険な物質であることは周知の事実だが、当時その危険性はまだ十分に理解されていなかった。
当時の人々が知っていることと言えば「何らかの強いエネルギーを持っている」ことぐらいで、その驚異の力が根拠のない万能薬として期待されることとなる。
その為、放射性物質を使ったさまざまな製品が作り出された。放射性物質入り歯磨きドラマッド、タバコのパッケージの中に入れて、タールやニコチンのレベルを下げつつ喫煙を楽しむための、放射性を帯びたカード、ニコクリーンといった製品だった。
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ラジウム水「ラジソール」を飲み続けたアスリートの末路
こうしたものは、アメリカのスポーツマンや社交界の名士たちの間でもてはやされた。社交界の花形でアスリートでもあったエベン・バイアーズもそのひとりだった。
彼は1906年に全米アマチュアゴルフの大会で優勝したが、1927年、腕を怪我して、アスリートとしての生命を絶たれた。
彼は、痛み止めとしてラジソール(Radithor)という飲み薬を処方された。これは、発明家のウィリアム・J・A・ベイリーが開発した薬だというが、実はラジウムを蒸留水で希釈しただけのものだった。
当時エナジードリンクとしてもてはやされたラジウム入りの蒸留水、ラジソール
だが、偶然なのかプラセボ効果なのか、バイアーズの痛みは解消され、彼はラジソールのおかげだと信じ込んだ。
この"薬"の効用を確信したバイアーズは、ビジネス仲間や恋人たちにこの極めて有害な放射性物質入りのエナジードリンクを何ケースも送り、果ては自分の競走馬にまで飲ませた。
彼自身だけでも、長年にわたり14g入りのビン1日3回、1400本も飲み干したという。
当時、バイアーズはなにも知らなかった。国も有害な影響は確認しておらず、規定以上の量の放射性物質はは含まれていなかったため、メーカーに対して実際になんらかの規制をかけるところまではいかなかった。
その数年後、バイアーズの体重は減り始め、頭痛がひどくなり、歯が抜け始めた。

彼は医者に、"痩せたのは、体が引き締まったからだ"と話したが、これは体中の骨がボロボロになり始めていた証拠だった。
1931年、国が放射性物質が体に悪いということにようやく気づき始め、バイアーズに公聴会で証言したいかどうか訊ねた。だが、すでにこの時、彼は非常に具合が悪く、弁護士を通じて声明を出した。
2本の前歯を除いた上顎全体と、下顎のほとんどがなくなった。残っている体の骨組織も崩壊しつつあり、頭蓋骨にもいくつも穴があいている
バイアーズは、51歳で亡くなる数週間前に、自分の症状が末期的であることをやっと知った。その時点で、残った歯は6本だけだった。死後、彼の遺体は鉛の棺に入れられて埋葬された。
バイアーズの死後、多くの医師たちが、放射性物質の害について証言し、放射性商品による疑似科学療法は終わりを告げた。
この放射線エナジードリンクの開発者は、1949年に膀胱ガンで亡くなるまで、あくまでも安全な薬だと言い張っていた。20年後、彼の遺体が掘り出されたとき、その体内は放射性物質によって破壊され、まだ温かかったという。
References:content / iflscience/ written by konohazuku / edited by parumo
追記(2021/02/13)本文を一部修正して再送します

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