トランプ政権の4年間で決定的に深まったアメリカ社会の分断。アメリカの民主政治は破綻してしまったのか? だが、ハーバード大学歴史学部教授のアンドルーゴードン氏は、そのような対立は1970年代にも80年代にも2000年代初頭にもあったと指摘する。アメリカの民主政治は、対立を乗り越えてどのように保持されてきたのか。そして今はどのような「危機」を迎えているのか。ゴードン氏による本質的論考をお届けする。(JBpress)

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アンドルーゴードン歴史学者、ハーバード大学歴史学部教授)

 1974年の夏、当時のリチャード・ニクソン大統領は、ニクソン再選委員会が民主党本部に侵入した事件への関与を問われ、弾劾される見通しが濃厚となっていた(世に言うウォーターゲート事件)。当時、私は東京に住んで1年ばかりの大学生で、9カ月にわたる日本語学習の集中コースを終えたばかりだった。日本語の新聞が読めるという自信を身につけた私は、日本の媒体で米国の政治ニュースを熱心に追いかけていた。帰国する数日前、ニクソン大統領は辞任した。下院が弾劾を行う直前のことで、現職大統領の有罪が上院で決まるという前代未聞の事態は免れた。このニュースを耳にするや否や、アパートの自室である六畳間を飛び出し、駅の売店へ新聞を求めに走った。それは東京新聞だった。特大の見出しには「ニクソン辞任 民主主義の敗北」とあった。

 母国に帰った後、その記事の見出しを切り抜いて自宅の壁に貼り、何年もそのままにしておいた。この見出しを初めて目にしたときに仰天したからだ。どうしてニクソン氏の辞任が敗北なのか。1974年8月時点で、私を含む米国民の大多数と議会にとっては、ウォーターゲート事件は民主主義と法の支配への明らかな挑戦だった。彼の企ては結果的に失敗に終わった。ニクソン氏が辞任に追い込まれたことは明らかに民主主義の勝利のように思えた。

 多くの年月を経て、この一件を私なりに再解釈するなら、民主政治による統治は混沌さを伴うということがひとつに言える。為政者にはルールをねじ曲げたい、破りたいという誘惑が常につきまとう。ある統治制度の真価は、ルールを破ろうとする者が現れた際に、その者が正面から挑戦を受け、打ち負かされ、責任を問われるか否かに表れる。

 46年前、ニクソン氏の辞任について、なぜ東京新聞は民主主義の敗北という見出しを付けたのだろうか。それは、彼の非民主的な行動そのものを民主主義の敗北と判断したからなのかもしれない。だが、私はそれに賛同できない。むしろ、民主主義に違反するニクソン氏を否定し、辞任に追い込んだ議会の行動こそが民主主義の勝利だったのである。

 ひょっとすると日本人は政治状態の「混沌さ」に対して耐性が低かったのかもしれない。ハーバード大学での私の同僚で、政治学者であるスティーブン・レビツキー氏とダニエル・ジブラット氏は「民主主義のガードレール」と名づけた社会的規範の概念を提唱している(『民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道新潮社、2018年)。日本では、たとえリビツキー氏らの言うところの「ガードレール」のような社会規範や慣習がじゅうぶんに機能していたとしても、日本人は政治の混沌状態を嫌ったということかもしれない。

アメリカ民主制を守る柔軟な「ガードレール」

 今回の短いエッセイでは、1970年代の日本人の民主主義観に焦点を当てることはしない。むしろ、今日の米国の政治状況に目を向けてみたいと思う。11月の大統領選でのドナルド・トランプ氏の敗北は民主主義の勝利ではなかったのか? 彼はこれまで徹底して民主主義の規範を犯し続けてきた。今回の選挙後には、不正選挙の訴えが主にトランプ支持者によって全米各地で次々に起こされた。根拠のないそれら60件以上の訴えが各地の(多くの場合、トランプ氏自身が任命した)裁判官によって否認されたことは民主主義の勝利ではなかったのか? 米国連邦議会への暴力的な侵攻も、最終的には各州での選挙結果を公式に認定する合同会議を止めることができなかった。このことは民主主義の勝利ではなかったのか? 厳重な警備下にあったとはいえ、その2週間後にジョー・バイデン氏が静かに式典を終え、大統領に就任したことは民主主義の勝利ではなかったのか?

 これらの問いに対する私の手短な答えは「それを知るにはまだ早すぎる」である。1974年のニクソン辞任と同じように、2020年や2021年の出来事が「アメリカ民主主義の勝利」と確信できるかというと、そうでないという人が少なくないだろう。当時と今とでは一体何が変わったのだろうか?

 先述したレビツキー氏とジブラット氏の研究は、彼らが以前に行った米国外における権威主義体制の研究から生まれている。権威主義など、どこか他国の問題と思っている多くの米国人にとってこれは皮肉なことかもしれない。彼らの行った研究は先ほどの問いかけに対して有用な手がかりを提供してくれる。合衆国憲法はたしかに優れているのかもしれないが、民主政治を維持するには文字ベースのガイドブック以上の何かが必要だと彼らは考えている。「民主主義がもっともうまく機能し、より長く生き残るのは、憲法が成文化されていない民主主義の規範によって支えられているときだ(p.26)」。

 彼らの言葉を借りれば、「寛容」と「自制」の2つがアメリカ民主制を守る柔軟な「ガードレール」として機能してきたという。

 前者の「寛容」とは、対立する利害関係者や党派の間で互いを尊重する態度を示し続けることである。相手の掲げる政策にどれほど反対していたとしても、その相手も正当な政治参加者の一員として認めるということだ。

 後者の「自制」は権力の濫用を自己抑制することを意味する。たとえば、司法省が大統領制の統治の正当性ではなく、大統領個人を守るようなことができるとしても、そのような行為を自制し、司法長官など行政の長はむやみに行政令の行使に訴え出ないといった類のことだ。かつてニクソン大統領はそのような政令による支配を試みたわけだが、最終的には失敗している。

 今回、トランプ氏が試みた、選挙結果を覆すように司法省に要求するという悪質な行為も、ギリギリのところで失敗に終わった。ただし、トランプ時代には、ニクソン時代とは対照的に、下院における大多数の共和党議員やさらに共和党有権者の大多数が、選挙結果をひっくり返そうとするトランプ氏の恣意的な試みを支持し、選挙不正とする根拠のない主張を受け入れてしまった。現時点では、民主主義は勝利したようにも見えるが、その勝利の長期的な安定性は不確かであり、依然として困難な状態が続いている。

1970年代の二極化との違い

 今日の米国では寛容と自制が崩壊したとまではいえないものの、たしかに弱体化したように見える。この危機的な状況に至った要因は何であろう。

 1970年代と比べて今日の方が、政党や市民間での政策対立が内政にせよ外政にせよ、激しくなったとは私には思えない。ベトナム戦争の賛否をめぐる米国内の激しい対立は、トランプ大統領在任中の4年間におけるどの外交政策をめぐる対立よりも、深く社会を分断した。ベトナム戦争の支持者が反戦グループに向けて好んで使ったフレーズは「アメリカを愛するか、出て行くか、2つに1つ(“America: Love it or Leave it.”)」であった。これではとても、互いを認め合い、相手を同じ政治的共同体の一部と感じていたとは言えそうにない。

 内政では、白人のみが利用できた公立学校を全ての人種に解放しようとする裁判所の決定に対して当時、激しい抗議活動が起きた。これは今日、不法移民に市民権への道を開こうとする動きに反対するトランプ支持者の怒りよりは穏やかということはなかった。

 中国との競争によって、今日、製造業の雇用が失われたことへの怒りは、1980年代に日本との競争によって雇用を失くしたことへの米国労働者の怒りと比べるとさほど大きいとはいえない(あの頃の怒りに比べるとまだ小さいかもしれない)。1983年デトロイトの自動車工場の労働者たちは怒りの発露として日本車を公然と破壊した。前年には、白人の米国人自動車労働者2名が中国系アメリカ人の青年を日本人だと勘違いして殺害している。貿易摩擦に関連した当時最悪の事件であった。

 昔も今も二極化の構図はあったわけだが、今日では2つの違いが危機をより深刻なものにしている。

 1つ目に、分断された両者は別世界に暮らしており、共有した事実と情報に基づいて考えたり行動したりしていないということだ。

 レビツキー氏は2018年の時点ですでに両者の間で人種的・社会的な溝が深まっていると指摘している。「民主党は基本的には世俗的な政党で、教育を受けた白人と、様々な民族的少数者たちの政党であるが、共和党は基本的には均質的な白人やプロテスタントの政党、言ってしまえば、白人キリスト教徒の政党である」とし、「共和党の支持者の間には、自分たちが育った地であり、自分たちと共に育った国であるアメリカが奪い去られていくという感覚を抱く有権者が多い」と論じている(「National Public Radio」でのインタビュー、2018年1月22日)。

 2つ目に、ドナルド・トランプ氏を筆頭に、自分たちでも虚偽だとわかっている情報さえ利用して、政治的指導者たちが世論を進んで煽っているということだ。トランプ氏自身は選挙不正をめぐる自らの無意味な主張を本当に信じていることも考えられるが(私自身はそうではないと疑いを抱いている)。

 他方で、今回、各州の選挙結果の承認に際して(連邦議会で)反対票を投じた共和党議員の多くは、選挙結果が法律上有効で、たしかに州からの報告どおりのものであることを事前に十分知った上で反対票を投じた。この点は間違いない。彼らは政治的・個人的な保身のために、嘘を容認し、喧伝することに加担したのである。

 政治の世界で嘘や根拠なき陰謀論自体はけっして目新しいものではない。ただし、今日の世界ではメディアがバラバラの小部分に分断されてしまった。多くの人々が指摘してきたようにソーシャルメディア(SNS)はその流れを牽引した存在である。このような状況下で、人々は本来的に相容れない、異なる「事実」を共有し、不確かな情報が数百万あるいは数億の人々の間をグルグルと循環している。これこそが、大統領に首都での暴動を扇動することを可能にし、議会になだれ込んだ人々に「選挙は盗まれた」と信じ込ませ、結果を覆すことが可能と信じ込ませた背景であった。

寛容と自制がしおれてしまった

 再び、1970年代に目を向けよう。米国がベトナム戦争を開始した過程を明らかにした膨大な機密文書(いわゆるペンタゴン・ペーパーズ)への対応を想起してみよう。ニクソン政権はこの文書の公開に対して猛烈に抵抗した。ペンタゴン・ペーパーズがいったん公開されると、その意味や無許可公開の合法性をめぐって議論が巻き起こった。しかし、文書自体が偽物であると主張する声で有力なものはけっきょく現れなかった。

 2016年の大統領選挙の「ロシア疑惑」とペンタンゴン・ペーパーズの件を比べてみよう。ロシア疑惑に関してはFBIモラー特別捜査官が調査を行なったが、彼の調査結果に対しては「フェイクニュース」以外の何物でもないという批判がトランプ氏の支持者たちから絶え間なく浴びせられた。

 さらに近年の事例と比較してみよう。2000年のブッシュ氏対ゴア氏の大統領選の結果は、フロリダ州で600万票のうちわずか500票の差しかつかなかった。単一の訴訟で民主党は票の数え直しの必要性を主張した(結果は覆ることはなかったが)。当時の民主党の主張は、選挙での不正を訴えたものではなく、まだすべての票が精査されていないという問題意識に拠っていた。けっきょく、最高裁がフロリダ州裁判所の再集計の追加請求を棄却した際、アル・ゴア氏は支持者にさらなる抗議を呼びかけるようなことはせず、そのまま敗北を認めた。

 2020年の選挙では、共和党は、はるかに多くの州で、はるかに多くの得票数の差があったにもかかわらず、州裁判所と最高裁判所を合わせて60以上の訴訟を起こした。彼らは様々な選挙不正があったと主張したが、これらの訴えはけっきょく退けられた。

 このように今と昔を見比べてみると、1970年代や2000年より現在の政治的分断の方が根深いと主張することは難しい。むしろ、アメリカ政治の根底にあった寛容と自制がしおれてしまったのだ

民主政治の将来をおびやかすもの

 だが今後を見通すと、事態が好転するいくつかの兆しを見出すことができる。

 バイデン氏は確かに大統領に就任し、大統領令を次々と布告し、氏の掲げる法案の成立に向けて、比較的正常な形で政治的議論が進んでいる。

 トランプ氏は2015年の立候補以来、最低の支持率(一部の世論調査では30%以下)を突きつけられた。暴動の扇動容疑に関する上院の弾劾裁判で有罪とならなかったトランプ氏が、共和党内での影響力の維持を狙っていることは間違いない。しかし、共和党内に生じた対立の根は深く、かつての影響力をトランプ氏が取り戻すとは考えづらい(起こりえないとは言えないが)。過激な陰謀論を唱える者たちの間では、いまグループ内部での抗争が発生している。トランプ氏自身はほとんどのソーシャルメディアへのアクセス権限を剥奪されている。連邦政府は国内テロの疑いに関する取り締まりを強化している。

 足元の現状を見ると、2021年1月20日の記事にふさわしい見出しは「バイデン大統領就任 民主主義の勝利」となるだろう。ただし今回、米国民は民主主義のもろさについて手痛い教訓を学んだ。世界の安定と法の支配の番人を自負するこの国においてでさえ民主主義は失敗しうるのだ。

 民主政治の将来をおびやかすものは、政策的な立場の違いによる分裂などではない。むしろ、人々の事実認識に関して社会の根底に相容れない対立の構造が広がってしまうことだ

 もし、そうした事実認識の対立が全員にとってではないにせよ、多くの国民にとって歩み寄りを見せるのなら、米国社会は寛容と自制のガードレールをもう一度その基盤として深く据えることになるだろう。そうなった暁には初めて、今回のトラウマ的出来事は長い目で見ても「民主主義の勝利」と呼べるようになるだろう。

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