福島県沖地震の影響で寸断された東北新幹線。その代替のひとつとなったのが、新型コロナの影響で多くの路線が運休していた高速バスです。機動的対応が実現した背景には、過去の経験の積み重ねがあります。

地震発生時からの対応を振り返る

2021年2月13日(土)23時08分、福島県宮城県震度6強を記録する地震が発生し、東北新幹線が一部区間で不通になりました。その代替のひとつを担ったのが高速バスです。各社の対応を振り返ります。

地震発生時、弘南バス(青森県)では、青森・弘前~東京線の夜行便が発車した後でした。高速バス部次長の加藤 尚徳(なおのり)さんは、即座に「最寄りのサービスエリアなどで待機」という指示を出すよう、営業所の運行管理者に伝えました。深夜でしたが出勤し、高速道路通行止めを確認すると、余震も考慮し運行中止を決断。上り便、下り便とも出発地に引き返し、運賃は後日払い戻すことにしました。

ウェブ上の運行情報を更新し、国(運輸局)への報告を済ませいったん帰宅。翌朝に出勤すると、通行止めは解除された一方、「東北新幹線が被害を受け復旧に約10日」というニュースが流れました。前夜とは一転、今度は臨時便の準備に追われます。

同社は、2011(平成23)年の東日本大震災直後、早期に弘前~仙台線の運行を再開しました。当時、仙台~首都圏方面の交通は寸断されており、他県からの旅行者や出張者が、このバスで弘前へ向かい、青森空港経由で自宅に戻ったということもありました。

その経験から、東京線に続行便(同じ時刻に2号車、3号車を運行)を設定すると停留所が混乱すると考え、別時刻に発車する臨時便を設定することにしました。本来なら7日前までに国に届出が必要ですが、特例として即日の運行が認められました。

より震源に近い福島県でも、福島交通らが対応に追われました。報道では、どうしても、東北各地~首都圏間に注目が集まりがちです。しかし、福島県内各地~仙台の路線も、通勤通学利用も含めふだんから多くの利用があります。同社では、福島・郡山~新宿線の臨時便を運行するともに、須賀川・郡山~仙台線でも、平日限定で続行便を設定しました。また、福島空港発着の航空便も臨時便が設定されたため、空港連絡バスも臨時増便の対応をしました。

応援に次ぐ応援 背景にある法令

東北各地と首都圏各地を結ぶ路線を運行しているジェイアールバス東北は、自社だけでは需要に応じきれないと判断し、共同運行先の国際興業成田空港交通とともに続行便や臨時系統を設定すると同時に、グループ会社のジェイアールバス関東ジェイアールバステック、さらに他路線の共同運行先である東日本急行(宮城県)にも協力を求めました。

なお東日本急行は、ウィラーの新宿~仙台線の続行便も担当しました。この両社は、ふだんから続行便の運行で協力関係にあります。こうした柔軟な対応の背景には、ある法令の存在があります。

路線の輸送力が不足する際に他社へ運行を委託する「貸切バス型管理の受委託」は、日ごろから、帰省ラッシュ時など需要集中日によく活用されています。この制度が始まる前年の2011(平成23)年、関係者が制度の詳細を検討していた最中に、東日本大震災が発生しました。国土交通省の幹部が、特例として、正式決定前の同制度を活用することを即座に判断。このときは京王バスの新宿・渋谷~仙台線の続行便を富士急行グループが担当するなど、同制度が東北発着の足の確保に貢献したのです。

臨時便や続行便を走らせるには、車両や乗務員の確保、ウェブ予約の受付準備や予約センターの増員のほか、車両の停泊場所や乗務員の休憩施設を手配することも必要です。所要時間5時間30分程度である東京~仙台間の場合、停泊場所へ回送し電話で乗務終了の点呼を受けてから、復路の乗務に向けた勤務開始まで、8時間以上空けることが法令で決まっています。ふだんは共同運行先の営業所内の仮眠室、周辺のアパートなどで仮眠しますが、急に台数が増えるとそれも不足します。

今回は、日勤者が短時間の休憩を取る部屋を、急きょ区切って、共同運行先の乗務員に仮眠場所として提供した事業者もありました。

3列シート車をとにかく集めろ!

東北急行バスは、東武グループの高速バス事業者として、東京駅を起点に、鬼怒川温泉、金沢、大阪、岡山などへ運行していますが、社名が示す通り東京~仙台線は「祖業」です。緊急事態宣言を受け他の路線が運休していたこともあり、全力を仙台線に投入しました。

地震翌日の14日(日)の昼から続行便を3台追加。その後も、乗務員の出勤シフトを組みなおし、臨時便や続行便を、全て3列シート車で続々と設定しました。

京王バスは、逆に新宿・渋谷~仙台線を運休していましたが、15日(月)から急きょ再開しました。初日は、道路状況がわからなかったため、念のために交替運転手も同乗させています。永福町営業所長の柏木 洋祐さんは、一連の対応を振り返り、「『営業係』(同社では乗務員をこう呼ぶ)の士気も高く、東北地方の出身者をはじめ仙台線乗務を志願する者が多くいました。私自身も、困っている方の助けになったことで、必要とされている実感がわきました」と話します。

高速バス事業の歴史や規模では第一級の同社ですが、中距離の昼行路線が中心のため、3列シート車の比率は大きくありません。今回、運休中の大阪線、神戸・姫路線の車両も投入し、京王の高速バスでは初めて、3列シート車4台口による運行となりました。

災害時に「足」を担ってきた高速バス

過去の災害においても、高速バスは、事態に柔軟に対応し人々の足となってきました。東日本大震災の際は、当時の高速ツアーバス各社も含めて、関係当局から「緊急通行車両」の標章交付を受け、高速道路にまだ段差が残る中、被災地から避難する人や、復興ボランティアを輸送しました。

また2018年の西日本豪雨災害で広島県のJR呉線が長期間不通となった際には、一般車通行止めの自動車専用道路上でバスがUターンする、といった特別なルート設定を認めてもらい、通勤通学輸送の定時制を高めています。1995(平成7)年の阪神大震災では、高速バス日本海側を迂回して都市間を結んだほか、大都市部である阪神間の鉄道代行輸送にも、多くのバス事業者が協力して対応しました。

より大規模な災害に対応できるか 課題も

今回は、緊急事態宣言下で人の移動自体が減っており、バス事業者の輸送力に余裕があったことから、おおむね、素早く、十分な量の対応が行われたといえるでしょう。

しかし、体制が整う前の14日(日)朝、仙台駅高速バス乗り場にできた長蛇の列を報道で見ると、大学入試などの用件でどうしても出かけなければならない人たちには、不安も大きかっただろうと推察されます。

さらに、より広域の災害や、首都直下地震などによる大都市圏全域での鉄道網不全であったなら、と考えざるを得ません。

阪神大震災が起こった26年前、当時は大手私鉄系のバス事業者が多くの貸切バスを保有しており、他の地方から応援に来た事業者と協力しながら代行輸送に当たりました。しかし今では、大手私鉄系は貸切バス事業を縮小し、代わりに中小事業者の比率が大きくなっています。緊急かつ大規模な鉄道代行輸送を求められた際、バス業界内で効率的に情報を共有し、統率のとれた形で運用する方法を研究しておく必要を、あらためて認識させられました。

地震発生から3日後、2月15日の東京駅JR高速バス乗り場では、仙台行きの高速バスを多くの人が利用した(乗りものニュース編集部撮影)。