新型コロナウイルスの感染拡大対策としてテレワークが進み、まもなく年度末を迎えようとしている。これまでテレワークについては、働き方の変化に注目が集まってきたが、人事評価についてはどう変わるのだろうか。

特に、テレワークが進むと、プロセスが見えにくくなるため、成果主義の流れが強まると指摘する声もあるが、神戸大学経済経営研究所の江夏幾多郎准教授は、「テレワークであっても、適切な査定はできる。成果主義かどうかではなく、もともと査定のできない管理職がたくさんいることが問題」と指摘する。

ちょうど昨年、コロナ禍とタイミングをほぼ同じくして、職務内容を明確にした上で、人材を採用・配置する「ジョブ型雇用」が、年功序列を脱却するための「成果主義」の文脈で用いられることが増えてきた。テレワーク時代の人事評価をどう考えればいいのか、詳しく聞いた。(新志有裕)

●また「成果主義ブーム」の失敗が繰り返される可能性

――テレワークが進むと、成果主義に向かう、という考え方をどう捉えればいいのでしょうか。

働き方の問題と査定の問題は本来別の話です。テレワークで労働時間の管理ができなくなる、とよく言われますが、運用次第でテレワークでも労働時間管理はできます。そもそも時間管理すべきかどうかは置いておいて、成果主義の話が出てくるのは、ちゃんとした理屈があるというよりも、人事評価を変えたいという企業の願望のようなものではないでしょうか。

2000年前後から、業績に基づく成果主義に向かおうということで、目標管理制度を導入し、その結果に基づいて、賞与や給与に差をつけようとしてきました。「そんなにデジタルに評価はできない」「目標自体が期中で変わってしまう」などの理由で、結局うまくいきませんでした。

労働時間を貢献と見なす慣習はなかなか消えません。もちろん、問題は評価制度だけではなく、残業代が多くの就労者の生計に組み込まれている、長く働かないと利益を出せない事業や仕事の割り振りになっているなど、実に根深いのですが。

業績管理の体裁を取り繕うために時間管理に戻ってしまった面があったのですが、テレワークへの移行に伴い、「やっぱり時間管理ではないだろう」ということになりました。ただ、色々吟味しないままに「成果主義」の言葉だけが飛び交っている印象があります。

――そうなると、また失敗の歴史が繰り返される可能性があるということでしょうか。

その可能性はあります。結局、ホワイトカラーの場合は、仕事の内容が複雑なので、デジタルに評価はできないのですが、人事の側も従業員の側も、デジタルに一人一人の待遇格差を設けないといけないといった、変な前提があります。

本当は客観性の追求には限界があって、アナログに評価をせざるをえない中、どう納得感を作っていくのか、という話をしないといけないのです。

「うちの職場では、こういう人が優秀だ」「この基準に納得できないなら転職したほうがいい」という前提を評価する側が体得し、部下とすり合わせないまま形式的に評価をしても、機能不全が起きるだけです。優秀さの基準を部門で共有できない管理職は、単に部下をうまく評価できないだけでなく、部門としての成果の創出も難しくなるでしょう。

ここ数年の流れでいうと、「1on1」(上司と部下の1対1の定期的なコミュニケーション)という言葉が流行ってしまっているあたりが、人事評価のみならず組織編成の大前提であるコミュニケーションが十分でないことを浮き彫りにしています。いまだに「フィードバックに30分も時間をかけている暇がない」「後で変わってしまうような目標管理シートに真面目に書いても仕方ない」という管理職がいますが、あえてそういうことをすることで見えてくるもの、変えられるものもあるはずです。

――問題の本質は、そもそも適切な評価ができていないということにあるのでしょうか。

そうです。テレワークになったから査定がしにくい、とよく言われるのですが、もともとちゃんと査定をできていなかった管理職が、テレワークになって、余計にできなくなっているということでしょう。

人事評価のためには、対象者を日々観察したり、インタビューしたりして情報を集める、作り出す必要があります。そのプロセスをサボったのではまともな評価はできません。このプロセスをもともとできていた人は、テレワークの中でもそれなりに工夫をするでしょうし、結果として部下との相互理解、納得できる人事評価に至る確率は高まるでしょう。

しかし、それができない管理職がいるわけです。そうなると、部下を評価する力や、部下を動機づける力の格差が広がります。そして、もともと評価力が低い人がボリュームゾーンにいるので、余計に問題として顕在化しているということでしょう。

●本当に「ジョブ型雇用」でないと、改革は進まないのか。

――職務内容を明確にした上で、人材を雇用・配置する「ジョブ型雇用」が、成果主義と絡めて語られることが増えました。多くの日本企業では、職務内容ではなく、人材を職務遂行能力でランク付けする「職能資格制度」が普及していますが、結局、人の能力は評価しにくいということで、年功序列に陥りやすく、そのアンチテーゼとして、職務をベースにした「ジョブ型雇用」が流行になっているようです。「ジョブ型雇用」に移行すれば、評価がしやすくなりますか。

単純に、職務内容を定める「職務記述書」を導入したからといって、本当に成果主義や、年功によらない運用ができるのか疑問です。

組織の高齢化が進む中で、とにかく人件費における固定費の割合を減らさないといけない、ということで、企業は常に年功主義の代替案を模索している印象があります。年功序列でないものなら何でも入れてみよう、みたいな議論になっているようにも見えます。

ジョブ型雇用」を成立させるには、「この人材にはいくらの価値がある」でなはく、「この仕事はいくらの価値がある」といった社内外の労働市場の相場観がないといけないのですが、今の日本企業にそのようなものがどれだけあるでしょうか。社内での職務比較、社外との職務比較を怠って、「日本型〜」と名乗ったところで,狙った成果は出せるでしょうか。結局、見た目は「ジョブ型雇用」でも、結局はこれまでのように、人をベースにしたものになってしまうのではないでしょうか。

――そうであれば、これまで使ってきた「職能資格制度」をちゃんと運用する、ということを考えるという手もあるのではないでしょうか。

人をベースにした管理は、固有の難しさはありますが,考え方自体がダメだというわけではありません。時代にあわせて「職務遂行能力」の定義を見直して今求められる能力を本当に考える、社員が納得できる人事評価やそれに基づく待遇や職務を与える。そういったことができればいいのですが、0年間も制度を変えていないという会社もありますよね。

職能要件の書類を見ても、係長クラスと課長クラスで内容の違いがよくわからなかったり、職種横断で定義してしまったりしていると、評価の基準や、成長目標の基準になりません。

――そのあいまいさが、職務や職種をまたいだ人事異動のやりやすさにつながり、日本ならではのジョブローテーションを可能にしてきた面もありますが、見直しが必要ということでしょうか。

本当は、「社会人基礎力」的なものを除いて,職務や職種によって必要な能力は変わるので、長期的なキャリア形成も含め、ちゃんと調整は必要です。「やりながら覚えろ」や、直前に出た辞令1枚に従業員が従う、というような無理を通すべき時代でしょうか。議論と合意に基づく運用ができていれば、職能資格制度でもうまくいくと考えます。

●「魔法の杖」はない。当たり前のことができるかどうか

――結局、「成果主義」にせよ、「ジョブ型雇用」にせよ、表層的な話ということでしょうか。

そうですね。これまでの問題を放置してきたことが最大の問題です。そして、それは現場の問題だけでなく、人事担当者の問題でもあります。なぜこの四半世紀、組織の活力を作ることに失敗してきたのかを考えないといけません。

成果主義ジョブ型雇用は「魔法の杖」ではありません。バズワードに乗るのではなく、人事担当者が、現場のリーダーたちと一緒に、制度の意義や実効性のある使い方について、もっと議論しないといけないですね。

――ただ、コロナ禍で突然テレワークが進んだことで、部下とのコミュニケーションや、様々な調整業務が増えて、管理職はますます大変になり、人事評価どころではなくなってくるのではないでしょうか。

これは本当にそうなっていると思います。今までのツケのしわ寄せが全部きています。管理職がやらなくてもいいことをやっている、という状態があります。人事や総務が現場に丸投げするのではなく、技術的な面も含めて、もっと支援をすべきでしょう。人手が足りないのなら、経営者が予算的な措置を決断する必要もあるでしょう。

――そんな状態だと、管理職をやりたい人はいなくなってしまうのではないでしょうか。

身も蓋もない話かもしれませんが、責任に合った報酬レベルになっていないように思います。超ドメスティックな日本企業が「世界中から優秀な人材を呼び込みたい」と考えても、今の管理職の待遇を見たら、優秀な外国人、外資系企業で働く日本人はなかなか来ないでしょう。

今の賃金水準だと、管理職が「リモート環境に合わせて変えていこう」といった、前向きな流れを生み出していくことも難しくなってしまいます。嵐が過ぎるまでひたすら堪えるという今までのパターンになる予感があります。

――人件費のあり方も含めて、見直しが必要ということでしょうか。

人事管理における重要な側面として、従業員に対する投資というものがあります。投資以上のリターンを手にするためにリスクをとるわけです。ただ、ここしばらくはいかに支出を削減するかに力点が置かれすぎてきました。

投資は持ち出しも大きいし、失敗するリスクもあります。投資の精度を上げるために、ちゃんと人事評価することで,組織を変える人材を育て、見つけないといけないわけです。

すべて、当たり前のことばかり言っていて、申し訳ありません。

ーーただ、その「当たり前」ができていないあたりに苦しさがあるのでしょうか。ある意味、コロナ禍で強制的にテレワークが進むことで、「当たり前」を見直す前向きな機会になることを期待したいです。ありがとうございました。

テレワークで露呈した人事評価の根本問題、流行の「ジョブ型」は魔法の杖にあらず 江夏幾多郎氏に聞く