1977年5月に公開され、史上最も興行的成功を収めた映画シリーズのひとつである「スター・ウォーズシリーズ2019年に「スカイウォーカーの夜明け」が公開され全9部作が完結した言わずと知れた名作映画だ。

 この「スター・ウォーズシリーズが生まれた当時の様子、そして作品がその後に与えた影響について、『スター・ウォーズ論』(河原一久・NHK出版新書)より抜粋して引用する。

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すべては1977年に始まった

「遠い昔、はるか彼方の銀河系で……」

 というタイトルカードと共に幕を開けた第一作「スター・ウォーズ」は、監督・脚本を務めたジョージ・ルーカスが創り上げた映画オリジナルの物語だ。帝国の圧政に立ち向かう姫が悪の手先に囚(とら)われ、伝説の英雄を父に持つ農家の青年が、数々の冒険の果てに敵の究極兵器を破壊することに成功し、自らもまた英雄となる話である。

 誰もが共感できる青年ルーク・スカイウォーカーを演じたのは、マーク・ハミルミュージカルスターのデビー・レイノルズと歌手エディフィッシャーという両親を持つキャリー・フィッシャーが、勝ち気で現代的なレイア姫を演じている。そして、皮肉屋のならず者で、まるで西部劇からそのまま抜け出してきたような出で立ちのハン・ソロを演じたのがハリソン・フォード

 彼ら無名俳優たちの脇を支えたのが名優たちだ。「アラビアのロレンス」(1962年)や「ドクトル・ジバゴ」(1965年)などでの名演で知られ、「戦場にかける橋」(1957年)でアカデミー主演男優賞を受賞している“千の顔を持つ男”アレック・ギネスが、賢者オビ=ワン・ケノービを演じている。また、黄金時代ハマープロ製作のホラー映画でヴァンヘルシング教授やフランケンシュタイン博士を演じていた伝説的俳優ピーター・カッシングが、モフ・ターキン総督として登場する。

 さらに、黒ずくめの怪しい悪役ダース・ベイダーは、悪役なのにすでに絶大な人気を博していたし、R2-D2とC- 3POという凸凹ロボットコンビも、子供たちを中心に大人気だった。巨大な宇宙船、飛び交うレーザー光線、エキゾチックな惑星、そして伝説のジェダイ騎士が使用した光線剣(ライトセーバー)……。日常で溜まったストレスを発散させ、非日常の世界に誘ってくれる、この古き良き単純明快な勧善懲悪物語に世界中が熱狂した。1年遅れで公開された日本でも、1年近く続く超ロングランとなる特大ヒットとなった。

「大失敗作」予想…抱き合わせでの配給

 しかし公開前までは、この映画は「大失敗作」になると業界内ではささやかれていた。そのため、劇場側もこの映画を上映したがらず、ベストセラー小説の映画化「真夜中の向う側」と抱き合わせで配給された。つまり、「真夜中の向う側」を上映したかったら、「スター・ウォーズ」も上映しなければ駄目だ、という条件を付けていたのだ。

 そのため、5月25日の公開日に全米で「スター・ウォーズ」を上映した劇場は、わずか32しかなかった。今やファンの聖地ともなっているハリウッドチャイニーズ・シアターもごく短期間だけの上映にとどまり、断腸の思いで誰も観たいとは思っていないことが分かりきっている「恐怖の報酬」のリメイクを上映しなければならない羽目になった。

「渡航目的は?」「スター・ウォーズです」

 それだけに、契約の上映期間が終わると、同劇場は嬉々として「スター・ウォーズ」の上映を「凱旋」と銘打って大々的に再開。その初日には、ダース・ベイダーR2-D2C-3POを招いて、あの有名な手形(足形)を残すセレモニーを行って、遅れを取り戻そうとした。

 とにかく、当時、世の中は大騒ぎだったそうだ。ロスの空港の通関手続きでも、

「渡航目的は?」

スター・ウォーズです(笑)

「おお! 楽しんでね!」

 といった具合。

 誰もがスター・ウォーズTシャツを着ていた。オーケストラ主体のサントラアルバムは品切れになり、代わりにシンセサイザーカバーアルバムが飛ぶように売れ、ディスコでは若者が踊りまくった。予想外ヒットに、おもちゃも商品を店頭に並べることができず、「来春にはお届け」という予約カードが販売され、これがまた売れに売れた。

 ベトナム戦争ウォーターゲート事件など、アメリカ社会に影を落とす出来事が相次いだ「絶望の時代」の後に、スター・ウォーズは突然現れた「新たなる希望」でもあったのだ。

 全米の興行成績では2億1500万ドルを突破し、その年最大のヒット作となった。約1000万ドル(当時のレートで約22億円)という決して潤沢とは言えない製作費で、この結果を出したことも驚異的である(the-numbers.comより)。

 観客動員数で言えば、「スター・ウォーズ」は未だに全米映画史上第2位の動員数を誇っており、それを上回っているのは唯一、「風と共に去りぬ」(1939年)だけである。翌年のアカデミー賞では、惜しくも作品賞や監督賞などを逃したものの、音楽、編集、美術、音響、衣装デザイン、そしてもちろん特殊視覚効果賞など計7部門を制した。

スター・ウォーズのもたらした革命

 この第一作「スター・ウォーズ」(後に「エピソード4 新たなる希望」と副題がついた)は、映画産業に革命をもたらした。

 代表的なのは特殊視覚効果である。それまでは各映画スタジオが自前で担当していたが、特撮映画への需要が減ると共に視覚効果部門の役割も減り、ほとんどが部門ごと閉鎖されていた状態だった。ジョージ・ルーカスは、その特殊視覚効果の世界を抜本的に改革し、自分のビジョンに沿った映像を実現するため、新たにILMを設立した。これがのちに大SF映画ブームを巻き起こすことになる。

 また、現在の映画製作のスタンダードにもなっているプレビズ(プレビジュアライゼーション)の原点も本作にある。プレビズとは、ごく簡単に言えば資料映像で作られた「動く絵コンテ」のことだ。

 クライマックスで描かれる敵の巨大宇宙要塞デス・スターへの攻撃場面は、目まぐるしいほどのカットが積み重なって構築されている。こうした場面をどのように作ればいいのか、ルーカスは過去の戦争映画や記録映画の場面を編集してスタッフたちに渡した。これによって、彼らは必要な場面の構図や長さを正確に知ることができ、無駄な作業に時間をとられることなく、完成にこぎつけることができたという。

ルーカスの決断

 第一作製作時のルーカスの英断として最もよく知られているのは、

 ・続編の権利の確保
 ・マーチャンダイジング(グッズなどの商品化)の権利確保

 の2つだろう。

 映画の大ヒットによって、ルーカスは続編から得られるであろう利益の多くが約束されたし、関連商品が売れに売れたことで、これまたルーカスの元には莫大な収入が転がり込んだ。これを人々は「ルーカスの先見の明」とか「ルーカスの卓越したビジネスセンス」と評して褒め称えたものだった。しかし現在に至るまで、このルーカスの決断には誤解されている点が多い。

 ルーカスは「スター・ウォーズ」の脚本執筆に3年を費やしており、その内容は1本の映画にするには多すぎる量となった。そこで彼は物語を3つに分割して、最も単純明快でエキサイティングなエピソードを最初に映画にした。つまり、撮影に入る前の段階で、彼はすでに「三部作」という構想を持っていたわけだ。

 生みの親であるルーカスとしては、自分が作り出したこの物語をどうしても映像化したいという願望を当然ながら持った。もし映画がヒットすれば、続編の製作は容易に許可されるだろう。だが、もしヒットしなかったら、また、ヒットしたとしてもぎりぎりの収益だったら、続編の製作にはなかなかゴーサインは出ない。場合によっては、監督・脚本共に、ルーカスには何の関係もない人に依頼されてしまうことにもなる。

 ルーカスとしては、それは絶対に避けたい事態だった。だからこそ、前作「アメリカン・グラフィティ」(1973年)の大ヒットによって、当初の取り決めよりも大幅にギャラのアップが保証されていたにもかかわらず、彼はその額を据え置きにして、「続編の権利のほうが欲しい」と言ったのである。

 マーチャンダイジングの権利についても、続編が理由だった。もし映画がヒットしなくても、ルーカスは何とか自力で続編を作るつもりでいた。その場合、同作がヒットしなかったら収益も少ないだろうし、それはSF映画を作るにはてんで足りないのが分かりきっていた。

 そこでルーカスは、「続編を作るための資金源」とすべく、副収入となりうるマーチャンダイジングの権利にこだわった。自分のビジョンを実現するために、周到な計算の上で権利の確保をしたという点では、ルーカスビジネスマンとしての才能を見出すことができるだろう。しかし、そのモチベーションは、あくまでもフィルムメイカーとしての職人気質にあったことは見逃してはならない。

(河原 一久)

ハン・ソロを演じたハリソン・フォード ©getty