第2次世界大戦の終結直後はジェット機の黎明期。さまざまな実験機が開発され、テストに供されましたが、そのなかには新機軸を搭載したがゆえに、発生する騒音や衝撃波がひど過ぎてお蔵入りになったターボプロップ実験機がありました。

試行錯誤の時代に生まれたF-84ジェット戦闘機ファミリー

第2次世界大戦末期、世界はジェット・エンジン搭載航空機の黎明期を迎えていました。そして戦後になると、ジェット機の研究が進んでいた敗戦国ドイツからの技術流出などもあり、大戦末期に開発された各種ジェットよりもいっそう高性能な実用ジェット機が次々と誕生するようになります。この時期に生まれたジェット戦闘機は、のちに「第1世代ジェット戦闘機」と称されるようになります。

そのようななか、大戦中にアメリカ陸軍向けのP-47サンダーボルト戦闘機を製造していたリパブリック社が、その後継として開発したのがF-84「サンダージェット戦闘機です。頑丈で知られたP-47サンダーボルト」の血筋を受け継ぎ、F-84「サンダージェット」も頑丈な機体で、1946(昭和21)年2月28日に初飛行し、翌1947(昭和22)年から部隊配備が進められました。

F-84「サンダージェット」も、前出の第1世代ジェット戦闘機に含まれる機体で、当初は直線翼を備えたA型からG型までが生産されましたが、やがて後退翼の有効性が広く知られるようになると、F-84も主翼の改良が決まり、そのための試験機が1950(昭和25)年6月3日に初飛行します。テストの結果、後退翼を備えたF-84F型が誕生し、愛称も「サンダースリーク」に改められました。

この時期、ジェット・エンジンの派生型であるターボプロップ・エンジンも、技術的に著しく進歩しており、そのための実験機が求められるようになります。ただプロペラ推進である以上、ある一定のスピードを超えると逆にプロペラが抵抗になるので、超音速での飛行は困難です。このため超音速戦闘機としての実用性の見込みはあまりなかったものの、ターボプロップ・エンジンは当時のジェット・エンジンに比べて燃費が良かったことから、高速性よりも航続距離や滞空時間が求められる航空機、たとえば輸送機哨戒機などには適していると考えられていました。

愛称「サンダースクリーチ」=「雷の金切り声」

そこで、高速性と長い航続距離を両立させた戦闘機を研究する一環として、F-84F「サンダースリーク戦闘機の機首部分に、アリソン社製XT40-A-1ターボプロップ・エンジンを搭載し、それに「超音速プロペラ」を装着した実験機が開発されます。同機は、垂直尾翼上端に水平尾翼を移動させてT字型尾翼とする改造も施され、XF-84Hの型式番号が付与されました。

超音速プロペラは文字通り、音速で回転するプロペラを装備し、高速飛行を可能にする新技術でした。当初は、空母においてカタパルト発艦を必要としない、高速艦上機としてアメリカ海軍が目を付けたものの、大型ジェット機の射出もできる強力なカタパルトが誕生したため、海軍は手を引き、アメリカ空軍が計画を引き継ぎました。

これを装着したXF-84H実験機は、非公式には「サンダースクリーチ」と呼ばれました。F-84シリーズの「サンダージェット」や「サンダースリーク」といった愛称と同じく、前半のサンダー(雷の意)に、キーキー叫び声や金切り声といった意味の「スクリーチ」を合わせたものです。

このようなあだ名で呼ばれるようになった原因こそ、他ならぬ新開発の超音速プロペラです。高速回転にともなってプロペラから超音速の気流が生じ、それが凄まじいソニックブーム衝撃波)を生じさせたのでした。

「金切り声」がひどすぎて飛行終了

XF-84H「サンダースクリーチ」が生み出すソニックブームは25マイル(約40km)離れたところでも聞こえたそうで、連続して襲って来る轟音と衝撃波により、地上の整備兵たちはひどい吐き気や激しい頭痛に襲われたといいます。ある例では、同じエプロンに駐機していたダグラスC-47輸送機の機内で作業中のクルーチーフが30分間もXF-84Hのプロペラ轟音に晒された結果、機内にいたにもかかわらず失神する事態となったほどでした。

加えてこの轟音と衝撃は、単に人間に被害を及ぼすだけではありませんでした。デリケートな航空電子機器や飛行場管制設備の破損や故障の原因にもなったのです。ゆえに管制塔は、無線ではなく発光信号で、離陸準備中のXF-84Hに指示を出すほどでした。そのため同機のフライトテストは、後半ともなると他機やほかの航空要員に被害が出ないよう、飛行場の中心部から離れた外縁部で離着陸を行うよう指定されるまでになります。

実は、XF-84Hが搭載するXT40-A-1ターボプロップ・エンジンは、プロペラ推進エンジンとして唯一、アフターバーナーを装備するものでしたが、それを用いたことは1度もありませんでした。にもかかわらず、フライトテストでは最大速度マッハ0.7を記録しています。

結局、前述したようなプロペラに起因する問題から、XF-84H「サンダースクリーチ」は2機が造られたものの、リパブリック社のテストパイロットの操縦だけで、アメリカ空軍のテストパイロットが操縦桿を握ることは一度もないまま終わりました。ちなみに、2機合計の飛行回数はわずか12回、飛行時間の合計も7時間未満と伝えられます。

アメリカ空軍に引き渡されなかったXF-84H「サンダースクリーチ」ですが、製作された2機のうちの1機(51-17059号機)は、国立アメリカ空軍博物館にて保存・展示されています。

機首の超音速プロペラを回して飛ぶXF-84H「サンダースクリーチ」実験機(画像:アメリカ空軍)。