1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁オウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与した信者が次々と逮捕された。

 逮捕後、取り調べには応じたものの、起訴された信者の中には裁判で黙秘を貫くものがいた。そうした判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

◆◆◆

 黙秘を貫いていた殺人犯が、法廷で事件を語るようになる。

 それは、坂本弁護士一家殺害事件から松本・地下鉄サリン事件まで、教団の引き起こした全ての殺人事件に関与した新實智光も同じだった。

 ただ、新實の場合は、中川とは事情が違っていた。

 自身の法廷では「たとえ、この命が奪われようとも──」とはっきり言及して、教祖に付き従っていくことを明言していた。

「麻原尊師の再生によって全てが救われますよう!」と意見陳述をしては、事件の一切について黙秘を貫いた。よくいえば、それだけ純真で、自分の持った信念を頑に貫き通してみせる姿勢には関心すらしたが、悪くいえばそこに「バカ」が付いた。だからこそ、教祖にいわれるままに殺人を繰り返し、教祖の側でも純朴な下僕を便利に使っていたのだろう。

 純真さは、例えば、早川紀代秀の法廷での一こまにも見ることができた。あの岡崎の肉体関係を糾弾して、猛攻撃を仕掛けた弁護人がいる裁判での場面だ。

 そこでも新實は黙秘を貫いた。坂本事件について、証言を拒否していた。検察から何を聞かれても、一言も言葉を発しなかった。そして、そのまま取り調べが終わり、退廷しようと刑務官に手錠をかけられている時だった。件の弁護士が突然、新實に声をかけた。

「今日はしゃべらんでも、いずれ弁護側の証人として呼んだら、この早川のためにしゃべってくれるんやろ!?」

 すると、目をキラキラさせながら、

「ハイ!」

 と、大きな声で答えた。背が高く、しっかりした体格の男だったが、まるでかわいい子供のようだった。そこに、もう一言、弁護人が優しく声をかける。

ついに口を割った新實

あんた、身体の調子はええんやろ?」

 すると、さっきまで黙秘を貫いていたはずの新實がこう返したのだ。

「ハイ!   早川さんは!?」

 自分のことより、相手のことが気になっていたらしい。

 その新實がついに口を割る時がきた。

 その理由も、彼の強い信念と純真な心によるものだった。彼は事件の全容を暴露する動機をこう説明している。

「御存知の通り、私のかつての法友については検察側立証も終了しています。残るは尊師一人になりましたので。これまで、私が法廷で話すことで苦しむ人もいるのではないかと考え黙秘してきました。しかし、尊師は空(くう)の体験をされた人と考えているので、頓着はしません、無頓着であると考えています。苦しむこともありません。かえってきちんと話すほうが、尊師に対して逆恨みでなく、真実の尊師がわかると思っています」

 しかも、新實しか知り得なかった信徒のリンチ殺害(杉本繁郎の自首が認められた事件)の麻原からの指示場面を、あえて麻原法廷で検察側証人として初告白。教祖にとっては、まさに教えと忠誠が仇となってかえってきたことになった。

 やがて飄々と全てをあからさまにしていった新實だったが、信念を貫くとはいえ、あるとき、何人もその手で殺してきた新實にしては珍しく、感慨深げに寂しそうにこう語ったことがある。

「林郁夫さんには、やはり、驚きましたね……」

 逮捕後の心境について触れた時だった。

 新實は地下鉄サリン事件で、林郁夫を送迎する車の運転手役としてペアを組んでいた。

「自分のことしか考えない人だと思った。事件について自供すれば、尊師とか友人が死刑になる。自分の立場をどう考えているのかと、疑問に思いました」

 殺人者でも、みんな何かを思っている。

 外界の被害者を置き去りにするとも、組織の仲間は大切にする心の動き。

 そんな事情もあってか、教祖の忠実な下僕としてあらゆる殺人事件に関与、時には誤ってサリンを被曝して死にかけたほどの新實の弁護人は、裁判で唯一「内乱罪」を主張。国家転覆、乗っ取りを画策した集団組織の中で、絶対者として君臨した麻原には逆らえなかったという論陣を張っていた。「内乱罪」が適用されれば、死刑は組織の首謀者のみとなる。

 しかし、それは通らなかった。

 新實は、無頓着ではいられなかった尊師とは較べものにならないほど、静かに死刑判決の瞬間を受け入れていた。

証言を拒んだ男

 土谷、中川と並ぶサリン製造グループのもうひとりで、やはり死刑になった中に遠藤誠一がいた。

 もっとも獣医師の資格を持つ遠藤は、炭疽菌やボツリヌス菌といった生物兵器と称しては、腐った水の出来損ないしかできなかったほうで、教祖に取り入っては上役面することから、土谷からはかなり嫌われていた。むしろ、土谷の功績を自分の手柄にしていたような男だった。出来上がった化学兵器を持ち出しては、事件現場にも立ち会っていた。

 遠藤もやはり、事件の証言は拒んだ。

 ただ、彼は最初から、そのような態度を貫いたのではない。

 いくつもの事件で起訴されていたことから、裁判の冒頭手続き(罪状認否)は、何度かに分けて行われた。その最初のうちでこそ、全ての事実を認め、全ての証拠について採用に同意していた。いわば、林郁夫とまったく同じだった。

 ところが、そうした弁護方針をとっていた弁護人を突如、解任してしまう。

 理由は定かではないが、まことしやかに聴こえてきたところによると、事件に関する遠藤の証言が欲しかった他の共犯者の弁護人が遠藤と接見。そこで、遠藤の弁護人の弁護方針を批判して、こう言った。

「このままだと、あなた、確実に死刑よ」

 これに動揺した遠藤が、直後に弁護人を解任してしまった、というのが大方の見方だった。

「アタシはクリスチャンですよ」

 そこから裁判は一時ストップ。新しい弁護人(おそらく、進言した弁護人の紹介)がついたところで再開されると、それまで全部認めてきた、冒頭手続きのやり直し、証拠採用の取り消しを求めたのだった。理由は、前任の弁護人のなすがままに意思疎通もはかれていなかった、ということ。

 しかし、それもどこか、あとから急に怖くなって、びびった子供が気紛れを起こしたようにしか見えなかった。なんでも、教祖の指示だからと、いうがままになって、責任を逃れるように安心していた遠藤が、今度は誰のいうことに従えばいいのか、あるいはどうしたいのか、決めあぐねて混乱を巻き起こした、としか思えなかった。他の被告人に較べて、肝が座っていなかった。

 その遠藤の法廷に、VXをかけられて生死の境を彷徨った、当時86歳になる老人がやってきた。明治生れのちゃきちゃきの江戸っ子で、教団施設から脱け出してきた知人を家において世話してやったというだけで、どういうわけか教団は彼をスパイだと認識して、猛毒の化学兵器での暗殺を企てたのだ。

 この老人が検察側の主尋問に事件の詳細を一通り証言して、最後に検察が被害者感情として「オウム真理教をどう思うか」と尋ねた。すると老人は、困ったようにこう答えたのだ。

「検事さん、それは無理じゃないスかねえ。アタシはクリスチャンですよ」

 この一言を、弁護側は聞き逃さなかった。弁護側の反対尋問に入ると、巧みな尋問で、この老人がクリスチャンであることを確認し、本人に認めさせた。その上で、最後の締めにこう切り出したのだ。

被害者の包み隠さない本音

「さて、ここにいる遠藤も、あなたに対するVX事件で起訴されているんですが」

「ほう!」とびっくりしたように間の手を入れる被害者。

「このままだと、他の事件もあって厳しい刑罰を受けることになるんですが……」

 すると、老人はあっさり言った。

「いいんじゃないスかぁ」

「へ!?」驚いた弁護人が思わず零す。

「アタシだって殺そうとしたんでしょ。殺しちまえばいいじゃないスか。アタシだって、わけがわかんないで殺されそうになって、それも4人くらいいたっていうじゃないスか。1対1ならともかく、そんなんでね、やられちゃあね。殺しちゃえばいいじゃないスか」

 よもやクリスチャンからそんな言葉を聞こうとは思ってもみなかったのだろう。慌てた弁護人がさらに突っ込む。

「ですが、指示を受けたということもあるんですよ」

「この昭和の御代にね、人を殺そうなんて、とんでもない!   とんでもない奴らですよ」

「しかし、それは指示した主犯の責任だとは思いませんか」

「アタシゃ、そこまで考えてませんよ。みんな早く殺しちゃえばいいじゃないスか」

 それまで、しきりにメモ用紙にペンを走らせていた遠藤も、たちまち動きがとまって、顔色が変っていくのが目に見えてわかった。凍り付くというのは、こういう状態をいうのだろう。

 もっとも、これが被害者の包み隠さない本音なのだろう。それが、決して嫌味なものにも、重苦しいものにも聞こえなかった。そこに偽りの心がなかったからに違いない、とぼくは思っている。

「ごめんなさい…死刑に…してください」極刑に苦しむ遺族の葛藤 へ続く

(青沼 陽一郎/文春新書)

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