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 現在、我が国は、菅義偉に貧乏と忍耐を強いられる菅支配の下、今日本全体が貧窮状態に陥り、その痛みを軽減するため、「日本凄い」的な神話に郷愁を抱き、平然と中韓に対する排外主義を公に表現する国に成り果てている。

◆元五輪会長・森喜朗の失言のルーツを辿る
 が、そんな流れに逆行するべく「日本の保守の非合理性、瑕疵を打ち砕き、愛国神話の脱皮を目指す」今企画。

 前回、百田氏を紹介して今回は、第6回目。で、今回は少しネタが古くなってしまったが、日本の国政の顔役として政界に長く居続ける森喜朗氏を取り上げたい。

 森喜朗氏と言えば、もう説明は不要だろう。先日女性に対する偏見に基づく愚かな失言で五輪組織委員会会長を辞任した方だ。

 しかし方々で「切り取り」だと指摘され、いまだに森氏に対する擁護意見も根強く多い。で、そこで今回、私が、森喜朗の全文を改めて読み、あの失言は、何が問題だったのか、を再度細かく検証し、森氏を擁護できるポイントを探してみようと思い立ち、全文を読んだ。

 で、結論を先に言うと、森氏の失言は、紛れもなく保守の典型的な家父長制オヤジの妄言の好例であり、一切擁護できるポイントが見当たらず、正直困った

 例えば森氏は冒頭で明白に「女性が沢山入っている理事会は時間がかかる」と言っている上に、其の引用を肯定しながら「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。中略、それでみんな発言されるんです」とその偏見に加担すらしている。

◆「女性を褒めてるからセーフ」なのか
 森氏を擁護する意見の中で一番酷かったのは『誉めてるからセーフ』的な意見だ。

 この歪んだ擁護が如何に間違っているか説明しよう。例えば、偏見に基いて女性は、家事育児に奉仕し、不平を言わず、子供を育てるから尊い存在だ、と言えば、例え称賛の意味の文脈でも見識を疑われるのは至極当然の成行である(何故なら女性が公的地位から排除されかねない価値観だからだ)、ゆえに「褒めてるからセーフ」は何のエクスキューズにもならない

 しかもこの騒動の本質は、女性の地位向上に森喜朗氏は、努力を払おうとしていない点だ。

 もし、そのような偏見に囚われず私は女性を選ぶ。と主張したいのであれば、そのような発言をした者を最初から名前を明かし、批判すべきである。

 なのに森氏は、それもしようとしない。記者が質問で「—— たとえばどういう競技団体か」と問われた際も、「それは言えません」と記者の質問を拒否している(「面白おかしくしたいから聞いてるんだろ?」森喜朗氏、謝罪会見で“逆ギレ”も(会見全文) | Business Insider Japan))。

 森氏は、自分は女性を尊敬していると言いながら、同時に、女性の実質的な偏見を、温存する行為に加担しており、それは結局、日本の旧態依然としたジェンダー観を代表する男性中心主義的なセクシスト集団の「共犯」ないし「幇助犯」であると自ら認めているに等しい。

◆五輪ボランティア待遇の劣悪さは、ネトウヨが腐す韓国よりも下
 とまあ、こんな具合に、森氏の失言は、どこを読んでも擁護できるポイントは全くなく、全文を読めばもっと酷かった杉田水脈パターンなのだが、そもそも森喜朗の、ちょっと一般ズレした感覚というのは、どこに根源があるんだろうと興味を持って、私は、森喜朗の自著『遺書 東京五輪への覚悟』(幻冬舎)を読んでみた

 まずこの今年開催の東京オリンピックって祝典自体が、ずっと前から「ボランティアの搾取」が支えていると批判されており、開催される前からボランティアの待遇が「劣悪」ではないかという批判が殺到していた。

 そういった批判に対して、森氏は、それらの批判を、力強く否定し、東京五輪は、決して「搾取」ではないと本の中で弁解する、そういう所から本書は始まる。

 以下、抜粋。

ロンドンオリンピックでも、ボランティアには飛行機代も電車賃もホテル代も一切出していません。彼らに出すのは、ボランティアに携わっているときの食事代だけです」(『遺書 東京五輪への覚悟』P68)

 森氏の言い分を、一言で要約すると、こうだ。9年前に五輪を主催したイギリスボランティアなのだから、日本が無償でも何も問題なんじゃないかって言い分だ。

 確かにそう言われてみればイギリスと同様なら、日本も無償でも問題ない気がする。しかしよく調べてみるとコレは微妙に事実が異なっている事が分かってきた。イギリスの場合は、確かに飛行機代もホテル代も出ないが、開催地市内を自由に行き来できる無料旅行カードが配布される(Olympic volunteers free travel | Mayor’s Question Time)。

 日本の場合は、交通費は、やっと支給されたが、せこい事に、一日1000円という上限付きだ。同じ条件だと主張しながら、イギリスより格落ちしてるやんけって話だ(笑)

 しかも、3年前の平昌 オリンピックでは、ボランティアの人に対して組織レベルで宿泊施設を提供していた(휴양림관리소, 평창올림픽 봉사자 숙소 제공[서울경제])。

いつも韓国を見下している自称愛国志士の人々は、東京オリンピックが、韓国より「格落ち」している現状に対して国辱だと憤らないのだろうか。 

◆森氏の発言に見え隠れする、マスコミへの怨恨
 このように不都合な事実を巧妙に隠し、平然と英国や韓国よりも劣悪な日本の待遇を、正当化する森氏であるが、さらに森氏は、新聞やテレビが、自分の言葉を切り取り、偏向報道をしていると語り、マスコミへの恨みつらみを切実に、本の中で訴え始める。

 特に森氏の、マスコミへの憎みはすさまじく、よほど5年前の国歌斉唱発言で、腹に来た事があったのか。

 森氏は、マスコミの報道姿勢を強く批判し、5年前、自分が、安倍総理の挨拶の後で、述べた言葉をマスコミに切り取られ、メディア一方的にバッシングされた事を思い出し、一字一句自らの発言の何が問題があるのかと、自らの言葉が、ネットで切り取られ、自分の言葉の意図と正反対の意味が伝わり、叩かれた事に、森自身、腹の底から煮えるような憤怒を感じているらしく、力強く本の中で怒りの怪気炎を上げる。

 以下、抜粋。

「最初は、祝辞でそんな話をするつもりはなかったのですが、話をしているうちに、いつの間になぜ「斉唱」が「独唱」になったのかと無性に腹が立ち、だんだんボルテージが上がって、次のようなことを言ったのです」
「口をもごもごさせて歌えないようなのがテレビに映るのが、一番気分が悪い。国歌がちゃんと歌えないようでは、日本代表ではない」
(『遺書 東京五輪への覚悟』P192)

 森氏はこの上記の『口をテレビの前でモゴモゴさせて国家をちゃんと歌えない奴は』発言をマスコミに切り取られ、様々な形で批判され、世間的に非難されたことを強く根に持っているらしく、その発言を批判したマスコミに対し、痛烈な反論を寄せる。

「国家斉唱というのは、オリンピックの「日本代表選手団としての行動規範」にきちんと書いてあることなのです」(『遺書 東京五輪への覚悟』P197)

  確かに、森氏の言う通り、選手の行動規約には「国家を歌う事」がハッキリと明記されている。確かに森氏の仰る通り、TPОやルールを守らない選手が居たら、スポーツは成り立たないだろう。

◆愛国心は押し付けられるものではない
 しかし、私が変だと思うのは、森氏の国家を押し付ける論理だ。コレはすべての保守に共通するおかしさだ。

 森氏は、こう述べる「戦後の日本は学校の教師は戦前の日本はすべて悪だと決めつけていた」と、で、その後で森氏は「そういう中で育った生徒たちが今、まさに社会の虫垂にいます。特に新聞やテレビ局に多くいて、国を愛する気持ちや、日本人としての誇りをないがしろにするような横やりを入れているのではないでしょうか」(『遺書 東京五輪への覚悟』P199)と言うのだ。

 つまり森喜朗氏は、君が代を歌う事が、国を愛する気持ちなのだと主張し、それが日本の誇りだと力強く明言するのだ。

 しかしこのロジックは、変だ。

 何故なら、国を愛する気持ちが、君が代を歌う事に準じた事で、証明になるのなら、愛国心は、民衆自身から発するものではなく、権力や、権威に基づく命令によって定められるというのが、愛国心だということになり、もしそうであるなら、それは愛国心の証明ではなく、処罰感情の怖れに基づく、恐怖心の証明だ。

 もし、ルールに基づく命令で、国家を歌わさせる事が、森喜朗氏の愛国心の気持ちの表明ならば、それは祖国への愛国心の証ではなく、それは時の権力への忠誠心の証であって愛国心とは別物だ。
 
 このように、主張の節々に、森氏の、歪んだ極右思想が垣間見れる一冊なのだが、なんかイマイチ深みがないというか、保守のおっさんの底辺レベルに留まっていて、彼の思想にはいまひとつ深さを感じないのが正直な所だ。

 段取りや、根回しの天才なのは伝わってきたが、根回しのうまさでのし上がってきたので、指導者としての基礎的な教養に欠けたままトップに上り詰めてしまう例が組織には多々あるが、森喜朗氏もその典型だろう。

◆後任の人選からみる、実に「美しい日本」らしい展開
 そして最後の最後に、明らかに、おかしい人選をしてしまい、例の元日本代表監督(川淵三郎)とかいうウヨ感丸出しの体罰肯定おじさんを危うく選びかけてしまう。

 聞くところによると、森喜朗が、感極まって泣いているのを見て、川淵三郎氏ももらい泣きしたそうだ。もらい泣きの内容がクソしょーもなさすぎて、一青窈にぶん殴られるレベル

 しかもこの川淵氏、tweetを見ていると、「月刊Hanada」の愛読者だという典型的な「ネットde真実おじさん」だ。なにこの並外れたウヨ供給能力。

「体罰には、人間同士の魂と魂のぶつかり合いがあるんだろう」川淵氏のTwitterより)!?


 なにこのスクールウォーズ感。恐ろしいのは、この人選を森がおかしいと思わなかった感覚だ。体罰は、IОC(IОA)が、公式に、反対表明もしているにもかかわらず、である(JOC comment on inappropriate actions conducted by former Japanese national Judo coach | JOC – Japanese Olympic Committeet)。

 IОCはハッキリと「宣言」の中で「暴力はコーチングの必要な悪であるという考えを拒絶しなければならない」と体罰の根絶を訴えている(JOC Issues Directives to All Japan Judo Federation | JOC – Japanese Olympic Committee)。

 このように危うくオリンピックの会長にオリンピックの理念に反した人間を指名しようとした森氏の凄まじい人権感覚。

 日本の人権意識の低さを露呈してしまった事件でしたが、セクシストおじさんの次に、体罰肯定おじさんが辞退した後は、何と次は、安倍晋三とかいうホテルの領収書出せないおじさんが一瞬浮上してきた。なにこの次から次へと出てくる、期待を裏切らないダメンズ達。

 しかも森氏の後を引き継いだ橋本聖子は、自らも森氏と同様に、給料を貰わずに働くと宣言。

 森氏の恐るべき無償精神が、やがて報酬をビタ一文も貰わない事を美徳とする滅私奉公マインドへと変わり、それが後任の部下に押し付けられるという実に日本らしいお馴染みの展開に。森嘉朗滅私奉公部隊という新たな被搾取階級が出現しつつある。

 そんなわけで東京五輪が、パワハラミソジニーブラックの祭典になりそうな気配が凄まじくする今年。

 今回の森喜朗騒動で見せた日本の醜悪なホモソーシャルな連帯地獄に、私は、日本のジェンダー後進国ガラパゴスぶりを、改めて再認識してしまい、暗澹たる気持ちにいっぱいになりました。現場からは以上です。

<文/ドリー>

【ドリー】
本名・秋田俊太郎。1990年岡山県生まれ。ブログ埋没地蔵の館」において、ビジネス書から文芸作品まで独自の視点から書評を展開中。同ブログを経て、amazonに投稿した『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年レビューが話題となる。著書に、村上春樹長編13作品を独自解釈で評論した『村上春樹いじり』(三五館)がある。ツイッター@0106syuntaro

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