一昨年(2019)5月に即位された天皇陛下であるが、昨年の天皇誕生日(2月23日)は生憎の新型コロナウイルスの感染拡大で一般参賀が中止になった。
今年の誕生日は緊急事態宣言が大都市圏に発出された中で迎えられ、再度中止のやむなきに至った。
天皇が「国民の天皇」(白井聡氏)となられて以降は、新年参賀や誕生日などの一般参賀、また大災害後の現地激励などが天皇と国民をつなぐ「象徴」行為として非常に重要になっていた。
ところが、新型コロナウイルス感染症の蔓延はそのすべてを奪ってしまった。
陛下は国民向けのビデオメッセージ発出や被災地へのオンライン訪問など新しい試みを行っておられるが、宮中でのお祈りをはじめとして、多くの国民に陛下のご日常はますます伝わり難くなっている。
そうした意味でも、陛下が国民向けにお語りになる誕生日会見の報道は、陛下と国民をつなぐ絶好の機会でメディアが取り上げる意義は大きい。
各紙の報道を比較検証することは、各紙が象徴天皇の重みをいかに見ているか、天皇と国民を連接する努力をどの程度しているかなどを推し量るバロメーターとみることができよう。
全国紙の天皇記事掲載比較
天皇誕生日(2月23日)の全国紙(東京新聞を含む朝刊)について、紙面総頁数、天皇記事掲載面・位置・容量(段数)、関連記事文字数、写真枚数(カラーと白黒の別)などを下記に一覧で示す。
以下では朝日新聞を「朝日」のように略記することもある。
この一覧で、各紙が天皇報道にどれくらいの比重を置いたか、およその見当をつけることができる。
参考までに、全頁を文字数に換算した場合の天皇記事(写真を除く)の紙面占有率を割り出すと、約0.5%(朝日)、約4.9%(毎日)、約2.3%(読売)、約1.4%(東京)、約1.1%(日経)、約6.3%(産経)となり、朝日と産経が両極にあることが分かる。
各紙の分析と特徴説明
誕生日報道で、毎日・産経は全1面を特集として全文掲載、読売も特別面として2/3面を当てて、また東京・日経もほぼ1/5面を使って会見要旨として報道しているが、朝日には会見要旨が見当たらない。
そこで、抜け駆け的にもしや会見(2月19日午後)の翌日報道かもしれないと調べてみたが、やはりなかった。
全文や要旨からは陛下が国民に寄せられる気持ちが手に取るように分かるが、そうでないと、どういう質疑・応答が交わされたのか把握が困難で、国民に対する天皇のお気持ち、すなわち大御心が今一つ汲み取りにくい。
しかも、朝日新聞の誕生日記事掲載は第1面どころか後方から2枚目の32面に小さな白黒写真(1段8行)1枚入りの5段記事、1700字弱でしかない。
参考までに当日の第1面は総務省の接待関係でカラー刷り、その他スポーツ(白鵬、田中将大らの練習)・芸能(伊東四朗ら)関係、エンジン故障の旅客機「ボーイング777」、多くの広告などはほとんどがカラー刷りである。
対照的なのは産経新聞で、第1面に両陛下のカラー写真入り5段組をはじめ、全4面を使用し1万4千余字は朝日の8倍超である。
写真は3枚ともカラーで、主張(他紙の社説に相当)で取り上げているのは産経のみで、いうまでもなく天皇に焦点を当てた編集となっている。
ついでに言えば、同紙はこの日を含む祝祭日には額表横にカラーの国旗マークを必ず付記し、普段から他紙との違いを「見える化」している。
毎日新聞は会見記事を全1面に掲載したことから字数も多く、またカラー写真2枚を含む3枚であるが、掲載面が後ろから2、3枚目で、誕生日そのものは目立たない場所に抑え込んでいると言えよう。
読売新聞は写真4枚と最多で、第1面にカラー写真付き4段記事で、会見全文でなく「要旨」としているが3分の2くらいをカバーし、全3面使用で字数7700余字は少なくもなく多くもない中間的である。
東京新聞はカラー写真であるが1枚きりで、しかも会見要旨は第6面右下4段に組んでいるが、肝心の誕生日記事は後方から2枚目の24面で、チグハグ感が否めない。
朝日・毎日、そして東京新聞が天皇誕生日記事を1面や前半でなく、共通して後から2ないし3枚目にもってきているところから、天皇をどう見ているかを読み取れるのではないだろうか。
日経新聞の本文は写真2枚、記事3200字弱と少ないが、1面の額表横に記事の目玉紹介として、両陛下のカラー写真と記事見出しを書き出している。
これを外しても、写真付き誕生日記事は第3面で報道しており、読売・産経と並び、天皇を重く扱っていると言えよう。
各紙の冒頭2節の書き出し
ここでは各紙のリード文から冒頭の2節を見てみよう。
朝日:天皇陛下は23日、61歳の誕生日(以上各紙同文でAと略)を迎え、これに先立って(同B)、赤坂御所で記者会見に応じた。新型コロナウイルスについて多くの時間を割いて言及し、「自らのできる範囲で感染の拡大防止に努める多くの皆さんに感謝いたします」と謝意を述べた。
毎日;Aを迎えられた。B、住まいの赤坂御所で行われた記者会見で、長引く新型コロナウイルスの影響を深く憂慮し「特に多くの可能性を持つ若い人々が苦境に陥り、女性や若者の自殺、家庭内暴力、児童虐待などが増加していることなども危惧している」と述べた。
読売:Aを迎え、B、お住いの赤坂御所で記者会見に臨まれた。新型コロナウイルス感染症が収束しない状況を憂慮し、「今しばらく、国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながら、コロナ禍を耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」と述べられた。
東京:Aを迎えられた。B、赤坂御所で記者会見に臨み、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まったことに触れ、「国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながらコロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」と述べた。
日経:Aを迎えられた。B、記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を案じ「痛みを分かち合い、協力し合いながら、コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしています」と述べられた。
産経:Aを迎えられた。B、お住いの赤坂御所で記者会見し、新型コロナウイルス感染症の影響が続いていることについて、「国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながら、コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」との願いを示された。
天皇陛下に対する敬語は?
リードの2節に使用されている述語だけでも、各紙の「象徴天皇」に対する用語上の姿勢を見て取ることができる。
読売・日経・産経の3紙はそれぞれの文章を「臨まれた」「述べられた」「迎えられた」「示された」という丁寧語で結んでいる。なお、読売と産経は赤坂御所にも「お住いの」と丁寧語表現を用いている。
他方、朝日は「応じた」「述べた」と共に一般表現である。
一方、毎日・東京は誕生日については「迎えられた」と丁寧語で表現し、会見内容では「述べた」と一般表現している。
冒頭2節の引用比較だけで、全体を推し量るのは暴論だといわれかねない。そこで、続く文章をみると、「コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」と語った(朝日)。
「(震災を)現在も続いていることとして考える必要があると改めて感じた(陛下は「感じました」と表現」)」とし、(被災地)再訪に意欲を示した(毎日)。
「(皇室の活動について)時代や社会の変化に応じて行動することが大切だとする考えを示した」(東京)。
全文をみると、朝日、毎日・東京は「語った」「明かした」「示した」「振り返った」「ねぎらった」など、ほとんどをぞんざいな一般表現で結んでいることが明瞭となる。
他方の読売・日経・産経は「語られた」「とどめられた」「評価された」「言及された」のようにほとんどの文節を丁寧語で結んでいる。
おわりに
以上を総括すると、天皇記事に関して朝日は極力目立たないように軽く、一方産経は大きく重く扱っている。
そして朝日寄りに毎日・東京が、産経寄りに読売があり、日経は中間的と概観できるのではないだろうか。
天皇誕生日に限らず、産経は毎週土曜日に「皇室ウィークリー」として過去1週間の天皇の言動を中心に要約掲載し、また、尖閣諸島への中国海警局の船舶侵入状況については毎日のように紙面を割いている。
このことから分かるように、皇室問題や安全保障問題に鋭敏であり、他紙と全く異なる紙面づくりに注力している。
◎北京の特等席に座り続ける新聞と追放された新聞
◎平和だけを目的とした新聞と平和の維持を考える新聞
といった具合に両紙は対極に位置するほどあり様が異なっている。
産経は「国家の独立を重んじる」立場で福沢諭吉が発刊した「時事新報」の流れを汲み、真の自由主義を説いて「極左も極右も排除」した河合栄治郎の遺志が流れているといわれる。
「国民の天皇」ではあっても、天皇は国の象徴で国民統合の象徴であり、日本国家の心柱ともいうべき立場である。
ちょうど1年前に新型コロナウイルスの感染拡大が始まっていたころ、立憲民主党の安住淳国対委員長は「桜を見る会」に多大の紙面を割く新聞に「花丸」をつけ、そうでない新聞を「くず」や「論外」と評した。
今また、野望むき出しの中国に日本は国家として纏まって対応しなければならないとき、天皇や尖閣問題に無関心で総務省の接待問題に多大の紙面を割く新聞に花丸をつけるのだろうか。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 今動かねば、尖閣は竹島の二の舞だ
[関連記事]
コメント