定期運行を終えたJR東日本185系特急形電車。この電車は、幕式ヘッドマークを持つJR東日本最後の特急形電車でもあります。国鉄時代に始まった特急電車のヘッドマークですが、現在は備えない特急も多数。JR発足で状況が変わりました。

特に「幕式」は絶滅危惧種

国鉄時代の1981(昭和56)年にデビューし、特急「踊り子」などに使用されたJR東日本185系特急形電車が、2021年3月13日(土)のダイヤ改正で定期運行を終了しました。

この引退では、特急列車の「顔」に掲示される「ヘッドマーク」にも注目したいところです。

列車名と絵がデザインされたヘッドマークを「顔」に掲示する特急列車は、かつては全国各地で見られましたが、現在では少なくなっています。特に、185系のような「幕式」のヘッドマークは絶滅危惧種です。

185系は「顔」の中央に、様々なヘッドマークが印刷された幕をスクロールさせて、表示内容を変更する方式のヘッドマーク表示器を装備。JR東日本では185系が、この幕式ヘッドマークを持つ最後の特急形電車でした。

「幕式ヘッドマーク」は185系が持つ特徴のひとつでもあり、定期運行終了にあたって、JR東日本の公式サイトには「185系ヘッドマーク占い」というコーナーも用意されました。

またヘッドマークは、JR東日本グループが「特急列車ヘッドマーク弁当」として駅弁化したり、ヱビスビールが缶付属の景品として採用したり、鉄道ファンなどから人気があります。

また幕式のヘッドマークは、駅でそれを回している列車に遭遇し、色々な図柄が出てくる様子に見入ってしまった経験を持つ人も、少なくないかもしれません。

なぜ消えつつあるのか? 国鉄分割民営化で重要性が低下した「ヘッドマーク」

このたび定期列車から引退した185系の特急「踊り子」のような、列車名と絵がデザインされた特急電車のヘッドマークは、1978(昭和53)年10月が始まりです。

それまで、特急電車のヘッドマークに書かれていたのは列車名の文字だけでしたが、このときから「絵」が入り、全国で様々なデザインが見られるようになっていきました。赤字、運賃値上げ問題で国鉄が揺れ、利用者離れが起きていたなか、親しみを持ってもらう目的があったとされます。

しかし1987(昭和62)年の国鉄分割民営化で、特急電車のヘッドマークは大きな変化を迎えます。

国鉄時代は、その標準的な車両を日本各地で使う状況で、デザインのバリエーションも限られていました。同じような見た目の電車が違う列車名で、各地で走っている具合です。

そのため列車に個性を持たせ、親しんでもらうにあたって、ヘッドマークは有効な方法だったと思われます。

しかし分割民営化で、車両の設計は各JRが実施する形に変化。各JRが各列車の個性を、車両デザイン全体で表現する時代になっていきます。そして相対的に、ヘッドマークの重要性も低下することになります。

1988(昭和63)年にJRグループ初の新型特急電車として登場し、特急「有明」などに使われたJR九州オリジナルの783系特急形電車「ハイパーサルーン」は、大型の前面窓など国鉄時代の特急電車とは大きく異なるスタイルで登場。この783系は、ヘッドマーク表示器自体を備えませんでした。

現在では北海道と四国ぐらい 進化した方式も

また、1989(平成元)年にデビューし「ひたち」などに使われたJR東日本651系特急形電車は、LEDの表示器でヘッドマークを表示する仕組みを採用します。

幕式の場合、内容を変更したい場合は幕自体の交換が必要で、構造も複雑ですが、LED式はその点が簡単なのが特徴。以降、ヘッドマーク表示器が備えられる場合でもLED式の採用が増えていくことになります。

ただ、LED式ならヘッドマーク表示器の採用が多い、といえる状況でもなく、現在、新しい特急形車両でもヘッドマーク表示器を備える方向性なのは、JR北海道JR四国ぐらいです。

JR東海は、独自に設計した特急形車両でも幕式のヘッドマーク表示器を備えてきましたが(JR西日本が開発を主導した285系を除く)、2022年度から運行開始予定の新型特急車両HC85系は、ヘッドマーク表示器自体を持ちません。

全体的に「ヘッドマーク」の必要性が低下し、特に幕式は絶滅が危惧される現状ですが、JR北海道はフルカラーLEDのヘッドマーク表示器を導入。進化もしています(LED式は当初、色がオレンジ、緑、赤で表現力が乏しかった)。

また、定期運行される特急列車では存在感が下がっているヘッドマークですけれども、イベント列車では、その特別感の演出などから特製のヘッドマークが用意されることがよくあります。

日本の鉄道におけるひとつの文化でもある「ヘッドマーク」。何らかの形で、これからも利用者を楽しませてくれるでしょう。

185系の幕式ヘッドマーク表示器(恵 知仁撮影)。