(本稿は老友新聞本紙2019年8月号に掲載した当時のものです)
「市田さん、お久しぶりです」
「???」

6月26日から、私のコレクション展示は始まった。
『世界民族衣装サミット』は、G20と重なったし、大雨の情報とも重なったし、気をもんでその日を迎えた。
「テレビを見て来ました……」
私の世界の衣装コレクションは、過去、日本の各地で展示してきたが、日本一高いアベノハルカスでは初めて。お客様は来てくださるのか。
アート館のある近鉄百貨店にゆくと、すでに開館と同時にお客様が入っていた。
いつか、このアート館で世界の衣装展をやりたいという思いがずっとあったが、なかなか日程がとれず、やっと令和元年に夢が叶った。
王族・貴族の服は博物館に残るが、庶民の服は古着として汚して、その役割を果たして消えてゆくのだ。
民族衣装は、その民族の文化と伝統の集約だ。
そのうえ、刺繍、織、ミラーワーク、後染めなど、見事な女達の工芸も見られる。
だから私の旅は、パリやローマではない。昔ながらの暮らし向きで生きている人達を訪ねる。多くは地図に名前も載っていない村の人達だ。

      ◇

私が最初にパナマを訪れたのは1970年の万国博の年だ。
その時はまだガイドも添乗員もおらず、海外に行くなら海外に行ったことのある人や知り合いに頼んだものだ。
1ドル360円の時代。
パナマへは日商岩井株式会社の三田昌孝様のお世話になった。
パナマといえばポイエラ(きもの)。麻地の総刺繍で、製作に一年かかる。
頭のかざりも、世界の衣装の中でも工芸としては一級品だ。
三田様のお世話で、ポイエラの研究家、エマヌエルデレオレ教授のお宅を訪ねる。
お嬢さんにポイエラを着てもらいながら、説明をいただいた。全面にアップリケとドロンワーク。その頃すでに町中にも無く、注文制作になっていたが、教授のコレクションの中から一着をわけてもらった。
刺繍、アップリケ、レースなど一年をかけて服全体に手仕事をこめられた衣装は、もはやパナマの街角でも見られないし、歌手もポイエラの略装のモンツーナを着用していることが多く、スカートのみ刺繍・レースで、ブラウスはプリントというような装いで、手工芸の価値とともに貴重品となりつつある。

      ◇

三田さんと再会を果たし、50年前のパナマを語り合った。私は貴重なポイエラを手に入れた。三田さんは50年ぶりに自分の紹介した服に出逢えた。
縁があって、京都へ来てくれたポイエラ。1年もかかって編み出すレースのトリミング。
日本のきものも30工程以上もかけて作られる。
今、外国人観光客が日本のきものにあこがれて、レンタルきものが大繁盛だ。
手描友禅や型染めなど、昔ながらの工芸が京都に生きている。
観光財源のレンタルきもので楽しむのも良いが、博物館へ寄って、伝統芸に触れてもらいたいものだ。
今なお、日本の暮らしの中に、正月、七五三、十三詣り、成人式、結婚式など、昔ながらのしきたりが生きていることも知ってほしい。
(本稿は老友新聞本紙2019年8月号に掲載した当時のものです)

「ポイエラ」を訪ねパナマへ…日本の暮らしの中に生きる伝統工芸を再認識