もう、うんざりである。

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 またまた「慰安婦」や「従軍慰安婦」の教科書記載が復活し、問題となっている。

 来春から使用される高校教科書で、「産経新聞」(令和3年3月31日付)によると、「慰安婦」記述が前回(世界史日本史計27点中11点)の約41%から、令和4(2022)年度から使用される歴史総合(前回までの世界史日本史を統合した必修科目で12点中9点)では75%に増加しているという。

 中でも、清水書院と実教出版は、資料からの引用を含め、「いわゆる『従軍慰安婦』」などと記載しているという。

 この「従軍慰安婦」という用語の使用については、2021年4月から使われる中学生用歴史教科書で、山川出版が「いわゆる従軍慰安婦」と記載していたことから、「新しい歴史教科書をつくる会」などが精力的に文部科学大臣に対して削除勧告をするよう要請してきた曰くつきの用語である。

 文科省が削除勧告しないことは2月23日に判明したが、清水書院と実教出版は係争になっていることを承知のうえで、あえて「いわゆる」とつけながらも「従軍慰安婦」を記載したわけである。

脈絡のない教科書文面

 中学校歴史教科書の件の部分は「戦時体制下の植民地・占領地」の小見出しの下、「多くの朝鮮人や中国人が日本に徴用され、鉱山や工場などで過酷な条件の下での労働を強いられた①」とし、①の注として「戦地に設けられた『慰安施設』には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)」と書かれている。

 日本軍が女性を朝鮮・中国・フィリピンなどから意に反する形で多数集め、慰安婦として戦場に連れて行ったということを暗示するものである。

 慰安婦になったのは朝鮮・中国・フィリピンなどの女性としているが、慰安婦の大部分は日本女性であったので、その事実がまず記載されていない。

 また、日本政府が全力で探したが文章などで強制性を示すものはなかった。政府は一方で元韓国人慰安婦16人から証言を得るなどして発出したのが河野談話である。

 しかし、「河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃く反映され」たものとなったのである(櫻井よしこ「日本を貶め続ける『河野談話』という悪霊」、『WiLL』2007年5月号所収)。

 日本は日韓両政府で相談して文言を詰めるなど、善意の合意で慰安婦問題の「終結」として河野談話を発表した。

 しかし、韓国の反日団体は河野談話を批判のベースに置き、捏造した内容の慰安婦像や碑を建てていった。

 米国議会や国連人権委員会までが談話を根拠に重大な人権侵害として批判し、像や碑の建設が世界に拡大し、ユネスコの世界記憶遺産登録を目指すまでに至った。

 日本政府はようやく重い腰を上げ、精力的な調査と河野談話の再検証を行い、強制連行も10代からの若い韓国人女性約20万人に上る慰安婦も捏造であると反論し始めた。

 こうした経緯から、一時は教科書に掲載された「慰安婦」であったが、日本政府の検証以後は記載がなくなっていた。

 ところが、先述のように令和元年度の中学教科書検定で、山川出版の教科書に「鉱山や工場などで・・・労働を強いられた」と書きながら、注釈では戦地に設けられた「慰安施設」の女性を取り上げ、「いわゆる従軍慰安婦」と記載した。鉱山や工場と、軍の慰安施設は全く脈絡がないわけで羊頭狗肉である。

 その上に「いわゆる従軍慰安婦」を持ち出すのは牽強付会という以外にない。

そもそも「従軍慰安婦」は存在しない

従軍慰安婦」は誰が何時、使い始めたのだろうか。

 持ち合わせの資料を手当たり次第に見てみた。なかなか明確ではないが、作家の千田夏光氏ではないだろうか。

 氏が昭和48年10月上梓した本が『〝声なき女″8万人の告発 従軍慰安婦』(双葉社)となっているからである。

 同書の本文には従軍看護婦、従軍カメラマン、従軍牧師などは出てくるが、なんと従軍慰安婦はただの1回も出てこない。書名に掲げているだけである。

 看護婦カメラマン、牧師などに「従軍」が付くのは、軍人ではないが軍属で、法令等で準軍人的な処遇を受ける立場にあったことを意味している。

 千田氏はそのことを十分承知しており、書中では彼女らが「軍直轄でもなく軍扱いでもなかった」と書く。

 したがって「慰安婦」とは書くが「従軍慰安婦」とは一度も書いていない。

 軍属ではなかったが軍隊がいるところに出没するところから、「従軍看護婦」に倣い、またそのような印象を読者に持たせようとして、便宜上の用語として使っただけであろう。

 ところが、あろうことか河野談話の冒頭が「いわゆる従軍慰安婦については・・・」と始まっているのである。

 この書き出しからして、政府の公式文書としては「浅慮」の誹りを免れない。

「存在しなかった」従軍慰安婦を、脈絡もなく、また「いわゆる」付でも中学校や高校の歴史教科書に記述し、監督官庁の文科省が追認する感覚が理解できない。

国際詐欺劇を演じてきた韓国?

 千田氏は九州や朝鮮半島に戦後の慰安婦を訪ね、声なき女たちの声を拾い上げ、こうした惨劇が二度と起きないように世間に訴えようとしたのであった。

 一部仮名もあるが、実在した軍隊も指揮官名も出てくるし、戦闘状況も正確を期している。

 ただ朝鮮人に関しては参考資料に挙げ引用もしているように、朝鮮大学校教授であった朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(1965年、未来社)が含まれており、今では吉田清治の「慰安婦」同様に信頼が置けない著作である。

「強制連行」はなかったことが分かっているし、文科省従軍慰安婦の削除勧告をしなかったのも「強制連行はなかった」と矛盾しないと見たからである。

 また、挺身隊と慰安婦は明確に区別されていた。

 しかし李慶植本では「(朝鮮の)女性は故郷にいるときには戦争への協力を強制され、軍需工場や被服廠で働くのだといわれて狩りだされた17~20歳前後のうら若い娘たちであった。しかし、実際はこうして輸送船に乗せられて南方各地の戦線に送られ、軍隊の慰安婦として・・・」などと記していた。

 類は友を呼ぶとでもいうのだろうか、フィクションでしかなかった吉田清治の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(1983年、三一書房))の巻頭には朴慶植が一文を寄稿している。

 朝鮮人慰安婦たちは自ら声を上げ始めたのではなく、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)という反日団体の運動に呼応(使嗾というべきか)してのことであった。

 挺対協等が40余人の慰安婦から聞き取った「証言集」(1993年2月)には多くの齟齬が発見されたが、反日運動の盛り上がりの中で、慰安婦たちの証言に疑問を挟んだり、検証する人士は罵声ばかりでなく国家権力からさえ妨害され、身分保障も危うい状況に置かれかねなかった。

 河野談話(1993年8月)はこうした中で出されたわけで、「日本国家のお墨付き」とみられた(いまだに見られている)ことは確かである。

 証言集にかかわったソウル大学の安秉直(アンビョンジク)教授は、「前後の陳述が合わない場合が珍しくなかった」「調査を困難にしたのは意図的に事実を歪曲していると感じられるケースだった」という。

 こうして半分以上がはじかれ、証言集に記されたのは19人でしかなかった。

 慰安婦たちの証言が変転したことを韓国のジャーナリスト黄意元氏が近年検証した。

 その抜粋・概要が『正論』(令和2年8月号)に「若き韓国人が書いた慰安婦証言の変転」(翻訳・解説、西岡力)として掲載された。

 これによると、挺対協が慰安婦シンボル的存在として米議会やフランス議会にも立たせた李容洙の年齢、結婚、職業をはじめ、証言の多くに食い違いがあり、今や韓国という国家が「国際詐欺劇」を演じてきた危険に直面しており、「韓国の品格」が問われようとしているという。

人生の暗部の調査

 慰安婦たちが数時間や数日の表面的な調査に本当のことを話してくれ、真実を抉り出せるはずがない。

 しかも、彼女たちのバックには反日団体が付いており、思想教育にも等しい反日団体の意に添うように教え込まれていたであろうから齟齬が出ても不思議ではない。

 明治、大正時代の日本も貧しかった。「おしん」の世界であり、多くの女性が「からゆきさん」となって大陸や東南アジアに海を渡って行った。

 作家の山崎朋子さんは天草に帰国したからゆきさんから話を聞くために、雨漏りで畳は腐り、戸は破れて風が吹き抜け、蚤・シラミが歩き回る家に1か月泊まり込んで生活を共にし、その後も文通と訪問を重ねながら話を聞きだしている(『サンダカン八番娼館』)。

 本当のことを聞き出すためには、これくらいの努力が必要であるが、韓国の慰安婦調査は上辺だけのもので、しかも政治色に彩られたものでしかなかったのだ。

 余談であるが、筆者は、からゆきさんがどんな運命をたどったかに関心があったので、シンガポールを訪問した折、日本人墓地を訪ね献花した。

 寺内寿一南方軍司令官やロシアからの帰国船で客死した二葉亭四迷の大きな記念碑などは現地の墓守によって手入れされていたが、その横に広がる草叢に横たわる高さ30センチ大の何百もの墓石は倒れ、あるものは斜めになるなど、慟哭しているように思われた。

おわりに

「戦争と性」にかかわる事象を、韓国の反日団体にあおられる形で河野談話として発出し、日本軍韓国人慰安婦に極小化しているところに本源的な問題がある。

 慰安婦問題を考える場合は、血気盛んな青年が何か月も何年も禁欲を強いられる状況に思いを致すべきであるが、慰安婦問題を糾弾する反日日本人は家庭を築き、性も平和裏に処理できる立場にあるに違いない。

 今や名著の名にふさわしい秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』は、「『売春は世界最古の職業』とは、言い古された金言だが、軍隊用の慰安婦も同様だった」と記し、世界史の視点から慰安婦問題を見る必要性を提示している。

 マグヌス・ヒルシュフェルトの『戦争と性』は、古代から中世、第1次世界大戦までを取り上げているが、行く先々で婦女子を求める姿がある。

 印象に残るのは占領された都市(パリなど)で、パンと引き換えに弟が姉をドイツ軍人に紹介する場面である。

 欧州大陸では戦争が絶えたことがなく、婦女子の多くが強姦され、あるいは売春したように読み取れる。

 禁欲的な日本人(家庭もちの平均的性交は週1回)に対して、外国人(主とし欧米)の貪欲(週2~3回)は、遺伝子として古代から受け継がれているようだ。

 ヘルケ・サンダーバーバラ・ヨールの『1945年 ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども―』はポーランドやソ連などでナチス・ドイツの軍隊がやったことである。強姦で生まれた子供たちなど、おぞましいばかりの話である。

 アレキサンダー大王が駐屯した跡には「アレキサンドリア」と名のつく都市がいくつも残されている。戦勝記念であると同時に、端的に言えば大王一隊の子孫が残された証ではあるまいか。

 古代はともかく、ベトナム戦争中に韓国軍韓国人ベトナムに残した3万人ともいわれるライダイハンは今日的な人道問題である。

 そればかりか、韓国は今も自国の売春婦を世界に送り出してもいる。

 韓国は日本人慰安婦に焦点を当て続けてきたが、自国からも「国際詐欺劇」と批判され始め、「国家の品格」問題になりつつある。

 ともあれ、戦争と性は深刻な問題であり、戦争がある限り女性の性が対象にされかねない。

 最良の解決策を見つけるためにも、世界の全体を把握して真剣に対処策を考察しなければならない。

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