持続化給付金や家賃支援給付金の支給対象から、性風俗業者が外されているのは、憲法が定めた「法の下の平等」に反する――。

関西地方デリバリーヘルスデリヘル)を営む業者が、国などを相手取り、給付金の支払いなどをもとめている訴訟。その第1回期日が4月15日、東京地裁であった。被告の国は請求を退けるようもとめた。

●国側「国民の理解を得ることが困難である」

原告のデリヘル業者は、持続化給付金や家賃支援給付金の支給対象から性風俗事業者を外した規定は、法の下の平等を定めた憲法(14条1項)に違反しており、裁量権の逸脱濫用であるから、無効であると主張した。

一方、国側は、性風俗業者について「性を売り物とする本質的に不健全な営業」で「社会一般の道徳観念にも反する」から、「国家の支出により、事業の継続ないし再起を目的とした給付金を支給することは、国民の理解を得ることが困難」であると反論した。

この日の期日では、原告のデリヘル業者の代表者(30代女性)が出廷。「持続化給付金や家賃支援給付金は、困っている事業者みんなが受けられる救済です。そんななか、性風俗業だけが救われませんでした」などと意見陳述した。

原告代理人によると、原告のデリヘル業者は、法令で定められた届出をおこない、風営法などの法令に違反しない範囲で適法に事業を営んできており、納税義務もはたしてきているという。

代表者の意見陳述の全文は以下の通り。

●「国による職業差別を許さないでいただきたい」

私が経営する店には、受付業務をしているスタッフが何人かおります。そのなかの一人は子育て中で、子どもがこの春、小学校に入学します。元々、そのスタッフはキャストでした。店のオープンの頃からキャストとして働き、結婚したあとも働き続け、妊娠を機に受付スタッフになりました。その後、出産して、赤ちゃんだった子があっという間に小学生です。子どもの成長を側で見ながら、子育てする人が無理なく働けることや、それが他のスタッフの負担にならないことなど、店として試行錯誤をしてきました。これからもまだ続いてゆくはずです。自分も一緒になって子どもを育てているような感覚があり喜びを感じます。そして、その子が大人になるまで店を続けられるかを想像すると、経営者である責任を改めて感じます。同時に社会における責任も自然と感じるようになりました。

コロナ禍でもそれと同じ感覚が生まれました。去年の4月の緊急事態宣言の前後、テレビでは毎日、同じメッセージが流されていました。「今は全員が我慢をする時期だ。みんなが協力しなければ新型コロナはおさえられない」というような内容でした。社会が一丸となってコロナと闘わなければならないのだと受け止めました。そして休業要請が出された時、今は店のことよりも社会を優先すべきなのだと私は思い、休業をしました。営業してほしいと懇願するキャストもいましたし、店の売上も激減していたのでとても辛く苦しい決断でした。でもそれが、店を経営する私の、社会の一員としての責任だと考えていました。

しかし国は、性風俗業が社会の一員であることを認めてくれませんでした。持続化給付金や家賃支援給付金は、困っている事業者みんなが受けられる救済です。そんななか、性風俗業だけが救われませんでした。

そのとき私は未来が真っ暗に思えました。そして孤独でした。まるで、嵐の中、性風俗業の者だけが裸で外に追い出されたように感じました。国の説明によると、そうするのが当たり前かのようでした。「普通とは違う職業だ」「あってはいけない職業だ」「潰れたところで誰も困らない」「救う価値のない職業だ」「そんな職業を選んだやつが悪い」と国から言われているようで、涙が出ました。今でも、そのことを考えると涙が出ます。悲しいとか腹が立つとかだけでなく、傷付いたのだと思います。

私は、国からそんな扱いをされる業種でスタッフやキャストに働いてもらっていることに申し訳なさを感じました。スタッフのみんなが転職しやすい年齢のうちに、店を畳んでしまったほうが良いのではないかと頭によぎりました。でも、国からの扱いを知ったスタッフは皆、「この扱いはおかしい」とハッキリと言ってくれました。もしも彼女らがそう言ってくれなければ、私は心が折れていたかもしれません。

その後、今回の裁判について取り上げたテレビワイドショーでコメンテーターが「日陰の職業の人が大きな声を上げるのはいかがなものか」と言っていました。その発言が世間で批判の対象になることもありませんでした。性風俗業の同業者でも「自分たちはそういう職業なのだから声を上げるべきではない」と言う人がいました。「声を上げたらどんな目に遭うかわからない」と言う同業者もいました。

自分自身、店が危機に瀕していなければ、テレビのコメンテーターと同じことを思っていたかもしれません。自分のような職業の人間が社会に対して大きな声で何かを欲しがるのは、とても恥ずかしいことだと思っていました。国からの扱いはおかしいとスタッフが言ってくれなければ心が折れてしまうくらい、自信がありませんでした。

それでも今回声を上げようと思ったのは、私が優先すべきことは店を続けることであり、自分自身も店を続けたいと思ったからです。そして、店のスタッフやキャストがより良い環境で働ける店を作ることが私の役割だからで、そうでなければ店を続けることが自分自身で辛くなるからでもあります。

そんな風に、何が大切なのかを整理してみると、様々な違和感が生まれました。私はこれまで、自分の職業は人に言いづらいものだから社会のはぐれ者なのだと思っていた時期があります。でも店を続けるなかで、私や私の店は明らかに社会の中にあると感じるようになりました。コロナ禍でも、それを嫌というほど実感しました。社会は、嫌でも逃れることができないものだとも感じました。考えてみれば当然のことです。

それと同じように、ごく自然に、この職業は権利を主張するのを恥じるような職業ではないと気が付きました。ごく自然に、性風俗業はひとつの仕事であると気が付きました。そうすると、これまで全く見えていなかった、抑圧の存在に気が付きました。本来は、テレビコメンテーターの言うような日陰の職業など無いはずです。おかしいと思うことには声を上げて良いはずです。

性風俗業は合法に社会の中に存在するのに、社会の外の存在だという扱いを受け続けています。しかもそれが当たり前になっています。さらには、それを国が主導しているのです。とてもおかしいと思います。国は、社会に対して「差別をしてはいけない」「差別を助長してはいけない」「職業に貴賎はない」と伝える存在であるべきです。しかし国は今、真逆のことをしています。国にはそのことに気づいてほしいですし、改めていただきたいです。そして、裁判所には、国による職業差別を許さないでいただきたいです。

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「嵐の中、裸で外に追い出されたよう」 デリヘル業者が違憲訴訟「給付金の対象外は差別だ」