文藝春秋」4月号の特選記事を公開します。(初公開:2021年3月17日

 多くの日本人の心には、アメリカ軍東日本大震災で大規模な支援をしてくれたことが刻まれている。その支援が「トモダチ作戦」の名の下で行われたこともまた広く知られていることだ。

 アメリカ軍が必死で日本を支援してくれたこと、離島にも生活物資を運んでくれたことへの感謝の言葉は多い。冠水した仙台空港の早期の復旧には、多くの日本人から敬服する声が送られた。

 アメリカ軍によるピーク時の支援は人員16,000名、艦艇15隻、航空機(固定翼、回転翼)は140機にものぼった――。

トモダチ作戦の裏での“攻防”

 昨年12月。間もなく震災から10年を迎えようとしていた頃、日米の関係者たちが重い口を開き始めた。彼らが一様に口にしたのは、そのトモダチ作戦の裏で、原発対処を巡る“日米の激しい攻防”が繰り広げられていたという新事実だった。

 これまでこのことは明らかにされることはなかった。しかし、10年目という大きな節目だからこそ、その時の教訓が引き継がれることを願う想いが、関係者たちの証言となった。

 それら関係者からの聞き取りを重ねてゆく中で、10年前に書かれた1枚の文書と出合うこととなった。

 題名は〈統幕BCAT(ビ─キャット)横田調整所の役割分担〉。

 自衛隊アメリカ軍とが連携して行う震災対処を調整するための、自衛隊側の対応チームの編成表だ(※統幕とは陸海空自衛隊を運用する東京・市ヶ谷の統合幕僚監部を指す)。

 細かく見ると、「原発対処主務」「LO(連絡将校)兼原発対処/HADR(人道災害支援)補佐」「HADR主務」「輸送機能担当」「化学運用担当」──など、任務ごとの名称が並ぶ。

 チ─ムのトップは、陸上幕僚監部・防衛部長の番匠幸一郎(ばんしょうこういちろう)陸将補。それを支えるスタッフとして複数の自衛官と防衛省内局員たちの氏名が記載されている。

 日米部隊の調整の場は、すでに統幕には戦略的レベルとして「中央BCAT調整所」が立ち上がっていた。

 しかしこの「BCAT横田調整所」が、原発対処を巡り、日米の軍事関係者が密かに激論を交わし、“熾烈な攻防”が繰り広げられた“最前線”であったことは、ほとんど知られていない。

「日本政府は情報を隠している」

 アメリカ軍と日本政府との調整が始まって数日も経たない時のことだった。

 在日アメリカ大使館駐在武官から、1通の外交公電がワシントンの国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。

 そこには政府の公文書にも関わらず感情的な言葉が並べられ、最後をこう結んでいた。

〈日本政府は、原発事故に関する情報を隠している。この状態は現在のリビアより酷い〉

 当時、北アフリカリビアは40年間にわたって独裁政治を続けていたカダフィ政権と反政府組織との間で激しい内戦が続き、政府機関は機能せず、全土が混乱していた。駐在武官は、それよりも日本政府の状況が“酷い”と怒りを込めた公電で言い切ったのである。

 そしてその日を境にアメリカ軍は「BCAT横田調整所」を舞台にして、驚くべき要求を日本側に突き付け始めたのだった。

 米軍が日本に突き付けた要求の中身は、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋digital」掲載の麻生幾氏のレポート『その時米軍は「日本再占領」に動いた』をお読み下さい。

(麻生 幾/文藝春秋 2021年4月号)

がれきの除去作業をする米兵 ©共同通信社