その快挙を称(たた)えるのに敵も味方もなかった。

1月11日スキージャンプW杯の個人第13戦フライングヒルオーストリア)で、41歳の葛西紀明が史上最年長W杯優勝を達成。1本目でトップに立ち、迎えた2本目、追い風0.5mの難しい条件のなか、葛西が197mまで飛んでテレマーク着地を決めた瞬間、コーチボックスでは日本の横川朝治コーチだけでなく、他国のコーチたちも同時にバンザイをした。

葛西のもとに次々と駆け寄って祝福する他国のライバル選手たち。観客席を埋め尽くした地元ファンは、手にしていたオーストリア国旗の小旗をいつまでも振った。

この歴史的勝利以前の昨年6月、葛西はこう話している。

「W杯に出るようになってもうすぐ25年になるけど、振り返ると95%以上の試合は負け。でも、勝ったときの喜びは、負けが多くなる分だけ増える。その喜びをまた味わいたいから、いつかはその日が来ると信じて競技を続けていますね」

前回、葛西がW杯で勝ったのは、今から10年前の2004年2月のこと。日本勢はジャンプスーツのサイズ規制がルール化された00年からの開発合戦で後手を踏み、低迷を始めた時期だった。そして、葛西自身、その後は2、3年に一度しか表彰台に上がれない状況になってしまった。

そんな状況下で日本チームを引っ張り続けた葛西は、「世界のトップに比べて技術が劣っているのではと迷う時期もあった」と明かしている。

だが、それでも競技を続けたのは、「まだ五輪で金メダルを獲っていない」という悔しさと、20代の頃からの死に物狂いのトレーニングでつけた身体能力への自信だった。「実績も体力も、まだチームの誰にも負けていない」という自負が、葛西に現役を続けさせているのだ。



そして、葛西はそれだけの努力を欠かさない。本人も「たぶん、“こそ練”(こっそりと陰に隠れてやる練習)は僕が一番やっていますよ」と胸を張る。

遠征に行けば毎朝のランニングを欠かさず、自宅にはトレーニング機器を備えた部屋をつくり、時差ボケで眠れないときまで体をいじめる。体重が増えすぎれば3日間ほど絶食することもあるという。

かつては、そうやってつけた身体能力への自信が裏目に出ていた面もあった。ここぞというときに、踏み切りで力が入りすぎてしまい、スキーのバランスを崩していたのだ。

しかし、10年バンクーバー五輪前後からはそうした力任せの面が徐々に消え、スムーズな飛び出しが目立つようになった。

そのことについて本人に尋ねると、「ジャンプは100分の数秒のなかでタイミングとパワー、方向、風の運など、すべてがそろわないと結果を出せない難しい競技。それがそろうのも、そろわないのも運命。いつかジャンプの女神がほほえんでくれるはずと考えられるようになりました」と笑っていた。

ジャンプスーツのサイズ規制が体の大きさプラス2cmと小さくなり、盲点をつく開発の幅が極めて少なくなった昨季に好結果を出せ、「自分の技術は負けていない」と自信を持てたのも大きい。

06年にヒザを故障して以来、自慢の身体能力が少しずつ落ちてきているのは本人も認めるところ。だが、長年磨いてきた高い技術との絶妙のバランスで、戦えるジャンプを生み出しているのだ。

今季のW杯では、出場した12戦中10位以内が11回、表彰台3回と抜群の安定感を見せている。その熟成したジャンプで臨む7度目(!)の五輪となるソチでも自信を持ってスタートゲートにつけるはず。あとはジャンプの女神がほほえんでくれるのを待つだけだ。

(取材・文/折山淑美)