インドネシアの独立捜査機関「国家汚職撲滅委員会(KPK)」関係者が、KPKが捜査に着手しながらも立件を断念した巨額横領事件に関して、重要容疑者がシンガポールへ逃亡し、捜査の追及の手を逃れて「のうのうと暮らしている」として、隣国シンガポールを名指して「汚職容疑者にとって安全な避難場所のようになっている」と手厳しく批判した。

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 これに対しシンガポールの汚職捜査機関ならびに外務省が一斉に「インドネシアのKPKによる指摘は事実に反する。我々は適正に捜査情報の提供などインドネシアのKPKなどの当局に協力することは行っている」と即座に反論する事態に発展している。

「シンガポールは犯罪容疑者にとって安全な避難場所」

 これはインドネシアの地元メディアジャカルタ・グローブ」(電子版)が4月10日に伝えたもので、KPK幹部である副執行官カルヨト氏が「我々の汚職捜査を困難なものにしている一つが、シンガポールが汚職容疑者にとって逃亡先でありそして安全な避難場所となっているということである」という趣旨の発言を4月6日に地元メディアに対しておこなった。

 カルヨト氏はさらに「インドネシアの汚職容疑者はシンガポールを最も近くて安全な避難場所と考えているようだ」とまで指摘したのだった。

インドネシアからの非難に「これまでも協力している」と反論のシンガポール外務省

 こうしたKPK幹部の発言に対してシンガポール側は黙っていなかった。

 カルヨト氏の発言から3日後の4月9日シンガポール外務省は「インドネシア側の指摘には全く根拠がない。シンガポールは過去そして現在も進行中の汚職犯罪容疑者に関する捜査には適正に協力、支援している」と怒りとともに、「責任を転嫁するに等しい」とKPK幹部の発言を厳しく非難する声明を発表したのだった。

 その上で「シンガポールの汚職捜査機関である汚職行為捜査局(CPIB)がインドネシア側の求めに応じて捜査対象となっている汚職事件容疑者の事情聴取を支援したり、インドネシア国籍を有する容疑者のシンガポール国内での居場所に関する確認の求めに応じて必要な情報を提供したりとこれまでも協力してきているではないか」と反論した。

 その上でシンガポール外務省は、2007年4月に、当時のインドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領(SBY)とシンガポールのリー・シェンロン首相の立ち合いの下で両国による「犯罪人引き渡し条約」が署名されていることを明らかにした。

引き渡し条約未発効はインドネシアの問題

 ただしこの「犯罪人引き渡し条約」はインドネシア国会がいまだに批准していない。その批准の遅れが原因で実際には条約としては依然として発効していないのが実状だとシンガポール側は付け加えている。

 要するにシンガポール側は、インドネシアのKPKなど捜査機関による汚職事件容疑者の身柄引き渡し要求に応じるための法的根拠が現在のところなく、その原因はインドネシア国会における条約批准の遅れにあると指摘し、「非はインドネシア側にある」と反撃したのである。

防衛合意とセットの犯人引き渡し条約

 シンガポール外務省のこの指摘に、「ジャカルタ・グローブ」は一つの理由を示した。「インドネシア国会で『犯人引き渡し条約』の批准が遅れているのは、同条約とセットになっている2国間の『防衛協力合意』がネックになっている」というのでる。

「犯人引き渡し条約」とセットになっている「防衛協力合意」には、インドネシアが同国スマトラ島に近いカユ・アラ島を、シンガポールに対してシンガポール軍の訓練場、実弾射撃演習場として提供することなどが盛り込まれているという。

 この両国国防相レベルが確認して署名した「防衛協力合意」がインドネシア国会での審議に時間がかかっており、そのためセットになっている「犯罪人引き渡し条約」も批准が遅れているというのだ。

「必要な支援は行う」とシンガポール

 このようにインドネシア側の事情で「犯罪人引き渡し条約」の批准が遅れてはいるものの、シンガポール側としては「適切なルートと手続きを経れば、これまで通りにシンガポールはKPKなどインドネシア側の求めに応じて必要な法的支援は行うつもりである」と強調。

 その上で「シンガポールとしては国内法と国際的な義務に従ってインドネシアの法執行機関とは協力関係を維持する」と繰り返し、最後に「関心を別のことにそらしたり、外国の司法権を批判したりすることはなんの効果も生まない」とも釘を刺し、インドネシア側の理解を求めている。

インドネシア捜査当局の苛立ち

 インドネシアのKPK幹部が、シンガポールを「汚職容疑者の安全な避難場所」と批判した背景には、KPKが4月初めに立件を断念した巨額横領事件の捜査があるのではないかと「ジャカルタ・グローブ」は伝えている。

 この事件は1997年アジア通貨危機の際、インドネシア政府が金融機関支援のためダガン・ネガラ・インドネシア銀行に緊急融資した資金のうち数兆ルピアが経営幹部により横領された巨額横領事件だ。

 この巨額横領事件では長年の捜査の結果、KPKが2019年に財閥グループの1人で同銀行のオーナーでもあったシャムスル・ヌルサリム氏とその妻イトゥジさんの2人を横領事件の容疑者として認定、捜査をさらに進めようとしていた。

 ところがシャムスル容疑者夫妻は密かにインドネシアを出国し、シンガポールに在住していると伝えられ、容疑者認定後も直接あるいは間接的に2容疑者からの事情聴取ができない状態が続いていた。

 捜査が行き詰まり状態に陥ったことなどからKPKは4月初めに同横領事件の立件を最終的に断念して「捜査中止」を決めていた。

 この巨額横領事件の立件見送りという事態にKPK内部には不満の声が充満。その苛立ちの矛先がシンガポールへ向かい、今回の「シンガポール批判」が飛び出したようだ。

インドネシアとシンガポールの「微妙な関係」

 インドネシア1998年に民主化の要求と折からのアジア通貨危機の影響などで崩壊したスハルト長期独裁政権時代は、「総人口の約4%の中国系インドネシア人がインドネシア経済の90%以上を掌握している」とまで言われるほど富を独占、ビジネスを仕切ってきた。

 ところが1998年の政変の折に、中国系インドネシア人に対し憎悪を募らせた暴徒が中華街を襲撃し、放火や破壊を繰り返し、中国系住民を暴行・殺害する事件が首都ジャカルタや地方都市で続発した。

 以降、中国系インドネシア人の富裕層は、自分たちの資産を、最も近く大きな中国人コミュニティーが存在するシンガポールに移してリスクの分散を図ってきた。

 さらには資産を置くだけではなく、シンガポールに不動産を所有して長期滞在したり、ビジネスの拠点を移動したりするなど中国系インドネシア人をはじめとする富裕層にとってシンガポールは「安全な避難場所」的な場所となったのだった。

 さらに「犯罪者引き渡し条約」も批准されていない。それが犯罪、特に経済事犯の容疑者、重要参考人にとって「シンガポールが安全な避難場所」となる一因となっている。

 加えてインドネシア人は、都市国家という小国でありながら東南アジア諸国連合ASEAN)でもトップクラスの経済発展を遂げ、地域の流通のハブとして成長するシンガポールに対する嫉妬に近い感情もあるとされる。そのことも今回のKPK幹部による「恨み節」の根底にあった可能性が指摘されている。

 インドネシアにとってシンガポールは昔から「近くて遠い国」と言われてきた。それは現在でも全く変わっていないのかも知れない。

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インドネシアのジョコ・ウィドド大統領(右)とシンガポールのリー・シェンロン首相。2019年10月撮影(写真:ロイター/アフロ)