※過去の連載記事は以下をご覧ください。
※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178)
※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267)
※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576)
※4回目「廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64695)
※5回目「軍艦島の『世界遺産化計画』につながったある出会い」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64702)
※6回目「『無謀』と言われた軍艦島の世界遺産登録、その裏側」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64970)

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 2015年7月4日長崎市内のホテルで支持者とドイツ・ボンで行われていた第39回世界遺産委員会の生中継を見守っていた。軍艦島世界遺産に登録される瞬間を見届けるためだ。

 私はドイツに行くことはできなかったが、取材を続けてくれていた共同通信の記者がドイツに行き、逐次電話で連絡をくれていた。夕方を過ぎても決着がつかず、ボンからの電話には焦りの様子が窺われた。同日に登録されないという理由を聞いて唖然とした。世界遺産委員会は当初、日本時間7月4日の審議で「産業革命遺産」を扱う予定だったが、日韓の対立で先送りになったのだ。

 予想はされてはいたが、元朝鮮半島出身労働者、いわゆる「徴用工」を巡って調整が難航。韓国は産業革命遺産に「戦時中、朝鮮人が強制徴用された施設がある」として登録に反対していた。2015年6月21日の日韓外相会談では、互いに推薦する案件の登録に向けて協力するという合意がなされていたが、徴用の具体的な説明で、日韓の協議が長引いたのである。

 世界遺産委員会は土壇場で紛糾した。普遍的な価値を持つ世界遺産の審査が歴史問題に翻弄されたということだ。他の委員国からは困惑する声も上がった。

 審査の持ち越しが決まった2015年7月4日夜、落胆の中、翌日に期待をかけて解散した。私は納得できなかった。理不尽な形で韓国が攻勢をかけてくるだろうと予想していたが、それでも腹が立った。決まったことを土壇場で蒸し返す国である。

 私にとって軍艦島世界遺産登録はライフワークであり、島が生活の中心だ。長年、歩んできた夢が政治的な理由で破れるかもしれないという思いが交錯して一睡もできなかった。2003年に軍艦島世界遺産にする会を立ち上げた時、夢のような話だといわれて相手にされないことが多かった。あれから12年、その夢が実現しようとしていたのだからなおさらだ。

世界遺産登録で韓国が採ったクレーマー行為

 2003年当時、韓国の反発はほぼ皆無だったが、世界遺産が近づくと誹謗中傷が始まった。無名に近かった軍艦島世界遺産への活動が知られるようになり、韓国からの声が高まったのだ。

軍艦島」というネーミングが反日の材料にハマったのか、強制連行や地獄の島としてぴったりのネーミングだったのかはわからない。しかし、「軍艦島」は歴史上、存在しない島である。本来の名は「端島」で、第3回「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576)で述べたように、韓国が主張する暗い歴史も存在しないのだ。

 そして、ドイツ・ボンの議長室で、日本と韓国の代表団が議長を挟んで協議したという知らせがあった。

 韓国政府は、「明治日本の産業革命遺産」の23施設中7施設で「戦時中に強制徴用された労働者がいた」と主張して登録に反対した。韓国側は2015年6月の日韓外相会談で、いわゆる徴用工を含む「歴史の全容」を施設の説明を加えるなら反対しないと示して、事態は決着したかに見えていた。

 しかし、世界遺産委員会の開幕後、対立が再び表面化。韓国側は意見陳述で徴用工の歴史に言及、さらに「強制労働」という表現を使おうとした。日本側が韓国側の陳述の修正を要請すると、韓国が反発して折り合いがつかなくなった。2015年7月4日午前に、議長が日韓に呼びかけた仲裁の協議を韓国側が拒否したという情報もあった。

 韓国側は委員会で激しいロビー活動を展開した。「軍艦島」の通称で知られる端島炭坑について、ナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所を引き合いに出して各国の理解を求めたという。近所に嘘を振りまくクレーマーのような行為を、国際社会で行ったのだ。

 審査最終日の7月5日にも、ぎりぎりの調整が行われた。

 5日の最終審査前、日本政府関係者は「延期は最悪だ」と述べた。世界遺産の登録は全会一致で決まらないと投票になることがあるが、翌年は韓国が委員国に残る一方、日本は外れるからだった。他の委員国は、日韓のどちらかを選ぶ投票は避けたいというのが本音で、ベトナム代表団の関係者は、「落ち着いて話し合ってほしい」と日韓双方に呼びかけたほどだ。

世界遺産登録の翌日から始まった誹謗中傷

 世界遺産委員会の審議に関する報道を見てみよう。

 審議では、日韓がそれぞれ英語で発言した。日本側は徴用工について、本人の意思に反したという意味の「against their will」という表現を使って、植民地時代に朝鮮半島から連れてこられた人にも言及、厳しい環境で労働を強いられたなどと述べた。また、この歴史を記憶するため、適切に対応すると表明した。

 当初、韓国側の「強制労働」発言に対して、日本側は当時の法令に沿った動員で、韓国の損害賠償請求訴訟など徴用工を巡る動きに悪影響を及ぼす恐れがあるとして反発。調整が難航し、当初予定された4日の審議は先送りになった。その後、違法行為を意味する“forced labor(強制労働)”という言葉を“forced to work(働かされた)”という表現に変えるなど調整した結果、韓国側が発言を修正し、合意したという。

 5日の夕方から支援者と生中継に見入った。2015年07月05日 23時39分、軍艦島などの世界遺産登録が決定した岸田文雄外相は記者団に「徴用の問題は完全かつ最終的に解決されている」と日本の立場を述べた。

明治日本の産業革命遺産」を巡る日韓対立が終結して、長崎県の端島(軍艦島)を含む全国23施設が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されることが決まった。これまでで最も長い2日間だった。

 登録が決まった瞬間、涙が止まらなかった。12年の苦労が報われた思いがした。夢のまた夢の向こうにあった世界が現実になったのだ。祝杯を挙げて支援者と喜びを分かち合った。それまでの苦労を労いながら涙の美酒を浴びたのだ。

 しかし、次の日から再び韓国との歴史戦が始まった。翌日から取材、取材で軍艦島を1日に3往復する忙しさだったが、疲れは全く感じなかった。届いたメールには喜びのメッセージだけでなく、誹謗中傷もあった。

「あなたが軍艦島世界遺産にするなどと言わなければ韓国からこんな侮辱を受けることはなかった」「なんでこの島を世界遺産にしたんだ。責任を取れ」などというメールが1日中、届いた。無言電話もあった。

 日本のメディアに、軍艦島を強制連行と結びつける論調があったことは否めない。その根拠がどこにあるのか誰にも答えられないだろう。70年以上の前の出来事がなぜ、十数年の世界遺産の活動で噴出したのか。1965年日韓基本条約で終わったはずである。

 韓国の反日だけではない。意図的な作為は日本でもあった。

反日プロパガンダに荷担した日本メディア

 2020年、端島の元島民が、昭和30年(1955)にNHKが放送した「緑なき島」で描かれた軍艦島が端島の風景ではないと指摘した。端島炭坑を一方的に負の遺産と決めつけたドキュメンタリー番組で、あまりにも信じがたい改ざんが行われていた。

 端島で朝鮮人炭坑夫が労働に従事する映像や写真を放映したが、それを見た元島民たちが口を揃えて「これは端島ではない」と申し立てた。「真実の歴史を追求する端島島民の会」の調査で、番組内で端島の朝鮮労働者だと放映された人々は、筑豊や北海道などの炭坑や建設現場の日本人だったと判明した。

 しかし、NHKは問題に対する調査に前向きではない。国会でも取り上げられたが、真相はいまだ明らかになっていない。もし、ドキュメンタリーが制作された昭和30年頃から軍艦島に強制連行の島というレッテルを張り続けていたならNHKの功罪は計り知れない。また日本人の映像や写真は、韓国の「国立日帝強制動員歴史館」で、朝鮮人労働者として使われている。

 NHKが韓国のプロバガンダの役目を果たしていると言っても過言ではない。2016年の軍艦島の絵本や2017年の韓国映画「軍艦島」など、韓国では捏造された反日文化や反日教育が目立つ。

 軍艦島(端島)に向けられた侮辱に対して反論ができない日本政府に我慢がならなくなった時、ある団体から国連に行かないかという誘いを受けた。2019年7月、スイス・ジュネーブで開催された、韓国の人々に向けたシンポジウムである。ここで、スピーチの機会が与えられた。

 その一部を紹介したい。

「端島では虐殺や虐待があり、日本が隠蔽しているという話がありますが、それは間違っています。日本人と朝鮮人は運命共同体で、差別なく生活していかなければ、こんな狭い島での生活はできなかった。

 島への愛着と同時に、私は島の人々が嘘の歴史を語るはずはないと思っています。私の故郷軍艦島は『戦時中、韓国の人を奴隷のように強制労働させたアウシュビッツのような地獄の島』だという誤解が国際社会で広まっています。そういった誤解で端島の名誉が傷つけられています。悲しいことです。

 誰もが故郷を持っています。その故郷の歴史をあるがまま伝えていくのが我々の責務です。汚名を着せられたまま、歴史を伝えていくなど私には耐えられません。運命共同体だった小さな島の確かな歴史を残していきたいのです。先人が残した言葉と証言こそが歴史の真実です」

 国連の訪問で知り合った韓国の李宇衍(イ・ウヨン)氏は、戦時中のいわゆる徴用工問題について研究されている方で、私たちの主張の協力者だったことも勇気づけられる出来事だった。李氏と友人として交流ができたこともジュネーブの大きな収穫だった。李氏の著書『ソウルの中心で真実を叫ぶ』(扶桑社)、共著『反日種族主義』(翻訳版、文藝春秋)は韓国と日本でベストセラーになっている。

※李宇衍氏による慰安婦や徴用工に関する主な記事もご覧ください。
「慰安婦賠償判決」がまったくのデタラメである理由(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63614)
性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64066)
慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64113
ようやく崩れ始めた「慰安婦強制連行説」の虚構(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64355
朝鮮人業者と契約し慰安所を転々とした慰安婦の証言

 文在寅政権の「官製反日」政策にもかかわらず、韓国でベストセラーになった李栄薫氏(イ・ヨンフン:ソウル大学元教授、落星台経済研究所所長)の編著『反日種族主義』。過去にこだわり、賠償請求を繰り返す精神の腐敗はなぜ終わらないのか。韓国を代表する知識人2人が問題の根本を正す姿勢に共感を覚える。

 韓国との歴史戦の中、韓国のこういう動きを見ると、時代の変化が起こりつつあると実感するが、まだまだ終わりが見えない。

そこに生きた歴史や文化を伝える重要性

 韓国による攻撃が始まったのは2009年頃からだ。世界遺産に決定した時にも韓国の横やりが入ったし、今でも韓国にはさまざまな軍艦島に関する誤解がある。

 2019年7月、スイス・ジュネーブの国連スピーチで、韓国の李宇衍(イ・ウヨン)氏と握手し、近くて遠い国ではなく、近くて近い国だと話し合った。このような歴史戦で戦っている事実は地元紙も全国地元紙も伝えない。軍艦島に関する報道は、上陸できるかできないか、または崩壊のニュースばかりである。軍艦島こと「端島」の歴史や文化の本質は観光というテーマに埋没していこうとしている。

 建物の崩壊は罪ではない。形あるものはいつか消え去る。それを食い止めるシンポジウムなど机上の空論だ。そこに住み、そこに生きた歴史や文化を大切にしてほしい。

 歴史や文化を語ることのできる人々は年々少なくなっている。巷では桜を見たか見ないかで騒いでいるが、韓国との関係は一部の人の関心事でいいのだろうか。日本の平和を喜ぶべきか、複雑な思いがある。コロナ禍で世界は大変な時代だが、小さな島の大切な歴史の真実を伝えていきたいと願っている。

 以下、軍艦島の写真をお楽しみください。

飛田遊廓の歴史と文化を今に伝える廃屋「満すみ」に関する記事もご覧ください。
飛田新地の廃屋「満すみ」が語る飛田遊廓の記憶https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63661)
飛田新地、築90年超の廃屋から出てきた“お宝”(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63878)

雀荘、スナック、映画館、島にあった娯楽施設

新鮮な食材が並んだ島の市場

在りし日の海底炭坑

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