今年も春の交通安全運動の10日間、都内各所では警察官や白バイの姿が見られた。パトカーが視界に入れば運転手は速度を落とし、誰もパトカーを追い抜こうとはしない。いわゆる“ネズミ捕り”と呼ばれる取り締まりを行っている場面にも出くわすことも多く、この期間中、暴力団員は特に安全運転を心掛けるという。

「あいつら、本当に悪い」と指定暴力団幹部は、席に腰を下ろした途端、苦々し気に話し始めた。車を停めた通りの時間制限駐車区間の先からわずかに離れた場所で、警察官が取り締まっているのを見つけたという。「スピード違反でパトカーに捕まるのは仕方がない。だが制服を着た警官や白バイ隊員が違反を抑止できるのにそれをせず、隠れて捕まえるというのはダメだ」と幹部は力説した。

「15分間の攻防だった」

 幹部は以前、都内某所の交差点の先で取り締まっていた制服姿の警察官に、右折禁止で捕まったという。「だがね、『あなたたち警官は、犯罪を未然に防ぐのが仕事ではないか』と説得してキップを切られなかった」と鼻を高くした。警察からすれば、言いくるめられて、キップを切れなかったという方が正しい。

『ここから標識見える?』と標識を指差し確認させたら『いえ、見えません』

 現場となった交差点は、しばらく前まで右折可能だったという。右折した先に横断歩道があったため安全を考慮して禁止となったらしい。「標識は停止線手前からでは見難い位置にあったので、マジで気がつかなかった」という幹部は、交差点手前の停止線で一時停止し、ウィンカーを出した。友人の車が後に続いた。交差点に進入すると警察官の姿が向こうに見えた。

「警官は持っていた旗を肩のあたりで振っていた。前に通った時は右折できたから、そのまま行けということだと思って右折したら、警官が飛び出てきた。てっき飲酒運転の取り締まりかと思った。わざわざ目の前で捕まるようなことはしない」

 車を道路脇に停めて窓を開けると「右折禁止です」と、いかにも交番のお巡りさんといった雰囲気の若手警察官が覗きこんできた。バックミラー越しに、後続していた友人の車に先輩とおぼしき警察官が向う姿が見えた。息を大きくついて、幹部は車を降りたという。

「右折禁止と言われても納得できない。標識を見に行こうと歩き出すと、警察官は『確認ですね』と応じた」

 言い訳するより、警察官が現認した違反には客観的理由があると認識させようとしたのだ。

「停止線の所まで警官を連れて行き、『ここから標識見える?』と標識を指差し確認させたら『いえ、見えません』。停止線の位置から標識は見えなかったんだ。『見えないでしょう。でも、ここは停止線だよね。俺は運転席にいるから、さらにもう少し下がった位置から見ることになる』と数歩後ずさり立ち止まった。警官も後ろに下がったので『見えないよね』と念を押したら、警官は『はい』と素直に頷いた」

「右折はダメだと旗を振ってサインするのがあなたたちの仕事だろう」

 幹部はここで警察官の心を揺さぶりにかかった。

「これは制服を着ているあなたたちの怠慢ではないのか」

 その言葉に警察官がたじろいだのを幹部は見逃さなかった。歩き出して停止線を越え、警察官の方を振り返ったと話す。

「少し歩いたこの位置からでないと標識は見えないのに、交差点に進入する前にどうやって標識を目視するんだ? あなたたちは敢えてあそこの位置に立っていて、待ち伏せして捕まえる。大小度合いの違いはあるけれど、犯罪を未然に防ぎましょうというのが警察の大義名分ではないのか」

 一見してヤクザとわかるだろう幹部に正論と聞こえる言葉を吐かれ、警察官はグッと息を呑みこんだという。

「『それはそうですね』と答えたから、すかさず畳みかけた。『だったら前まで出てきて、右折はダメだと旗を振ってサインするのがあなたたちの仕事だろう。それを隠れて違反する人をわざと捕まえるというのは制服を着ている警官としておかしくないのか。汚いだろう』」

 同じような違反で捕まったことがあれば、こう言いたくなる気持ちはわかる。若手警察官は「まあそうですね」と答えてしまう。

「対応する警察官は1人に限る」

「どうしたのですか」とそこに、先輩らしき警察官が近寄ってきた。幹部の友人の違反を処理し終えたのだ。その警察官に向って幹部は、「お前は見てないだろう。今までの対応を聞いてないだろう」。「いえ、現認はしています。右折しましたよね」。

「また一からあなたに話すと余計イライラする。この人と話していて、納得しようとしている思いがなくなってしまうから、消えてくれないか」と幹部。このようなやり取りが何回か続いたが、先輩警察官は問題なしと判断したのだろう。「わかりました。何かあったら言って下さい」と言って、取り締まりに戻っていったという。

「対応する警察官は1人に限る。他にやり取りを聞いている者がいなければ、後で何があっても“言った言わない”の議論で終わらせることができる」

 先輩警察官がその場を離れた後、「『どっちみち今はサインしない。あなたはどこの署?』と聞くと、『○○署の××交番の者です』と言うから『頭冷やしてから、あなたのところに行く。その時にお互いに納得したら、俺はサインする』と言い張った。警官は『わかりました』と渋々みたいな返事をした。まずいなと思いつつ、俺の言うことも的を射ていたから、取り締まらなければという気持ちが折れかかっていたんだ。

 一旦はそう答えた警官が、『ちょっと上司に相談します』と先輩の方へ歩き出しだ。だが途中で引き返してきて『やはり違反は違反です』と違反キップを取り出そうとした。俺はすかさず『なんだお前、心変わりか』と言ってやった」

「切符を切られないよう無理強いする行為は強要罪を構成する」

 ここから“あなた”という呼び方が”お前”に代わり、幹部は自分が被害者のごとく化していく。立場を逆転させ、自分に有利に話を進めるためだ。

「いいか、お前が違反させるようなことをしているんだ。ウィンカーを出した時点で、お前のところから俺が見えたはずだ。お前があの場所で違反はダメだと旗を振れば、俺は違反しなかった。お前は違反者を減らせたのにそうしなかった。なぜだ? 違反を未然に防ぐのがお前の仕事だろう。それともキップを切るのが仕事か? 本当の仕事はどっちだ」

 まくし立てられた警察官が黙り込むと、幹部は声音を和らげたらしい。

「今回ぐらいはいいじゃない。お互い悪いところがあるんだから、後で交番に行く」

 そう言って警察官から名刺を受け取り、自分の運転免許証を控えさせた。名刺を渡し、その場で携帯にも電話をかけさせる。着メロが鳴り「間違いないだろう」と電話番号を確認させると、さっさと車に乗ってその場を離れたのだ。

「後にいた友人は違反キップを切られた。あの種の違反は目の前でキップを切らないとな」

 この違反について警視庁の刑事に説明してもらうと「右折禁止の場所を右折するのは“指定方向外進行禁止違反”であり、故意、過失を問わず違反が成立しているので違反切符を作成しなければならない。これを怠ると犯人隠避罪になる。相手が警察官を脅迫して職務妨害すれば公務執行妨害罪だ。警察官に切符を切られないよう無理強いする行為は強要罪を構成する」という。

「“言った言わない”になるだけで証拠もない」

 その後、幹部の携帯に警察官から緊張した声で電話がかかってきた。

「『後で来ていただけると言いましたが結構です。出頭命令の電話をさせていただきます』と言うから、『出頭命令、なんだそれ? そんなのあるのか』。受話器の向こうで上司がガーガー喚いていて、『ああそうか。お前、1人の考えだと何もできないってことか』と聞くと、そいつは声を低くして『そういうことです』。俺は『なら電話まってま~す』と電話を切った。

 たぶん上司に滅茶苦茶怒られたんだろう。俺を帰してしまったからな。だが電話なんてかけてこない。かけてきたら『お前、あの時に今回はいいけど、次回は気を付けて下さいと言っただろう』と俺に言われるだけだ。話したのは2人だけ。他に聞いていた者はいない。“言った言わない”になるだけで証拠もない。強要もしていない。切られたキップがなければ、今からキップは切れない。電話をかけてきたら、手の平を返すだけだ」

 と幹部は鼻で笑った。

同じ手口で違反キップ逃れ

 実際は「後で呼び出して交付しても構わない」と刑事は説明する。

「ただ、“言った言わない”の水掛け論は避けなければならない。そのために余計なことは言わず淡々と処理するのが警察官には大事だ。説諭処分をする時は長々と説教してもいいが、違反を取る時は自信を持って取り締まりの正当性を主張し、黙々と毅然たる態度で処理することだ。

 逃げ得を許さないように、取り締まる警察官は自信を持って正当性を主張し、毅然たる態度で処理することが必要」

 と刑事は強調する。話を聞くと、幹部が違反キップを切られなかったのはこの時だけではなかった。

 交差点先の物陰で取り締まっていた白バイに、これも指定方向外進行禁止違反で捕まった時も「お前が前に出ていて、ダメだと合図すればそれで済むことだ。白バイに乗って制服を着ていれば、それだけで抑止力になるのに、なぜわざわざ隠れるのか。姿を見ても違反するヤツはあんたを無視しているのだから、そういうヤツを捕まえろ」と言い張って見逃されたと話す。

ヤクザはなるべく違反しないよう気をつけている」

「犯罪を未然に防ぐのが警察の本当の仕事だろうと言われれば、彼らは言い返せない。みんな心の底ではそう思っているからね。ヤクザはなるべく違反しないよう気をつけている。俺たちが法律や条例、警察に詳しいのは、捕まらないためだ」

 幹部は高級腕時計をちらりと見た。話を聞き始めてもうすぐ1時間。道路のパーキングメーターも駐車時間は60分以内だ。1分でも超過すれば、見回りしている2人組の駐車監視員に駐車禁止のキップを切られる可能性がある。幹部は立ち上がり、車のキーをセカンドバッグから取り出した。

「車、動かしてくる」

 ヤクザが違反しないよう気をつけているというのは本当らしい。

(嶋岡 照)

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