サムスン、SK、LG…韓国には、こうした企業に優秀な人材を送り出している「虎の穴」ともいえるスーパー工科大学がある。
その一つである私立の浦項(ポハン)工科大(ポステック)で、「国立大学転換構想」が浮上し、韓国の産学で話題になっている。
熾烈な大学入試競争が人気テレビドラマにもなっている韓国。有名大学といえば、「SKY(スカイ)」と呼ばれるソウル大、延世(ヨンセ)大、高麗(コリョ)大が有名だが、理工系の受験生の間ではSKYよりさらに難関の大学がある。
SKYより難関のポステック、カイスト
国立の韓国科学技術院(カイスト=Korea Advanced Institute of Science and Technology)と私立のポステック(Pohang University of Science and Technology)だ。
全国から優秀な高校生を集め、恵まれた環境で猛烈教育を施す。
そのうちポステックで2021年に入って、国立大学への転換構想が浮上した。
ポステック関係者によると、2021年の予算などを審議するポステック財団理事会で、「国立大学転換」についての議論があったという。
大学側は「公式検討に入ったわけではないし、中長期的な意見交換という水準にすぎない」と説明する。
それでも、ポステックの設立経緯と知る大学教授は「ポスコがついているから大丈夫だと誰もが考えていただけに、こういう話が出ることだけでも驚きだ」と話す。
韓国では、来春、文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)大統領の選挙公約でもあった新設工科大学が誕生する。
韓国電力公社が設立する韓国エネルギー工科大学(韓電工大)だ。
ほかにも3つの国立工科大学があり、「韓国では急速に少子化が進む中で、ポステックも設立35年を迎えて転換期を迎えた」(韓国紙デスク)という声もある。
将来のノーベル賞受賞者の像
韓国南東部にある産業都市、浦項市。
KTX(高速鉄道)の浦項駅から車で20分ほどの小高い丘にポステックがある。
緑が多い広大なキャンパスに人の数は少ない。大学、大学院を合わせても3500人規模の「少数精鋭」工科大だ。
キャンパス中心部の図書館前には、ニュートン、アインシュタインなど世界的な科学者の銅像がある。その横に2つ、空いたままの台がある。
「未来の韓国科学者」とある。ポステックからノーベル賞受賞者が出た場合に備えたスペースだ。
「韓国の産業界、経済に貢献する世界的な人材を育成する」
ポステックはこんな目的で1986年に設立し、翌年春に開校した。当時、国営鉄鋼メーカーだった浦項総合製鉄(今のポスコ)がすべての資金を拠出した。
ポスコを世界的な鉄鋼メーカーに成長させ、長年ポスコ会長を務めた朴泰俊(パク・テジュン)氏が、強いリーダーシップを発揮して設立した。
そこには「鉄は国家なり」という考え方が根底にあったのだろうか。
韓国にはすでに1971年設立のカイストがあった。
国立のカイスト、私立のポステック
朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)が、科学技術分野の人材育成のために設立した。1960年代末、まだ高度経済成長が始まったばかりの韓国政府は、米スタンフォード大で産学連携を進めたフレデリック・ターマン博士に大学の青写真を依頼した。
一方の、ポスコは、小規模の教育機関を志向し、米カリフォルニア工科大(カルテック)をベンチマークにして学校を設立した。
以来35年間、民営化したポスコから株式などの現物供与を受けた財団が運営している。
いまもポステックの理事長は、ポスコの会長が兼務している。大学院に鉄鋼エネルギーコースがあるが、ここの卒業生以外でポスコに入社する例は「きわめて少ない」という。
韓国では、ポステックとカイストは、理工系大学の双璧だ。
ポステックの驚くべき実態
大企業の研究所で勤務する30代前半のポステック出身者の驚くような説明を紹介する。
「ポステックとカイストは、全国から優秀な理工系志望の高校生を飛び級で、高2終了時点で入学させる例が多い。私も、高校に2年間通ってポステックに進んだ」
「300人入学したが、飛び級組がほとんどだった。ソウル大には飛び級入学はできなかった」
「だからソウル大は、優秀な高校生が2つの学校に行ったあとに翌年に行くか考える学校という位置づけだった。延世大、高麗大に行くことは、考えたこともなかった」
「入学金や授業料はすべて奨学金が出た。学校の奨学金、政府の支援金などがあり、生活費ももらった」
「私は6年間ポステックで勉強したが、学費や寮費のほか、生活費も支援を受けた。勉強はたしかにきつかった。全国から飛び級するような学生が集まっていたから、とにかくレベルが高く、大変だった」
「ポスコが支援してくれているからお金がある学校だということはもちろんみんな知っていた。ありがとう、とは思っていたが、私の周辺でポスコに就職した卒業生はいない(笑)。サムスン、SK、LGなどの研究所に勤務している友人が多い」
カイストもポステックも、韓国全国から優秀な理工系志望者を高2終了時点で「青田買い」して、入学金、学費、生活費を与え、徹底的に教育する。
卒業生の多くは、サムスン、SK、LGなどの研究所に進むという。まさに、韓国産業界の「虎の穴」だ。
猛烈な英才教育システム。勉強でもスポーツ分野でも、韓国特有ともいえる。大企業の研究所に次々と優秀な人材を送り出すには適しているのだろう。
一方で、この卒業生は「毎日毎日、課題ややるべきことが多く、追いかけられる。忙しいのだ。突出したアイデア、他人と違うことをやる独創性という面では弱いかもしれない。幼い頃から勉強一直線で、早々に燃え尽きる友人もいた」という。
ポスコの大株主ではあるが…
ポステックは理工系の「私立の雄」でもあった。各種、大学評価ランキングで、カイストと韓国の理工系教育機関のトップの座を争ってきた。
では、国立大転換構想が出てきたのはどうしてか?
当面の財務内容に問題があるわけではない。ポステック財団は、ポスコの株式の2%を握る大株主だ。関連会社の株式や債券も保有する。資産規模は1兆4000億ウォン(1円=11ウォン)ほどある。
金利低下で運用は楽ではないが、株式の配当は順調だ。
2020年から2021年にかけて、保有するポスコ関連会社、ポスコケミカルの株式が急騰したこともある。EV(電気自動車)向けバッテリーの市場規模が大きくなり、素材メーカーである同社が注目を浴びたのだ。
ポステック財団が保有するポスコケミカル株式の価値も50倍を超えて3000億ウォンに膨れ上がり、一部を売却して資産を拡充するなどの手も打っている。
財団は毎年600億ウォン程度を運営費として拠出している。また、外部からの研究費が年間2000億ウォン程度ある。
ポスコグループの成長に加え、委託研究費がある。ポステックは学生数が少なく支出は限られる。すぐに運営に支障が出るということはない。
それでも過去数年間は、徐々に財団の資産は減っていた。
AI、新素材、バイオ…ポステックが得意とする分野では世界の大学、研究機関の間での競争も激しくなっているうえ、研究が大型化、複雑化し、研究費の額もどんどん増えている。
いつまでも今の資産を運用するだけでまかなえるわけではない。ポスコ関係者は話す。
「カイストやソウル大、さらに延世大や高麗大も寄付集めに熱心だ。設備やスタッフに対する投資が大学の競争力に直結する」
「ポステックは、ポスコの学校だというイメージが強くて、他の大企業の寄付が少ない。豊富な資金があって学生数も少なく、設立当初から教授陣は研究に集中してください、という雰囲気が強い」
「これからの研究開発競争を考えれば、資産規模も研究費も何倍にも増やす必要がある。ポスコがいるから大丈夫、で持続可能なはずがない」
気になる韓電工大設立
もう一つ、将来をにらんで気になることがある。
2022年春に、全羅南道羅州(ナジュ)に韓国エネルギー工科大学が開校することだ。通称は、韓電工大。韓国電力公社(KEPCO)が設立する工科大学だ。
韓電工大の設立は、文在寅大統領の選挙公約でもあった。首都圏への一極集中の緩和と、エネルギー分野の人材育成を目指した教育機関だ。
羅州のゴルフ場跡地にキャンパス建設工事が進んでいる。初年度に学部生を100人募集し、毎年100人ずつ400人まで増やす。同時に大学院も開校する。
2031年までに、設立と運営に1兆6000億ウォンの費用がかかる。全羅南道と羅州市も合わせて年間100億ウォンを負担するが、ほとんどの費用は韓国電力が拠出する。
ポステック、カイストに続く本格的な工科大の新設だ。特にポステックを意識した教育機関になることは間違いない。
韓国電力は、100兆ウォン以上の累積赤字を抱えている。
巨額の費用が掛かる科学技術系教育機関を設立することで「将来、電力料金引き上げの理由になることはないかという懸念の声もある」(韓国紙デスク)が、政府与党は関連法案を通して設立が決まった。
開校は2022年3月。まさに次期大統領選挙の時期だ。
政治の事情はともかく、ポステックから見れば、教育機関の競争力に直結する優秀な学生の争奪戦になるのが気になるはずだ。
研究内容が競合すれば、研究費獲得にも苦労するかもしれない。
韓国には、すでに国立の工科大がほかにもある。
ポステック、カイスト以外に、韓国には、ソウル以外の地方都市に光州(クゥァンジュ)科学技術院、蔚山(ウルサン)科学技術大学院、大邱慶北(テグキョンボク)科学技術院がある。
学部生の入学数は、カイストが700人強、ポステクが300人強、ほかの3校が200~400人だ。ここにさらに韓電工大が400人まで入学者数を増やす。
韓国では、比較的就職に有利な理工系を志向する高校生が増えた。それでも急速に少子化が進み、大学経営が難しくなるなかで、国立の工科大が安泰なのか?
研究水準を高めれば、小さな世界での競争など気にする必要もないかもしれない。
ポステックの総長は最近、韓国メディアとのインタビューで、バイオ分野の研究に特化した医学部新設に意欲を示した。
バイオ分野はポステック設立以来の重点分野だ。
こうした有望分野をさらに伸ばそうとすれば、巨額の資金がかかる。そのためにはポステックを国立化するべきか?
いや、国立工科大になれば自由闊達な校風がなくなる。モデルはカルテックのような私立工科大だ。
「ポステックはポスコ付属の教育機関のような存在でスタートしたが、いずれはポスコを超えるような存在になりたい」
1986年の設立当時の総長はこう抱負を話した。
あれから35年、ポステックは産学連携に大きな実績を残し、成功した教育機関という評価には間違いがない。
さらに一歩進めて独創性にあふれた大学にするにはどうすればよいのか。国立化論議は、経営形態だけの問題ではなく、ポステックの存在意義そのものを考え直す難題でもある。
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