今年の憲法記念日は、例年になく改憲論議が低調だったように感じた。

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 他方、新聞の世論調査では、新聞各社によって数字はマチマチであるが、共通して改憲勢力の方が護憲勢力より上回っていた。

 尖閣諸島では、中国公船によって毎日のように我が主権が侵され、台湾海峡では緊張が高まり、国民は中国の脅威を肌で感じとっている。

 国内では、新型コロナウイルスの猖獗により、今ほど緊急事態条項の不備を実感する時はない。にもかかわらず、憲法論議が盛り上がらない。

 東京など主要都市で緊急事態宣言が発出中であり、集会やシンポジウム、野外行進などが制限されたせいもあるだろう。

 何より改憲反対政党のサボタージュにより、国会の憲法審査会が機能してこなかったことが大きい。

 改憲と言えば、やはり「9条」を避けて通るわけにはいかない。

 現在、世論調査によると、日本で最も国民に信頼される組織は自衛隊である。国民の92%が自衛隊の存在を認めている。

 先日、政府はワクチン接種のための自衛隊出動を決めた。災害派遣から豚コレラ処理に至るまで、「困った時の自衛隊頼り」は顕著になり、まるで「便利屋」扱いである。

 もう9割以上の国民が自衛隊を認めているのだから、9条改正は不要という声もある。だが、今なお憲法学者の62%が自衛隊の存在を違憲と主張しているのも事実である。

 学者や政党の間では合憲か違憲かという神学論争が今なお続いている。

 自衛隊に対する国民の好感度いかんにかかわらず、自衛隊の存在は、政治的には解決、法的には未解決状態なのだ。

 自衛隊は日本の安全保障の「最後の砦」である。

 有事が現実化するかもしれない昨今の情勢にあって、いまだに宙ぶらりんの状態に自衛隊を放置し、いざ有事になったら命をかけて働けと言うのは身勝手過ぎる。

 自民党はこういう状況を受け、現行の9条はそのままにして、新たに自衛隊の存在を明記しようとしている。

 改憲のハードルの高さと現在の政治情勢を考えると、やむを得ない選択かと筆者も思う。だが、それはあくまで次善の策であり、本来の姿ではないことを国民は知るべきだ。

 改めて憲法9条を振り返ってみよう。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項の「戦争放棄」は、「パリ不戦条約」(1928年)の焼き直し、つまり侵略戦争の否定であり問題はない。

 だが第2項の「戦力」「交戦権」否定はやはり無理がある。この第二項がこれまで日本の安全保障政策を歪めてきたことは否めない。

 現行憲法は進駐軍の占領下にあって、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーが約20人のスタッフをかき集め、約10日間で作らせた速成物であることは公知の事実である。

 マッカーサーはこの時、真に非武装日本を造ろうとしていた。

 9条は当初、「戦力、交戦権」を放棄し、自衛権発動の戦争さえ否定していた。1946年の国会で吉田茂首相は次のように答弁している。

「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませんが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります

 これに対し、日本共産党の野坂参三代議士は「侵略戦争は正しくないが、自国を守るための戦争は正しい。憲法草案のように戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争の放棄とすべきではないか」と食い下がった。   

 吉田首相はこれに対し「近年の戦争の多くは国家防衛権の名においておこなわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。(中略)正当防衛を認むることそれ自身が有害であると思うのであります」と述べた。

 今の自民党日本共産党の主張とは真逆であるのが面白い。

 憲法制定後、朝鮮戦争が勃発し、冷戦激化の事態に直面し、政府は憲法解釈を180度変える。

「我が国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない」(政府統一解釈)

 この解釈変更は、パリ不戦条約や国連憲章とも齟齬しないから問題はない。だが第2項の「戦力」「交戦権」を否定したままであれば、どうしても矛盾が生じる。

 この矛盾を「まやかし」という苦肉の策で糊塗してきたことが日本の安全保障論議を未成熟なものにした。

「自衛のための必要最小限の実力」は「戦力」ではないという「まやかし」である。

 政府答弁書にはこうある。

「憲法第9条第2項は『戦力』の保持を禁止しているが、このことは、自衛のための必要最小限の実力を保持することまで禁止する主旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する主旨のものである」

 この「まやかし」が生んだ最大の弊害は「専守防衛」という用語を製造したことだろう。

 そもそも「専守防衛」という言葉は軍事用語にはなく、政治用語にすぎない。従って英語に訳しても諸外国には理解してもらえない。

 政治用語であるがゆえに概念が曖昧で、人によって解釈が大きく振れる。

 いまだに「専ら守るだけ」「反撃しない」「攻撃兵器は保有しない」と平気で述べる政治家がいるから驚きだ。国の安全に責任を有する政治家がそういう軍事的非常識を得意げに述べるから罪は深い。

 専守防衛に対する政府の解釈は以下のとおりである。

「相手から攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」(防衛白書)

 これに似た専門用語に「戦略的守勢」という言葉があるが、似て非なるものがある。

 こちらから軍事力を行使することは基本的にはないが、相手の攻撃を抑止するに十分な合理性ある防衛力を備え、相手の攻撃には即座に反撃、阻止し、また相手の攻撃意図が明白な場合、先制的にこれを阻止することもあるというものである。

 現代戦は侵略か犯罪か不明、あるいは防衛事態か警察事態か明白でないグレーゾーンから始まるのが常態である。

「相手から攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使」する「専守防衛」では、現代戦には対応できない。

 また攻撃を受けてから初めて防衛力を行使するのでは、国民が被害を受けることを前提にしている。

 一発の核兵器で何百万人の被害が出る現代戦にあっては、極めて非人道的な政策であることを国民は知るべきだ。

 サイバー攻撃のような物理的破壊が伴わず、被害を受けたかどうか分からない攻撃には、対応不可能である。

「専守防衛」を受け、政府は「武力攻撃事態」の認定を厳密に行い、防衛出動を自衛隊に命ずることになっている。

 つまり「国または国に準じる者」による「組織的、継続的、計画的」な攻撃であるかどうかを議論し認定するわけだ。

 尖閣諸島に数百隻の漁船が来襲し、武装民兵が上陸した事態を想像すればいい。政府は、自衛隊の出動はおろか、攻撃事態の認定さえできず、右往左往するうちに機を失し、尖閣を奪取されるだろう。

「自衛のための必要最小限」の装備というのも、「まやかし」に近い。

 装備品は導入に4~5年かかり、その後30年近く使用する。従って、導入時には約35年先を予測して、実力を確保しておく必要がある。導入時には過剰な実力となるのは当然である。

 戦争を抑止するためには、軍事的合理性のある装備品を保有する必要がある。

 最新鋭の装備を導入しながら「自衛のための必要最小限の実力」を主張するのは「まやかし」以外の何物でもない。

「必要最小限」かどうかという不毛の議論ではなく、「軍事的合理性」があるかどうかを政治の世界で議論すべきだろう。

「交戦権」については、冷戦時も今も、全くと言っていいほど議論がない。これは逆に危ういことだと筆者は思っている。「交戦権」の政府解釈は以下のとおりである。

「交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものである」(防衛白書)

「交戦権」がなくても自衛権行使には問題ないことを政府は次のように説明する。

「わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念(であり問題ない)」

 諸外国は自衛権行使にあたっても交戦権、つまり戦時国際法で認められた権利を行使して戦う。

 だが、日本の場合、自衛権行使の際には、交戦権はなくとも、同等の権利が行使できるという。本当にそうだろうか。

 例えば、戦時国際法に認められる「交戦権」には以下のような権利がある。

①敵国の将兵への攻撃および殺傷
②防守地域・軍事目標への攻撃およびその破壊

③敵国領土への侵入およびその占領
④敵国との海底電線の遮断

⑤海上での敵船・敵貨の拿捕・没収
⑥敵地の封鎖、中立国の敵国への海上通商の遮断および処罰

⑦海上での中立国の敵国への人的・物的援助の遮断および処罰

 有事の際、作戦所要に応じて、これら「交戦権」に準ずる作戦を政府は果たして命ずることができるのだろうか。「専守防衛」との絡みで自縄自縛に陥るのではないか。

「必要最小限度の武力行使」という美名のもと、軍事的合理性を捨て去り、自衛隊を危殆に陥らせることはないのか。こういうことこそ平時に議論し、憲法に反映させていく姿勢が求められている。

 筆者は35年間、戦闘機パイロットとして国防の任に就いてきた。憲法9条2項に依って立つ「まやかし」と実戦との乖離について、常に脳裏から離れることはなかった。

 尖閣諸島や台湾海峡有事が取り沙汰される中、「まやかし」はもはや通じない。もやもや気分で自衛官を戦場に送り込んではならない。

 自衛隊を憲法に明記することは、最低限必要である。その上で、やはりすっきりした形で我が国を防衛できるよう憲法9条は改定すべきである。

 国権の最高機関である国会での真剣な議論が望まれる。

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