米国には、駐日米国大使館から日本に関する様々な情報がもたらされる。在日の米国メディア特派員だけの情報では、すべてを網羅できないからだ。駐米日本大使館の仕事も同じで、大使館員がスパイ扱いされる由縁である。

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 そして、この手の情報によれば、日本には、いよいよ憲法改正に向けた準備を始める雰囲気が漂い始めているらしい。今国会で成立する見込みの国民投票法改正案だ。

 今回の改正案は、憲法改正の際に必要な手続きを定めたもので、駅や商業施設に共通投票所を設けるなど、有権者の投票の機会を増やすことが柱。既に国政選挙や地方選挙で導入されている公職選挙法の規定に合わせる内容だ。この国民投票法改正案が5月6日の衆院憲法審査会で賛成多数で可決された。国民投票法の成立に向けて主たる与野党の合意ができたのである。

 護憲派の筆頭と思われた公明党だが、5月5日、石井幹事長が自民党の二階幹事長と会談し、国民投票法改正案について、立憲民主党が提示していた修正案を受け入れで合意したと報じられている。国民民主党と維新の会は賛成だろうから、これで同法が成立することは決まりだろう。

 国民投票法が成立することは喜ばしいことだが、一方で日本は今ある憲法を守っていないように感じる。それは憲法9条の話ではない。憲法前文のことだ。

 憲法の前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。重要なのは「その福利は国民がこれを享受する」というところにある。

 筆者が知る限り、憲法学者や憲法における自衛隊の扱いに新説を吹き込んでいる別種の学者は、このあたりの話にはほとんど触れていない。それゆえに、国会議員もないがしろにしている印象だ。憲法学者も国会議員も、日本国民の「福利」を考えていない気がしてならない。

 具体的に考えてみよう。

コロナ給付金が海外の日本人に支給されないのはなぜか

 憲法の前文に書かれている「その福利」という部分の「その」が指しているのは「国政」である。つまり、国政による福利は日本国民が享受するものなのである。

 また、国政の権威は国民に由来するため、「大物政治家」などと言って政治家が偉ぶることは間違いで、政治家は役人と同じく国民のための公僕である。公僕として権力を行使する存在が、国民の代表としての政治家なのだ。繰り返すが、政治家の責務は国民の意志を深く考えることにある。

 ここで言う日本国民とは、日本国籍を有する人のことであり、“人種”としての大和民族ではない。アングロサクソン人でも、ラテン人でも、アフリカ系の人であっても、日本国籍を持っていれば「その福利」を享受すべきだ。

 一方、日本国籍を持たない人はここで言う日本国民ではない。従って、外国籍を持つ人に日本における国政の福利を享受させるのは間違いではないが、日本国民の福利がそれによって減らされてはならない。

 問題は、在日朝鮮人と言われるような特別永住者と、日本の永住権を持つ人々である。恐らく、日本国憲法は彼らも国政の福利を得ることを認めていると考えていいだろう。しかし、それは日本国民以上の福利であってはならない。あくまで日本国民と同じレベルであるべきである。

 一方、滞在期間を限られた外国からの労働者はこの対象ではない。ここで問題なのは、彼らが国政の福利を得られないということではなく、彼らに自由意志に基づく長期滞在を認め、永住権および日本国籍を取得できる道を開いていない点だろう。この点は修正すべきだ。

 なお、数年前に、日本で癌治療などのためにやってくる中国人の話が話題となった。住民票を獲得して国民健康保険に加入することで、三割負担を実現しているという話である(参考記事)。これも、憲法違反となる可能性がある要注意事案ではないだろうか。

 与野党の国会議員に考えて欲しいのはこの点である。例えば、昨年、コロナ対応として一律10万円の給付金を全国民に配った。実は、この時は海外在住の日本人には配っていないが、一方で住民票のある外国籍の人には配っている。これが憲法前文に違反する行為ではないかと疑わなかったのだろうか。

 また、今回のコロナ禍において、政府は出産を控えた人や子供のいる家庭に対して支援をしているが、全国民に対する給付は実施していない。「本当に必要な人に配るべきだ」と国会議員は言っているようだが、だとすれば、いち早く「本当に必要な人」を定義すべきだ。それをしないのは国会の怠慢である。

 米国の場合、給付金の類いを誰に配るかは明確に法律が決めている。仮に海外に在住していても、米国人であればチェック小切手)は送られてくる。日本にマイナンバーがないから問題なのではなく、健康保険(国民、企業、厚生年金など)の住所にチェックを送ればいいだけだろう。これも国会が事前に決めなかったという意味において怠慢ではないだろうか。

 言い換えれば、現状の国会は「国民の福利」を享受させておらず、憲法違反の状態を続けている。真に日本国民のことを考えている国会議員は少ないということなのだろう。

 余談だが、スーパーや駅で買い物をした際のビニール袋も数円取られるようになった。大きさにより2~5円の幅のようだが、駅弁の場合は小さな袋でも5円である。消費税までかかっており、とても消費者のことを考えて作ったルールとは思えない。どのような議論が国会でなされたかわからないが、果たして、国政の福利になっているのだろうか。

 日本国民は憲法改正などと言う前に、憲法遵守に力点を置くべきだろう。

なぜ防衛大学校は大学ではないのか?

 防衛大学校生は、1991(平成3)年度から独立行政法人大学改革支援・学位授与機構による外部審査を経て、学士の学位を取得できるようになった。言い換えれば、それまでの卒業生は学士を手にできなかった。

 防衛大学校大学院も同じで、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構が実施する、論文の審査と試験に合格しなければ修士号を取得できなかった。博士号の取得も同様である。

 読者の皆さんはおかしいと思われないだろうか。1991年度から学位を取得できるようになったのはいいことだが、防衛大学校の審査や試験ではなく、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構によるもので、普通の大学とは異なるプロセスだ。

 同機構の学位授与についての説明を読むと、「改革支援・学位授与機構は、大学以外の機関で学位を授与することのできる唯一の機関です。短期大学高等専門学校の卒業者や専門学校の修了者等に対し、学士の学位を授与しています。また、機構認定の省庁大学校の修了者に対し、学士・修士・博士の学位を授与しています」とある。防衛大学校は日本の大学とは異なり、どちらかと言えば短期大学高等専門学校専門学校と同じ扱いなのだ。

 端的に言えば、高校時代に同じような高い偏差値を持った高校生が二人いたとして、東大に行けば東大から学士を授与されるが、防衛大学校に行くと改革支援・学位授与機構から学位を授与されるという差別がある。先進主要国で、このような区別をしている国は他にない。

 では、自衛隊員の生活は同じなのだろうか。ここでは紙面の関係から触れないが、彼らの生活は米国軍人のそれとはかなり異なる。

 結局、日本がすべきことは、まず憲法9条を云々する前に、憲法前文に反するような現状を変えることだ。そもそも「防衛大学」ではなく、「防衛大学校」という名称もおかしな話である。なぜ文科省高等教育局管轄の大学にできないのだろうか、説明を聞きたいところである。

中国の人権侵害に関する決議案は日本のためになる?

 国民投票法についての話に戻ろう。この法律が過去8回の国会でスルーされたということで、国会議員の怠慢を批判する人がいる。憲法改正自体が「日本国民の福利」に関係することばかりなので、議論ぐらいはすべきだっただろう。

 一方、護憲派が何が何でも憲法9条は守るというのであれば、それは彼らとしての「日本国民の福利」のための行動であり正当化される。従って、国民投票法の議論自体に反対したとしても憲法上はおかしなことではない。第二次大戦では数多くの兵隊と民間人が亡くなった。国会は、その歴史を総括していない。この点を明確にしない限り、この手の議論に進むべきではない。

 また、今回のコロナ禍における三度の緊急事態宣言と相次ぐ期間の延長を見て、政治家日本国民の福利を考えていると思う人はいないだろう。ところが、政治家は専門家の意見を聞いたと言って逃げている。国民の代表者である国会議員としての立場や給与(年収約4000万円)は維持したいが、国会議員というポストをかけたリスクテイクはしたくないのである。

 飲食店事業者がどれほど怒ってテレビで発言しても、国会では話題にもなっていないようだ。

 別の観点で国民の福利を論じると、中国やミャンマーで起きているジェノサイドに関して、全会一致の国会決議が出される流れになっている。

 だが、日本国憲法は中国国民やミャンマー国民の福利ではなく、日本国民の福利を謳っている。もちろん、憲法前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあり、この決議を正当化することは可能だが、だからと言って「日本国民の利得」に本件が優先するとは書いていない。

 憲法前文に書かれた順序から考えても、「日本国民の利得」は外国に対する国会議員全員による決議に優先するのだ。つまり、この決議によって日本企業、あるいは日本企業で働く日本国民が福利を得られなくなるのであれば、それを行ってはならない。少なくとも、中国ビジネスの減少など「日本国民の福利」を犠牲にする可能性があることを国会で議論すべきだろう。

 格好のいい正義かどうかではなく、また米国などに褒められるような行動かどうかではなく、これは法律論であり、同時に日本国民のために国会議員が働いているかどうかの議論である。

 国会議員は、憲法前文にある「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」を遵守すべきだ。国会議員に期待したいのは、法治国家の日本で正しく活動することである。

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