新世紀エヴァンゲリオン』の主人公である碇シンジの半分は、声優・緒方恵美の声で出来ている。そう書いても、異論の声はあまりないのではないかと思う。4月28日角川書店から刊行された緒方恵美の自伝『再生(仮)』では、碇シンジ役選考に関する驚くべき逸話が明かされている。緒方恵美は実は、碇シンジ役の第一回オーディションに参加していなかったのだ。

「あなたに演じてもらいたい」と訴えた庵野

 1994年の夏、人気アニメ美少女戦士セーラームーンS』の番組旅行に参加した緒方恵美は、宿のエレベーターの中で突然、演出家の庵野秀明に話しかけられる。

「今度新しく始まるテレビアニメの主役をあなたに演じてもらいたいと思っていたのだが、オーディション参加を断られたと聞いた。再度二次を受けてもらえないか。自分や、うちのスタッフがあなたに何か失礼なことをしたのだろうか」

 要約すればそうした内容で、言うまでもなくその新作こそ『新世紀エヴァンゲリオン』、「主役」とは碇シンジ役のことである。事務所からまったく話を聞いていなかった緒方恵美は驚く。どの作品に出演するかは当時、声優の所属事務所が決定することで、必ずしも声優が決めるわけではなかったからだ。

「自分は知らなかった、この役を受けたい」と相談した緒方恵美に対し、所属事務所は「監督が声優に直接交渉するのはルール違反だ、絶対に参加させない」と激怒したという。だが裏を返せばそれは、監督・庵野秀明碇シンジ役にそれほど緒方恵美を熱望していたということでもある。

 エヴァオーディションでは、当初綾波レイ役を受けた宮村優子アスカ役に決まるなど、声優の適性を見極め、柔軟で流動的にキャストが決定される中、シンジ役に限っては第一希望も第二希望も緒方恵美だったわけだ。最終的に緒方恵美事務所を押し切る形で碇シンジ役を受けることを決める。

空白ばかりの特殊な主人公碇シンジ

 碇シンジは日本アニメ史においてあまりにも特殊な主人公である。『エヴァ』を特別なものにしたのは、一にも二にも14歳主人公の鮮烈な人物造形だったと言っていい。だが1995年に放送されたTVシリーズを見返して驚くのは、碇シンジに対する過去の説明や情報が驚くほど少ないことである。

 通常、物語はまず主人公の背景や生い立ちを説明し感情移入させる、あるいは謎のヒーローとして圧倒的な能力を示し、観客を引きつける所から始まる。碇シンジはそのどちらでもないのだ。使徒という謎の存在と戦う組織に呼ばれ、ただ翻弄される14歳の少年。父親ゲンドウと対立はしているが、過去に父と何があったのかは明かされない。

 敵の正体が見えないのはある意味で作劇の常道だ。だがエヴァにおいては、主人公碇シンジの過去に何があり、父となぜ対立し、なぜエヴァに乗りたくないのかという説明が空白のまま物語が進む。脚本の常識として、これでは主人公が共感を得るのは難しいはずだ。

 しかし誰もが知るように、碇シンジというキャラクターはたちまち多くの視聴者をひきつけた。ほとんど過去の説明がなく、天才的能力を見せるわけでもない14歳の謎の少年に、「碇シンジは私だ、これは私の物語だ」と吸い込まれていく観客の数は1話ごとに膨れ上がった。

視聴者の心を掴んだのは、言葉ではなく声だったのでは

 実は初期テレビ放送で碇シンジの内面を鮮明に描写し視聴者の心を掴んだのは、彼の言葉ではなく声だったのではないだろうか。見逃し配信サービスなどない1995年当時、視聴者はたとえ途中の何話から見始めても、碇シンジを演じる緒方恵美の声を数秒聞くだけで、この少年が何者でどんな感情を抱えているか、その内面を直感的に感じることができた。

 アスカバイオリン、レイがビオラだとすればそれよりは低く、成人男性のコントラバスよりは高いチェロのような繊細な声。14歳の少年が児童から青年に変わる一瞬の変声期の独特なかすれ、弦楽器と弓の摩擦のようにきしむその声の響きは、幅広い年代の視聴者に息が詰まるような思春期の記憶を喚起させた。緒方恵美の演技は、碇シンジの内面を台詞で説明するのではなく、声の色彩で表現することができたのだ。

 庵野秀明はおそらく、碇シンジの内面に視聴者がそれぞれに違う自分の過去、内面を重ねられるよう意図的に空白を作り、その空洞を埋め反響するような緒方恵美の声を求めたのだろう。そしてその演出は的中した。

 アニメファンのみならず、多くのクリエイター評論家、学者たちまでもが物語に引き込まれていった。当時、批評家たちは様々な思想や哲学を引用して『エヴァ』の魅力を力説した。だが本当にあの物語をエンターテイメントとして支えていたものは、声優たちの生きた声だったと思う。

碇シンジの弱さと強さを演じ分けた緒方恵美

 『宇宙戦艦ヤマト』の放送開始を14歳の時に体験した最初の世代のクリエイターである庵野秀明は、日本のテレビアニメにおいて声優がどれほど特殊で決定的な存在であるかをよく知っていたのではないか。

 不安定な作画の中でキャラクターの自己同一性を支え、視聴者に対してキャラの人格として認識されるのが実は声優の声であること、ジブリディズニーはいざ知らず、時に紙芝居とも揶揄されるテレビアニメは文字通り紙に描かれた絵に命を吹き込む「芝居」、声優の演技が動かしていること、彼ら声優こそが日本アニメの見えざる立役者であることを少年時代からファンとして知っていたからこそ、庵野秀明碇シンジ役に緒方恵美を絶対に必要としたのだろう。

 その庵野秀明の熱望に、緒方恵美は十分すぎるほど答えた。碇シンジは、ただ可愛らしく甘美な美少年として演じればすむキャラクターではなかった。ある面では他人の気配にも揺らぐような繊細な枝と葉を持ちながら、一方で暴風雨にも動かないような幹と根を張った、思春期特有の頑なさがなくてはならなかった。引きこもったり登校拒否になるのにも、それなりに根性とガッツが必要なのである。

 緒方恵美チェロの音域を上から下まで使いきり、まるで宮沢賢治の童話『セロ弾きのゴーシュ』の主人公が、ある時は野ねずみの子の病気を癒す繊細さで、ある時は聴衆を叩きのめす激しさでチェロを弾くように、碇シンジの弱さと強さを演じ分けていく。

声優キャラクターイメージをあえて重ねた演出

 エヴァメインキャラの多くが、担当声優と同じ誕生日に設定されている。庵野秀明は脚本を書く中で、しばしば声優たちとキャラクターイメージを重ね、その生身のリアリティキャラクターに転写しているように見える。エヴァがそれに乗り込む14歳の魂とのシンクロを求めるように、庵野秀明は声優とキャラクターの共振を求めたのだ。

 よく知られるように、劇場映画『Air/まごころを、君に』のラストシーンに合わせ、宮村優子緒方恵美に首を締められるシミュレーションをした上で録音した。

 驚くべきことに、監督である庵野秀明から今後のストーリー展開やキャラクターの行動を相談されたという声優の証言は事欠かない。緒方恵美の、林原めぐみの、宮村優子の、三石琴乃の、山口由里子の人間としてのリアルな肉声をキャラクターに注ぎ込むこと、いわば本物の血で虚構の絵を描き上げるようにリアリティを求める演出手法は、異様な迫力を作品にもたらした。

 出生から現在までを振り返る緒方恵美の自伝『再生(仮)』の一つの軸となるのは、エヴァンゲリオンが放送されていた90年代半ば、第三次声優ブームの追憶である。『ボイスアニメージュ』『声優グランプリ』という現在も続く声優誌が当時相次いで発刊され、エヴァ人気はそれをさらに押し上げた。

エヴァ声優が得た人気、そして呪縛

 それはある面では、声優たちに商業的成功と人気をもたらす福音ではあった。宮村優子の出世作となったエヴァアスカ役は、新人の彼女を一躍人気声優に押し上げた。まだデビュー2年目の彼女は普段の声のトーンや話し方までもアスカに似ていたのだ。ファンは彼女とキャラクターを重ね、人気は沸騰した。

 だがそれは、同時にある種の呪縛としても重くのしかかった。テレビ放送終了後まもない1996年7月号の『アニメージュ』で、宮村優子は対談相手の庵野秀明の「アニメファンの依存、偽物の幸せに水をかけた」という趣旨の発言に対し、「作り手としてそれはするべきではない」という意味の反論をしている(当時すでにカリスマ的監督だった庵野秀明に対して、新人の身で平然とそう言ってのけるような所も彼女は実に「アスカ的」だったのだ)。

 だが一方で、宮村優子はそうした依存の危険性にも触れ、「ファンレターに自分の悩みを書いてくれるのはいい、でも『なぜ返事をくれないんだ』と言うのは違う」と困惑を吐露している。声優とキャラクター同一視、とりわけエヴァという作品でのシンクロは、声優たちにも大きな負担、呪いとしてのしかかっていた。

碇シンジが心の中心に居続けた、庵野監督の26年間

エヴァ』に呪縛され続けたのはファンだけではない。1995年から2021年までの26年間、庵野秀明は事実上『碇シンジの物語』に呪われ続けた。35歳から60歳、それは宮崎駿の監督人生で言えば『ルパン三世 カリオストロの城』から『千と千尋の神隠し』までがすっぽり入ってしまうほど長い時間だ。

 いくつかの他の作品を作り、実写特撮映画『シン・ゴジラ』をヒットさせたとはいえ、この四半世紀アニメ監督としての彼の中心から碇シンジが消えることはなかったのではないか。『ライ麦畑でつかまえて』の主人公を生み出し、アメリカに旋風を起こした小説家サリンジャーが終生それに呪われたように、それは庵野秀明自身が開けた自分の中のパンドラの箱だった。

 今年公開された完結編、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で庵野秀明はその物語を見事に閉じた、と多くの肯定的な批評が書かれた。僕もその評価に異論はない。だがあの長い呪いの物語を閉じたのは、巧みな脚本や演出ではなかったと思う。

 庵野秀明は『シン・エヴァ』の中で、かつて旧作で絶賛された彼独特のスタイリッシュな演出手法の大半を捨てている。第三村からラストの父親との対決に至る映画の中心には、90年代ファンを熱狂させ多くの考察を生んだ衒学的な学術用語もケレンに満ちた演出もない。精神分析や哲学書の引用をいくら重ねても14歳の少年の問いに答えることはできないというように、庵野秀明はただ災害の下で懸命に生きる人々を描いていく。

完結編を満たし、支えたのは声優たちの声

 ある意味では凡庸で泥臭いその完結編を支えたのは、25年前に庵野秀明自身が集めた声優たちの肉声だったと思う。心を閉じ、食事さえ吐き戻して拒否する碇シンジがなぜ再び立ち上がるのか、理屈や思想で観客に説明する名場面名台詞が映画にあるわけではないのだ。

 完結編を満たしているのは、かつてこの物語を語り始め、人々を惹きつけた緒方恵美たちの声である。暗黒の夜空の東が青く光り始め、やがて血のように赤い朝焼けの後に昼の青空の光が訪れるように、碇シンジの心の変化を表現していくのは、緒方恵美が演じる繊細な声の変化だった。

 いつかこの瞬間、碇シンジの『幼年期の終わり』を演じる時のために、緒方恵美は一方で肉体の時間を止めるように14歳の声を維持し、もう一方でその変化を演じる力を25年かけて用意してきたのではないかと思えた。

 それは他のキャラクターたちと、それを演じる声優においても同じだ。アスカ役の宮村優子はバセドー氏病と橋本病という2つの大病を経験し、一時は『名探偵コナン』の和葉役の降板を申し出るほど舌が回らなくなった。ケンスケ役の岩永哲哉も、ヒカリ役の岩男潤子も声優活動を一時休止するほどの病気を経験している。

 エヴァの声優たちの中に、この25年間を鼻歌を歌うように気楽に生きてこられた者はいない。緒方恵美の自伝で語られる、秋葉原の実家がバブルとその破綻で借金の返済に終われる様はまるで日本経済の縮図だ。

 年齢を重ね、傷や病を抱える彼ら声優がある時は時を止め、ある時は人生の時間を進めるように碇シンジや周囲の人物に声を吹き込む時、描かれた絵にすぎないはずの映画には生の感触、人間の匂いが満ちていた。そして『エヴァ』という物語の本質はたぶん、最初からそこにあったのだと思う。

 四半世紀前、『もののけ姫』と『エヴァ』が同時に公開された時、『生きろ。』と『だから、みんな死んでしまえばいいのに…』という2作のコピー批評家たちによく対比された。to be or not to be、生きるべきか死すべきか。生きろなどという啓蒙的な宮崎アニメメッセージに比べ、庵野映画に漂うタナトスがいかに文学的であるかを批評家たちは論じたものだ。

 だがシン・エヴァにはもう、死への欲動も生への啓蒙もない。そこにあるものはbe,「ただ生きている」自分たちの現実と、傷つきながら26年後を生きる声優たちの肉声だった。

「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン

 生きた人間の声が紙の絵に命を吹き込んで始まった恐るべき物語は、人間の声でしか終わらせることができない。

 庵野秀明はこの完結編で、止まった14歳の時間を動かす最後の説得力を声優たちの肉声に委ねているように見える。人々の声の中で碇シンジが変化し、クライマックスでついに口にする「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」という緒方恵美の声でこの物語が終わらなければ、もしも観客がその声に納得せず、パンドラの箱の蓋が閉じなければ、その責任は監督である庵野秀明がすべて引き受ける、今回の完結編はそういう構成に思えた。

 それはかつて宮村優子が悩んだ、「なぜ自分には返事をくれないのか」と依存するファンに対する、25年をかけて書いた返事の手紙になりえていたと思う。生きるべきか死すべきかという観客の問いへの答えは、作り手たちが生き続けることで答えるしかないのだ。たとえそれがやり直しのきかない、一度きりの痛みに満ちた生であろうとも。

 緒方恵美は自伝『再生』の中で、難病による家族の死に加え、プライベートなアイデンティティを含む自分の生について書いている。だがそれはこの無粋な場所に書き写すより、それが書かれたページの上で、書かれたままに静かに読まれるべき言葉だ。

 あなたはそれを読む時、なぜ天王はるか碇シンジという、従来の男女の枠から外れた新しい少年少女像を緒方恵美があれほど魅力的に演じられたのかを知る、あるいは自分がすでに知っていたことに気がつくだろう。本当のことは歌の中にある、と名曲の歌詞が歌うように、優れた俳優は作品の中ですでに自分について多くの告白を残しているのだ。

子どもたちを抱き止める側の世代

 古傷の再発に杖をつきながら、緊急事態の中、舞台表現のために声を上げ、次の世代のために声優教育の私塾で教え続ける緒方恵美の姿は、ジブリを継承するように第三村の生活を描く庵野秀明の姿にも重なる。『生きろ』と説教をしてくれた旧世代がいなくなるなら、かつて新世代だった緒方恵美庵野秀明がその代わりをしなければならない。彼らはもうライ麦畑を駆け抜ける14歳ではなく、次の世代の14歳たちが断崖から落ちる寸前に抱き止める側になったのだ。

 たぶん、声優たちはこの物語を閉じることに成功したのだろう。そしてこの14歳についての物語は、もう制御不能なパンドラの箱ではなく、人間的な結末を持つ物語として映画史に静かに置かれるのだろう。それは未来の世代にとっての福音であるはずだ。50年後も100年後も、生まれてきたチルドレンはやがて14歳になり、そしていつかは必ず14歳でなくなるのだから。

2021/05/10 01:15…読者からの指摘により、以下内容を修正いたしました。
3P目「宮村優子緒方恵美に首を絞められる姿勢で声を録音した。」→「宮村優子緒方恵美に首を締められるシミュレーションをした上で録音した。」

(CDB)

新型コロナウイルス感染拡大などによる複数回の公開延期を乗り越えて迎えた初日・3月8日の映画館(写真は新宿) ©共同通信社