(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)

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 長い間、凍結されていた夫婦別姓をめぐる議論が、ようやく動き始めた。4月に自民党の「氏制度のあり方に関するワーキングチーム」が設置され、賛成派と反対派の国会議員が議員連盟を結成した。

 これは男女平等とかジェンダーの問題として議論されることが多いが、現在の制度でも女性が不平等に扱われているわけではない。民法の規定を整理する中で、夫婦同姓を義務づける必要はないので廃止する改正案が1996年に法制審議会で答申されたまま、25年も放置されてきただけだ。その背景には戸籍制度についての誤解がある。

25年ぶりに始まった夫婦別姓の議論

 民法750条は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と定めている。この「氏」は夫に合わせても妻に合わせてもいいので、法的には男女平等だが、別姓(正確には別氏)は認めていない。

 これが働く女性には不便なので、別姓も認めるように民法を改正することで法制審は一致し、改正案がまとまった。ところがこれに神社本庁や遺族会などの右派が反発し、改正案が閣議決定に至らない異例の結果になった。

 その後、自民党は2010年の参院選の公約で「夫婦別姓反対」を打ち出し、安倍政権でもこの問題は封印されてきた。しかし菅義偉政権になってから状況が変わり、政府の第5次男女共同参画基本計画で「選択的夫婦別氏制度の導入について、政府においても必要な対応を進める」という表現が盛り込まれた。

 この表現は民法改正も含むと解釈されたが、これに反発した議員が修正を求め、「司法の判断も踏まえ、更なる検討を進める」という表現になり、「選択的夫婦別氏」という言葉が消えてしまった。

 これに対して野田聖子氏や小渕優子氏などの別姓賛成派が「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」を結成する一方、高市早苗氏や山谷えり子氏などの反対派は「婚姻前の氏の通称使用拡大・周知を促進する議員連盟」を結成し、ワーキングチームで議論が始まった。

 これは大きな前進だが、その争点がずれている。反対派の「家族の絆を守る」とか「子供の姓が親と違うのはかわいそうだ」という理屈は成り立たない。日本以外のすべての国は別姓を認めているが、家族の絆がなくなったわけではない。そういう私生活の領域には国家権力が介入しないのが、近代国家の原則である。

自民党が夫婦別姓に反対する隠れた理由

 問題は、夫婦別姓にこれほど根強く反対する政治家がいるのはなぜかということだ。世論調査では、選択的夫婦別姓に賛成の意見が7割近いが、少数の右派が強硬に反対している。日本会議が2010年に出した「守ろう!家族の絆」というパンフレットには、次のように書かれている。

近代以降、日本の家族制度は、明治の家制度、そして敗戦後に定められた現行民法へと変遷をたどってきた。しかし日本の家庭・家族は、法律上の家族規定の変化にもかかわらず、家族の伝統的あり方を守り続けることによって、社会秩序の基礎を形成してきた。このことを象徴するのが、家族がその共同体の名称として共通のファミリーネームを称する同姓制度である。

 ここでは現行民法とは異なる「家族の伝統的あり方」を守ると書かれている。慎重に言葉を選んでいるが、民法の個人主義を否定して「明治の家制度」に戻したいという意図がうかがえる。

 これは同じ時期に自民党の出した憲法改正案で「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と定めているのと同じ狙いである。この改正案は、第13条の「全て国民は個人として尊重される」という規定の「個人」を「人」と変更したことでも論議を呼んだ。

 自民党のコア支持層には、個人主義の憲法や民法をきらい、家族中心の社会にしたいと思っている人がいる。それは高齢者に片寄り、今では数も多くないが、自民党の固い集票基盤なのだ。

夫婦同姓は「家族の伝統的あり方」ではない

 しかし夫婦同姓は「家族の伝統的あり方」ではない。北条政子源頼朝の妻)や日野富子足利義政の妻)の例でわかるように、日本の伝統は夫婦別姓なのだ。これは中国や韓国と同じ、東アジアに共通の原則である。

 中国では姓は宗族を表わす記号で、妻は夫と別の家系なので、結婚しても別姓のままで、死んでも夫と同じ墓には入らない。宗族は数万人からなる外婚制の父系親族集団で、地域とは無関係に同姓の人は同じ先祖をもつ家系とみなす。

 日本でも天皇家の「男系男子」の皇統は中国の宗族を輸入したものだが、日本のイエとは異質なので根づかなかった。天皇家を支配していたのは藤原家などの貴族で、天皇家の「万世一系」という建て前は、明治以降にできたものだ。

 これに対して日本のイエは、10世紀ごろできた直系家族(親子三代の同居する大家族)を中心とする武士の集団で、血縁にはこだわらない。長男がすべての土地を相続する長子相続だが、長男が無能な場合には婿養子を迎え、新たな農地を開拓すると「分家」して新たな苗字を名乗る。

 江戸時代にはイエは農民を土地に縛りつける制度になったが、苗字は武士の特権だったので、百姓には苗字がなかった。明治9年(1870)の太政官布告で夫婦別姓が定められたが、ほとんどの人には苗字がなかったので、地主などにつけてもらう人が多かった。

 1898年に民法を制定したとき夫婦同氏になり、古代からの伝統だった夫婦別姓は廃止された。イエが家として制度化され、長男が「戸主」として土地をすべて相続する制度ができた。これは戦後の民法改正で廃止されたが、夫婦同氏の規定は残った。法制審の答申は、それを今の民法と整合的な制度に変えるだけである。

日本人の脳内に残るイエ社会

 このように姓と氏と苗字は混乱しやすい。中国で生まれた姓(宗族の記号)と日本で生まれた苗字(イエの記号)は別だが、旧民法が姓を氏に置き換えて制度化したため、夫婦同姓を日本の伝統と勘違いする人が多い。

 旧民法の氏は、東アジアの伝統である姓とも、日本の伝統である苗字とも違う。日本会議も認めるように、それは西洋の核家族のファミリーネームであり、夫婦同姓はヨーロッパの伝統なのだ。

 しかし夫婦に同じファミリーネームを法的に義務づけている国はない。近代国家では個人は固有名詞で同定されるので、家族による分類は必要ないのだ。東アジアで生まれた戸籍という制度も、中国や韓国が廃止し、残っているのは日本と台湾だけだが、本人確認の手段としては時代遅れである。

 今でも不動産登記や相続などは戸籍謄本がないとできないが、マイナンバーでデジタル化すべきだ。個人を先祖代々の直系家族で同定する戸籍は、明治時代壬申戸籍のように部落差別などの原因になる弊害が大きい。

 明治以降はイエを土地に固定するルールはなくなったが、民法で長子相続を定めたので、長男は農村に残り、工業化が停滞する原因になった。戦後の民法改正と農地改革で家制度はなくなったが、イエの構造は人々の脳内に残っている。

 戦後は日本も核家族になったので、直系家族で個人を同定する戸籍制度は形骸化したが、企業にも「一家」で働く意識が強く、親会社と子会社の多重下請け構造で、市場を介さないで緻密なすり合わせを行う。

 それが日本の製造業の競争力の源泉だが、1990年代以降のグローバル化には、ローカルなイエの中で調整するシステムは適応できない。この点では多くの家族が地域を超えて大きな宗族でまとまる中国のほうが、グローバル化に対応しやすい。

 イエの意思決定は中間集団の中で行われ、それを超える権力が弱いので、細かいこともイエが全員一致しないと決まらない。夫婦別姓のような当たり前の法改正に25年もかかる自民党は、イエ社会の欠陥をよく示している。

 イエ社会を卒業し、個人が中間集団から自立することが日本の課題だが、それは容易ではない。選択的夫婦別姓が戸籍を見直すきっかけになり、1000年以上続いてきたイエ社会を脱却できるなら、夫婦別姓をめぐる議論も無駄ではない。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  婚外子差別も夫婦同姓も「日本の伝統」ではない

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