信号のない環状線交差点ラウンドアバウト」が全国に続々登場していますが、大都市ではなかなか広まりません。実は、かつて東京23区内にも同様の形状の「ロータリー交差点」がありましたが、姿を消したのはなぜでしょうか。

ラウンドアバウトではない かつてはいくつも都内にあった「ロータリー」

信号のない円形の交差点ラウンドアバウト」(環状交差点)が続々と登場しています。日本では2014(平成26)年にその通行ルールが定められて以降、全国的に整備が進みました。2020年3月末現在で100か所を越え、いまも新規整備事例が続いています。

2020年9月には、大都市で初めて、名古屋愛知県庁付近にラウンドアバウトが設けられましたが、東京23区内や大阪市内などにはありません。しかし実は、かつて東京23区内の幹線道路に、同様の構造を持った交差点がありました。

そのひとつが、東京都荒川区の宮地交差点です。主要都道である明治通りが東西に、尾竹橋通りが南北に、さらに都道や区道が交わり6叉路を形成しています。明治通りの本線は立体交差しているため交差点部は内回り外回り線が離れているうえ、より細かな街路も接続しているため、見方によっては8叉路ないし9叉路ともいえる、都内でも指折りの「多叉路」です。

かつては、これらの道路が交差点の「中央島」に向かって接続する、いわゆる「ロータリー」の構造となっており、航空写真で見ると、今よりスッキリとした感じを覚えます。地元の荒川区によると、この宮地のロータリーは東京屈指の規模として戦前につくられたものの、高度成長期に撤去され、信号で制御する交差点になったとのこと。その後、1970年代には明治通りへ陸橋が設けられ立体化されました。

地元では、ロータリーではなくなったいまでも、当時を知る人が宮地交差点を「宮地のロータリー」などと呼ぶこともあるようです。ここだけでなく、宮地から明治通りを東へ800mほど進んだサンパール荒川前(荒川警察署前)交差点も、かつてはロータリーでした。このように、ロータリー交差点は都内にいくつもあったのです。

消えたロータリー ラウンドアバウトになったロータリー 違いは?

宮地のロータリーが撤去されたのは、交通量の増加により、ロータリー構造が交通上のボトルネックとなったためです。のちに陸橋が整備されたことからも、いかに交通量が増えていったかが伺えます。

一方で、おもに地方を中心に、既存のロータリー交差点を現代的な意味の「ラウンドアバウト」に改良したケースもあります。

たとえば長野県飯田市街地の「吾妻町ロータリー」は、2014(平成26)年に国がラウンドアバウトの交通ルールを定める以前から、ラウンドアバウトに関する実証実験の場となったところです。もともとは1947(昭和22)年に飯田を襲った大火から復興する際に設置されました。

飯田市地域計画課によると、ロータリー交差点ラウンドアバウト化にあたり、中央島を取り囲む「環道」の完全な円形化や、放射道路が接続する箇所の交通流を整えるといった安全対策を行ったそうですが、最大の違いは「『環道が優先』という交通ルール」だそう。

「環道(ロータリー)へ左折で進入、環道内は一方通行、環道から左折で出る、といった点は現在と同じでしたが、以前は、手前で一時停止してから環道に進入していました」とのこと。通行ルールが明確化されたことで一時停止が不要になったといいます。

ただ、ラウンドアバウトは「1日1万台以上の交通量だと適さない」のだとか。吾妻町ロータリーは8000台程度であるため、ラウンドアバウトとして定められる以前から、渋滞などは起こっていなかったといいます。

ラウンドアバウトには、速度の抑制効果、信号待ちの解消、多叉路の円滑な制御、信号機がなく停電しても影響がないという災害への強さ、維持管理上の優位性など、多くのメリットが挙げられています。一方で、通常の交差点より大きな用地が必要で、前出のとおり交通量の多い場所では導入が難しいというデメリットもあるとのこと。

東京都内でも多摩地区では、ロータリー交差点ラウンドアバウトの交通ルールが適用されたり、住宅街ラウンドアバウトが新設されたりしています。しかし、ロータリー交差点をなくしていった経緯もある23区内、特に幹線道路上での導入は難しいのかもしれません。

名古屋市中区の官庁街に設置されたラウンドアバウト(画像:名古屋市)。