長いこと考古学の謎とされていたラオスのジャール平原の遺跡について、新たな洞察が明らかになってきた。
ジャール平原は、ラオス中部のシエンクワーン県、アンナン山脈の北端に位置するシエンクワーン平原のことだ。ここには2100個以上の巨石をくり抜いて作った謎めいた巨大な石壺が400箇所以上に点在している。
壺のサイズはさまざまで、長さが3メートル近くになるものもあり、誰がいったい何のために作ったものなのか、はっきりとしたことは分かっておらず、ずっと考古学者たちの想像力をかきたててきた。
ジャール平原にはこんな伝説が残されている。かつてこの地方には巨人の国「クンチュン」があり、近隣諸国との戦いに勝利するとこの石壺に貯蔵しておいた酒を戦士に振る舞っていたというものだ。
石壺は最近になっても次々に発見されており、今では、ここは埋葬地だった可能性が高いとされている。
これまでの発掘で、子どものものも含めた人骨が出土しているからだ。その為「死者の石壺」と呼ばれるようにもなった。
しかし、この遺跡での埋葬儀式は、3つのタイプがあったようで、複雑で少し変わっている。おもに行われていたのは、遺体をそのまま並べた埋葬、骨を集めてまとめ、石壺のそばに埋めた第二の埋葬、そして巨大な石壺とは別の小さな陶器の壺の中に遺骨をおさめた第三の埋葬だ。
メルボルン大学のルイーズ・シェワン博士の研究チームは、高性能年代測定技術を使って、この場所が当初考えられていたよりも遥かに長く、紀元前1240年から660年にさかのぼる頃から、すでに埋葬地として使われていたことを明らかにした。
巨大な石壺は埋葬地になる以前から存在している可能性
さらに、この発見からは、これら巨大な石壺は、ここが埋葬地になる以前からこの場所にすでにあった可能性があることがうかがえるという。シェワン博士らが年代を測定した石壺の中には、3000年以上前にさかのぼるものもあり、これら石壺が儀式的な意味合いをもってこの場所に置かれた後で、埋葬地として再利用されたことを示している。
この見解は、墓や、石壺のそばに埋められた数々の骨、小さな陶器の壺におさめられた骨の発見に基づいている。
現在の研究では、この埋葬はおよそ700年から1200年前の間に行われたものとされていて、巨大な石壺そのものの年代に比べれば、遥かに新しい時代のものだ。
こうした新しいデータと、ほかの埋葬事情から得た骨の材質や木炭の放射性炭素データから、この遺跡は最初に石壺が置かれた時代から有史時代まで、永続して儀式的な意義を保ってきたことがわかります(シェワン博士)
巨大な石壺をどうやって移動させたのか?
このたびの発見によって、これら石壺が作られたと思われる石切り場から、古代文明がどうやって完成品を移動させたのだろうか、という興味深い疑問がもうひとつ浮かび上がってきた。
現場から8キロほど離れた最寄りの石切り場から、未完成のものを含めて石壺が出現している証拠がある。つまり、そこでこれらの石壺が作られ、そこから運ばれた可能性があることを示している。
石切り場からジャール平原へ、石壺がどうやって運ばれたのかという謎は依然として残っているのだ。
シェワン博士らの次の課題は、ジャール平原全体でもっとサンプルを見つけ出して、この謎めいた遺跡や、石壺が作られ、並べられた時代についてさらに深く追究することだ。
「こうした複合的なプロセスを経ればやがて、東南アジアでもっとも謎めいた考古学文化のひとつであるジャール平原遺跡をより詳しく理解することができると期待しています」シェワン博士は言っている。
References:Dating the megalithic culture of laos: Radiocarbon, optically stimulated luminescence and U/Pb zircon results / Researchers solve more of the mystery of Laos megalithic jars/ written by konohazuku / edited by parumo
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